城ヶ倉大橋の開通で廃止された国道394号旧道.
徒歩散策路として転用が図られるも,落石や斜面崩壊などの危険のため現在は封鎖され,事実上の廃道となっている旧道に潜入.



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「トンネルある所に旧道あり」
ORRの道路調査報告書のへなり氏の常套句でもあり,今や多くの道路探索者に認識されている概念である.今回はトンネルではなく,のバージョンだ.長大トンネルで貫かれた尾根に峠越えの旧道が存在するのと同様に,長大橋梁が架けられた深い谷に谷越えの旧道が存在していることも少なからず存在する.
本レポはその具体例を青森から報告する.


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荒川の左岸側からアプローチする.荒川は八甲田山から流れ,横内川や合子沢川と合流し,駒込川と合流後は堤川と名を変え陸奥湾に注ぐ(これは青森市では一般的な荒川の概念だが,国土地理院の地図では一貫して「堤川」の呼称である).上流部では深い渓谷を形成しており,この付近では城ヶ倉渓流の呼称で知られる.まずは無名の沢を跨ぐ橋へと降りていく.前方頭上に見えるのが現道の橋梁であり,短めのトンネルとともに沢を越えている.


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探索したのは6月であるが,沢を超える手前の右側路肩に残雪が残っている.現道の橋から10mほど下がった箇所を旧道の橋が越えているが,白のガードレールのみなのであまり橋という感じがしない.チャリなので水の流れる音が聞こえるが,自動車なら沢の存在に気付かずに過ぎてしまいそうな箇所だ.それにしても狭い道幅であるが,ここは自転車道路ではない.ほんの10数年前まで国道であったのだ.


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無名の沢を越え,坂を登り終えると三叉路に出る.城ヶ倉大橋の開通以前,無名の沢を超える区間が暫定開通していた現道はここから旧道にアプローチしていた.位置関係についておさらいすると,写真左がスタート方向で,正面が旧道の進路,手前が現道である.1994年当時,親の車で通行した記憶があるが,2車線快適舗装路で登り続けてきた国道がここから狭隘区間となり文字通り奈落の底へと落ちていくのである.現役時代はまさに酷道であったのだ.


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豪雪で倒れてしまった警告標識.掠れた文字はというと,
通行注意 

これより約3000mの区間は
砂利道と、急勾配、急カーブの
山岳道路です。運転には十分注意
して御通行下さい。

青森土木事務所
0177−**−****

だそうだ.


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標識とは異なり,実際には,現役末期の1994年には既に未舗装の砂利道区間は無かったと記憶している.標識の「青森土木事務所」や青森の市外局番「0177」に時代を感じる(今は「青森県土整備事務所」と「017」に変更).やれやれ,これから3000mの廃酷道との格闘が始まるわけだ.谷の深さが100mなので,距離1500mで標高差100mだから,登りと下りで平均6.7%の勾配なわけだが,当然ながらもっと急勾配な箇所もある.ずっと6.7%が一定で続けば,坂道としてはさほど苦でもないのだが……


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センターラインこそ無いものの,普通自動車が十分すれ違えるだけの道幅を維持している.路面の保存状態は最高であり,廃道としては全く発酵していない状態.路肩からの植物の侵入がさほどでもないのは,残雪があるくらい寒冷であることからだろうか?とはいえ,国道として通じるかといえば,ちょっときつめのコーナーの連続だ.少々乱暴な言い方をすれば,どうでもいいような国道なら通じるだろうが,18万都市弘前25万都市八戸という主要都市連絡の最短経路国道としては全く使えない.


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徐々に落ち葉の堆積(6月なのに?)や笹藪の侵攻を受けつつも,道は比較的良好なまま続く.つづら折れ警告標識の位置を考えれば,だいぶ路肩は笹に埋もれているようだ.ここまでは比較的緩やかであったのだが,以降は一転して急勾配で城ヶ倉渓流の谷底を目指して下っていく(ただし勾配標識はまだ無い).

 「国道394号」レポは写真ノーカット版のため,標準の5コマ編成ではなく,8コマ前後の変則編成で投稿しております

2へ続く

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