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田代元湯1@8月の雪中行軍
あと,おめでとうございます(ひとりごと).


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写真がぶれてしまったが,広場の直後の様子である.現役当時も自動車が田代元湯まで到達することはなかったようである.しかしこのあたりは路肩が下草に覆われてしまっているが,道路敷きであったと思われる一定幅の平坦な斜面が続いており,一部の自動車は進入可能であったのではないだろうかと思う.木々の上からはセミに加えヤブキリの鳴き声も聞かれた.子供のころ,遠足に虫かごを持っていった青森の男子なら知っているだろうが,田代平周辺はキリギリス類を始めとする昆虫の宝庫である.ここではカマキリがいないのでヤブキリがスズメバチとともに多様な昆虫の食物連鎖の頂点に位置しているのである.


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急斜面を振り返った写真である.何となく,ダブルトラックの轍にも見える植生が路面中央に位置している.あくまで推測に過ぎないが,何らかの車輌がかつてここを走行していたのではないかと僕は思った.自転車を置いた側は雨天時には沢となるのか,えぐられている.自転車に跨って進むこともできるが,徒歩の登山者がいたら下りて道を譲らねばならない.しかしこの日は盆前の青森が最も賑わう時期の1つであるにも関わらず,山中で1人の登山者とも会うことはなかった.


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しばらく進むと右へと折れるヘアピンカーブが現れ,いよいよ最も急勾配な区間となる.ここからは九十九折れが連続する.現役当時,この道を自動車が通っていたと仮定すれば,この辺りが車輌の進入限界であろう.沢水にえぐられて勾配はさらにきつくなっている.もはやチャリンコを立てることはできず,路肩に倒してしまった.なお,写真右側の笹藪をご覧頂きたい.何故か不自然に黒い陰が浮かんでいる.そして拡大すると何かが見えるのだが,それが何なのかは青森226は判断できない.


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率直に言って厳冬期にこの道を歩いて田代元湯へ向かうのは極めて困難である.ましてや明治の不便な時代である.いくら屈強な日本陸軍とは言え遭難は免れなかったであろう.と同時に,100名もの雪中行軍の遺体や負傷者を麓の田茂木野(遺体安置所跡が今もある)まで運んだという村人やアイヌの人々の労力も想像を絶するものである.僕がそんな事を考えながら進むと,左前方に幅3mほどの沢と簡素なパイプが見えてきた.


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ついに沢が迫ってきた.滑落すれば冬なら死は確実な恐怖の沢である.僕はチャリごと橋を渡れるのか確認するために一旦チャリを捨てた.なにせ,どこかで道を間違えているかも知れない.もしそうだとすれば引き返さねばならない.その場合,チャリを伴って今来た道を戻るのは大きな負担となる.道がこれで正しいのか先を偵察する意味も込めて僕は移動手段を徒歩に切り替えた.
<3に続く>
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