トンネルがあるところに旧道があるなら、切り通しがあるところにも旧道があるかも。
と突っ込んでみた旧道へ。

3か月も放置してたレポの前編はこちら



標識
なんと大鰐町と書かれた旧式の白看標識が登場!
いきなりの出オチ。
青森県内の国道7号旧道の現存する未舗装区間にして、白看板という道路遺構まで残存しており、ここはなかなか貴重な旧道だと思う。
この標識の裏側には何も書かれていないもので、反対に碇ヶ関村と書かれた標識も見つけられなかった。


踏切跡へ
というわけで、白看の脇の田んぼで農作業をしていたばあちゃんに「これは昔の7号線ですか?」と聞くと「んだ。あこが踏切だった所だよ」と国道跡であることだけでなく踏切跡まで教えてくれた。「線路ば新しぐしたはんで、もう何も残ってないんだ」と教えてくれたので、どうやら奥羽線の複線化をしたときに踏切は跡形もなくなってしまったようだ。


踏切跡大館方
これが踏切跡の大館方だが、何にも残っておりませぬ。
複線電化の奥羽線が一段高い所を通過しているが、昔の単線時代はもうちょっとだけ低い位置に線路があったらしい。
線路は守備範囲外なのだが、弘前・大館間では複線電化の際に複数の新線を建設したこともあり、この直近の弘前方にも廃止された唐牛隧道(ヨッキれん氏の山さ行がねが参照)が残っている。


弘前方からアプローチ
「山さ行がねが」が白看を発見できなかったのは、真冬に唐牛隧道を訪問していて弘前方から接近したためだと推測されるが、まだ「山行が」に先を越されていない物件が南津軽に残っていたとは思わなんだ(←勝手に廃道業界のガリバーをライバル視)。
今度は一旦現道の碇ヶ関陸橋を通って、弘前方の踏切跡へアプローチしてみる。弘前方の分岐点は教えないけど。


踏切を去る踏切跡弘前方弘前方を望む






左の写真:旧7号線をまっすぐに進むと、奥羽線の架線と築堤が見えてくる。
中の写真:弘前方の踏切跡。こちらも痕跡はなく、完全に奥羽線の築堤に埋まっているようだ。
右の写真:踏切跡から弘前方を望む。線路沿いの畦道を進めば唐牛隧道に接近できるみたい。


踏切を去る2
踏切を後にし、旧道を弘前方へ向かう。
右側に水田やリンゴ畑が広がっていて、その奥に奥羽線が見えている。
その先に杉の木が密生しているところがあるが、そのあたりが唐牛隧道の坑口らしい。
(写真はクリックすると拡大します)


踏切を去る3ラスト






最後にゆるい坂を登りきって、現道に合流する。
実に地味な旧道だったので、白看がなければレポートにはならなかったなこりゃ。

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