東京にいた学生時代、お世話になったラーメン屋のオヤンズ(津軽弁でオヤジ、マスターの意)が去る4月21日に亡くなっていたという知らせが友人から届いた。

オヤンズはJR中央線の西八王子北口で、「一舎亭」という“津軽風ラーメン”の店を営んでいた。

学生最後の春休み、昼はラーメンでも食おうかと思索していた日だった。
東京のラーメンに飽きていた自分は、青森のラーメンを食える場所がないかネットで検索していて、一舎亭を偶然に知った。
西八王子にあると知って、東八道路から甲州街道へ、スクーターでひとっ走りした。
上京と同時に買ったボロボロの東京都道路地図を見ながら、ネットで調べた一舎亭の場所を突きあわせ、店に着いたのは午後2時半ころだったと思う。

店に入ると、ちょっと想像とは違う感じの構えだった。
テーブル席はなく、三方のカウンター席が厨房とオヤンズを囲んでいて、平日真昼間のラーメン屋なのに、お姉ちゃんと一杯やってるお父ちゃんたちがいた。
今となってはその構えが一舎亭の濃いイメージの一つなんだけど。

オヤンズからは最初、「いらっしゃいませ」が無かった。
普通なら「俺に気づいているのか?」と怪訝に思うか不安になるかという場面だと思うが、カウンターに座った自分は「津軽弁で注文してやろう」という意気揚々とした気分だった。

オヤンズも、自分に気づいていなかったわけではなかった。
ほかのお客さんの注文した品を作っていて、手が回らなかったのだ。
すぐに「今、注文取るから待って」と言われ、心の中で津軽弁をしゃべる練習をする。
いつも別の店では標準語で注文しているので、こういう時に油断してうっかり標準語になってしまってはいけない。

オヤンズが注文を聞きにきた。

「津軽風あっさりしょうゆラーメンください」

津軽弁のイントネーションで答えた。
一瞬の間をおいて、オヤンズは「あなたも津軽?」と聞き返してきた。

そこからオヤンズとのコミュニケーションが始まった。

「青森のどごだ?」
「青森市生まれで幼稚園だけ鯵ヶ沢育ちです」
「青森市は弘前から県庁ば持って行ったはんでめごぐねな」
「わい、今でもそったごど喋る人もいるんだが。マスター弘前だんですか?」
「弘前の小比内だ」

さっきまでお酒を飲んでいて上機嫌のお父ちゃんも「おれは秋田だんだー。青森の人たちの言葉はわがんねーなー」と冗談を言ってきた。
オヤンズは「(津軽弁も秋田弁も)似だんたもんですよ」と返していた。
オヤンズに聞くと、その日はいなかったが宮城県出身とか山形県出身とかの常連のお客さんもいるらしい。

ラーメンを食べながら、津軽を愛する同郷の友人をここに誘わないわけにはいかないという気になってきた。
この友人から、オヤンズの死を知らされるとはこの時は夢にも思わなかった。

「今度鯵ヶ沢がらのけやぐ(友人)へで来てもいいべが?」
「儲かるのは嬉しいけど、忙しぐなるんだばまいね」



数日後、友人と一舎亭を訪れた。
実はラーメン居酒屋でもあるので、飲むべしと言うことだった。

友人とオヤンズは同じ高校の卒業生で、すぐに意気投合していた。
「弘前さだっきゃ国立弘前大学あるんだ。青森さ、あるんだが?」
「青森だっきゃ、南部だね」
青森市出身の自分に対し、オヤンズは盛んに弘前をアピールしていた。
津軽と南部の対立はよく聞くが、実際に津軽の人で、南部(八戸や岩手県)や青森市のことを敵視してことさらに言う人はあまり見たことが無い。
だがオヤンズは本気なのか冗談なのか、県庁の次は弘前大学を持ち出したりと、この手の話題を好んでいた。


「弘前で、有名だってすー寿司屋さ入って、おらは全部『まずい!まぐね!』って言ってやったんだ。したら寿司屋の親父が包丁持っておらのとごろさ来て、『勝負しろ』って言うんだよ。おらも寿司はやったこと無いばって、勝負してやったんだ。それがら、おらどその寿司屋の親父どは生涯のライバルで友人だよ」

「おら、当時のお金の価値で100万できがねステレオ持ってらったんだ。それで大音量にして休みの日は音楽聴ぐんだよ。したっきゃ、耳の調子なんだがおがしぐなって、病院さ行ったっきゃ、ステレオ難聴だど。おらだっきゃ青森県で最初にステレオ難聴さなったんだ」

オヤンズはいろいろな武勇伝を披露しては自分でもビールを飲んでいた。
自分たちもビールのお代わりを頼もうとすると、「もう冷蔵庫さありません。表さあるはんで取って自分で持って来てください」とオヤンズは言っていた。





その後も何回か通ったが、青森への就職が決まっていたので、3月の中頃に、友人が送別会を開いてくれることになった。マスターと会ったのはこれが最後だ。

「青森だなんて住むところじゃないよ」と言っていたが、「おらだぢは東京で暮らして行かなきゃだめだのに、お前だけ青森に帰れるんだ」とも言っていた。

キクラゲと豚バラ肉と卵の炒め物を頼んだら「まずいがら作りたぐね」と言いながら、「今日はお前の就職祝いだからご馳走してやるよ」と大盛りを出してくれた。

美味かった。

この日もマスターはいろいろと武勇伝を披露していて、「お前だぢは弘前の高砂の奥の座敷さ入ったことあるが?おれが行くといつも座敷さ案内されるんだ」など、本当に高砂に座敷があるんだがどうか、怪しいようなことも言っていた。

最後にラーメンを頼むと、「ラーメンはご馳走しません」ときっぱり宣言された。

一舎亭














ラーメンを平らげるとオヤンズは、「お前の就職する会社の名前をもう一度しかへろ(教えろ)」と尋ねてきたので、答えた。

オヤンズは、「せば、おめだぢが払わなかったおつまみの分は、○○株式会社さ付けでおいだはんで」と言って、見送ってくれた。正確には炒め物の分もちゃんと払っているのだが(笑)




このときが、マスターの顔を最後に見たときだった。

しかし、最後に話をしたのは去年の弘前さくら祭りだ。
オヤンズと連絡先を交換していた友人とともに、携帯でオヤンズと会話した。
いつものオヤンズだった。いつものオヤンズ過ぎて、変わったことも無かったので、あまり記憶が無い。

さくら祭りの後、オヤンズは、帰省していた友人に「土産に鯵ヶ沢の烏賊ば買ってきてけれ」と言っており、後日、西八王子の店の前で七輪に火を起こし、ブガブガとかまり(匂い)する中、「鯵ヶ沢名物の焼きイカだ」と販売していたことを聞いた。

オヤンズの近況報告はそれが最後だった。





そして今日、友人から、オヤンズが死んだというメールが届いた。

東京出張がある度、一舎亭を訪れることができればと思いながら、行くことができなかった。

いつかまた行かなければとは思っていた。

もう行くこともできないし、オヤンズと会話することもできなくなってしまった。

他の常連さんに比べると短い期間の付き合いだったが、オヤンズのことは強烈に残っていて、今でも亡くなったことは信じられない。

西八王子さ行けば、「『死んだ』って言えば来るだろうと思って嘘ついたんだよ」とオヤンズが言うような気もする。

きっと、オヤンズのことは自分も、友人も、オヤンズを見送った他の多くの常連のお客さんも忘れないだろう。

オヤンズを見送れなかったことが、本当に残念だ。

合掌。