めんこいブログが,多摩が誇る廃隧道に遂に突入.

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最も隧道寄りの車止めである.青梅側から来た場合,廃屋の手前に現れる.コンクリート製の側溝をひっくり返して簡単なバリケードとしている.とは言えチャリや2輪なら横をすり抜けることもできる.ただし2輪ではかなりギリギリだが.ちなみに,TBSでは,ここから廃屋にかけて友近が小坂明子の「あなた」を熱唱し始め,隧道内ではエスパー伊東が現れていた.


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往年の青梅道である成木街道旧々線.かつてここを,石灰を運んだ人夫たちが江戸へ向けて歩いていった.人夫たちは,青梅より現在の青梅街道とほぼ同じ道筋で箱根ヶ崎へ向かう.箱根ヶ崎からは現在の青梅街道や新青梅街道とは別ルートで田無を目指す.ちょうど西武拝島線の東大和市駅付近で現在の青梅街道と合流する.箱根ヶ崎・田無間には小川村(現在の小平市西部)が開墾され,それぞれを中継点に,江戸と青梅・成木・名栗が結ばれていた.江戸時代の重要路線である.


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石灰は当然ながら建築材料として,江戸城の補修にも使うわけである.江戸城の落城=幕府崩壊なわけで,北に控える最強外様の伊達家をはじめとする抵抗勢力を抱えていた江戸幕府にとっては,青梅道は必要不可欠な軍事路線であったのだ.伊達家はその後,幕府に日光東照宮建築など莫大な資金拠出を強制されたことで弱体化する.それに伴い,青梅道は軍事路線としてよりは,運輸路線としてのカラーを強めていく.その重要路線としての地位は引き継がれ,吹上峠には旧吹上隧道,吹上隧道,新吹上トンネルの3本のトンネルを生むことになる.写真右の,斜面下の路線は新吹上トンネルに繋がる現道である.そして奥に見えるのは,最も青梅寄りの車止めで,先ほどのものとほぼ同じものである.


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青梅側の区間は廃道ではない.今でも民家があり,現役の青梅市道である.それを物語るようにカーブミラーも現役で,カーブの先を映し出している.廃道では,カーブミラーから鏡の部分だけが取り外されている無惨な光景を良く目にする.くれぐれも旧吹上隧道を訪れる際は,民家に住んでいる住民のことを第一に考えてほしい.夜中にカプールで「こわーい」などと,いちゃいちゃ騒ぎながら来るなんざもってのほか.


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現道の成木街道と合流する.バス停があるが,バス停名は明らかにしない.ところで,何かを運ぶ謎の老人が言っていた旧吹上隧道バス運行説は謎である.隧道を見た感じでは,バス運行はかなり厳しそうだ.旧型ボンネットバスでもギリギリではないだろうか.青森めんこいブログでは関係各方面に取材し,いずれ真相を紹介するつもりである.

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