江戸時代には羽州街道(現在の国道7号)のショートカットルートとして、陸奥湾の海産品が弘前へと運ばれた豆坂街道(現在の県道27号)と並行する、入内峠の今を報告する。

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バリケードを隙間から突破した後は通行するクルマがないため、本来の砂利路面の上に雪解けと共に姿を現した昨年の枯葉や枯れ枝が積み重なっているが、比較的良好な状態である。勾配も豆坂の廃道に比べると緩やかで、スピードを出すことはできないがノーマルタイヤのスクーターでも十分に通行できる。道幅も1車線強あり、序盤のバリケードさえなければ今でも四輪車が通行可能な区間がしばらくは続く。


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で、現れるのが第1の崩壊地。携帯のカメラなのであまりよく見えないが、10メートルほどの距離に渡って路盤が半分逝っている。崩壊は谷底まで続いており、復旧は素人目にも難しそう。青森側バリケードから崩壊地までは車両を転回できるようなスペースが無く、これがバリケード位置がずいぶんと手前になった要因ではないかと思う。軽トラくらいならタイヤを半分宙に浮かばせながらもギリギリ越えられそうな気もするが、スクーターで残された路盤を越えていく。


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続いて第2の崩壊地。ここはもう2輪車でなければ越えられない幅であり、谷底までの深さは第1の崩壊地よりありそう。真南に向いた斜面で日当たりが非常によく、このあたりには残雪は全くなし。もともと崩壊しやすい所であるらしく、山側にはまだ新しいコンクリート壁が頑張っているが、もはや役目を終えた感じで崖側の崩壊と対峙している。ここもスクーターで残された僅かな幅を超える。


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第2の崩壊地を越え、青森側を振り返ってみるとかなりの斜度で道幅の大部分が逝っているのがわかる。コンクリート壁がもう少し厚く張り出ていたら、通り抜ける幅がなかったんじゃないかとも思う。何はともあれ、2箇所の崩壊地によって、入内峠が車道として復活する可能性はかなり低いと思う。そもそも復活したとしても、最低1.5車線ないし2車線幅で舗装化しなければ、県道27号旧道の抜け道としては機能できないだろう。


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浪岡側のバリケードは崩壊地のすぐ手前に位置している。ちょうどバリケード手前に転回できるスペースがあり、1台くらいなら駐車することもできそうだ。ところで、この入内峠自体の歴史は豆坂同様に徒歩道の時代から続いているものだが、車道が昭和30年代からあったものだとすると、当時の豆坂と比べても遜色のない規模である。豆坂街道と入内峠の2路線が近接しているわけだが、こういった場所は峠らしい峠の少ない青森県では非常に珍しい。

最終回へ続く。

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