1933(昭和8)年から1980(昭和55)年まで青森・北海道と仙台・関東方面を結ぶ幹線道路として酷使され続けた国道4号旧道の廃隧道に突入。



うとう1
青森市民で廃道や廃隧道に興味を持っている人がいるとすれば、おそらく最初に興味を持つきっかけとなるのはこの善知鳥前隧道ではないだろうか。というのも現道の国道4号うとうトンネルのすぐ脇にぽかーり口を開けており、廃隧道そのものに興味がなくとも否が応でも強烈なインパクトを与えられるからに他ならない。


うとう2
4車線化された頃に撤去されてしまったようなのだが、以前は青森市街から青森東バイパスを十和田方面へ進んでいくと「カモシカに注意」という緑色の標識があって、そのカモシカの目つきがこちらを睨みつけるようなデザインで実に不気味であった。そのカモシカ標識と、久栗坂にあったウルトラマンエースの像と並ぶ3点セットだったのが善知鳥前隧道なのだが、今や残存するのは最も古い隧道のみである。


うとう3
小学生の頃の記憶では浅虫側の旧廃道は現道からまる見え状態で路面にもオレンジ色のセンターラインが見えていたと思うのだが、どういうわけか現道との間に盛土が施され、以前に比べるとチラ見え状態に変わっているようだ。車列が切れる瞬間を狙って、見えそうで見えまくりのチラ見え隧道へと接近を試みる。


うとう5
で、浅虫側坑口のお出ましである。交通事故で炎上した死者の霊が出るだとか、T奥日報に載った事故の写真に霊が写っただとかの噂もあるが、あくまで噂と考えることにする。この坑口すぐそばの通称・ホワイトハウスと呼ばれる廃墟もあり、善知鳥前隧道と裸岩と3点セットで心霊マニアを対象に集客力を誇っていたが、2006年12月30日に「霊を払うため」と青森市内の男性O氏(当時24、非現住建造物等放火容疑で逮捕)によって放火されてしまった。


うとう4
「道隧前鳥知善」「工竣月三年八和昭」と書いてあり、なかなかの風格を醸し出しているではないか。栗子隧道が改修工事を受けたのが1933(昭和8)年で開通したのが1937(昭和12)年だから(最初の開通は明治14年)、ほぼ同世代の国道トンネルということになる。国道13号の栗子隧道は1966(昭和41)年に引退し1972(昭和47)年には崩落・閉塞しているが、国道4号の善知鳥前隧道はなんと1980(昭和55)年まで現役稼働したのである。


うとう6
国内最長の国道であったことを誇るように、百の桁が7を示す距離ポストが坑口前に鎮座している。東北自動車道が開通する前の時代、東京からはるばる国道4号を700km以上走ってここまで来て大型車同士がすれ違いを行うために渋滞発生だとか、連続雨量100mmで通行止(当時)という交通規制もあったようだ。


うとう7
1980(昭和55)年に開通したみちのく有料道路公式サイトには“一般国道4号は交通渋滞が著しく、県内の産業経済のみならず北海道の物資の輸送面にも大きな影響を与えていた”とあり、交通渋滞が著しいの記述のあたりはどこまで本当か謎であるが、それでも幹線道路が善知鳥前隧道しかないというのは経済的にも痛い状態であったのは間違いないだろう。


うとう8
うとうトンネルの開通で善知鳥前隧道が現役を退くのとほぼ時を同じくして、みちのく有料東北道の青森県内区間(碇ヶ関〜青森)が開通し、今となっては東北道八戸道も4車線で東京まで繋がっているわけだが、一大食糧生産地帯である北海道と首都圏の物流をボロッちぃ善知鳥前隧道が担っていたのだからすごいの一言だ。


うとう10
仄暗い善知鳥前隧道を徒歩で抜け青森側へ。落石覆いがあり、現道のうとうトンネルに比べるとずいぶんと大げさ感がある。現役当時は、黄色がいっぱい貼り付けられて賑やかだったんだろうか……。こちら側は坑口すぐ手前のゲートまで民家が迫っており、住民に怪訝な目で見られたのでそそくさと坑内へ戻ることに。



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