ダムに沈んで使命を終えた旧廃道はもはやダムサイトに接近するだけの盲腸線かと思われたが、なんとその先には廃隧道が……。

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さて、この路線が向かう山奥の開拓集落は、かつては北前船も寄港したという海岸の集落から分水嶺を越えるのが最も楽なルートであったらしく、現在でも当路線やこれから合流する3桁国道と重複するものである。もともと道がなかった川沿いに下流と結ばれたのは1930(昭和5)年の森林鉄道開通まで待たねばならず、車道としての開通は1964(昭和39)年まで待たねばならない(車道開通は1966年との記載もあり)。


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特にこれから向かう渓谷沿いの断崖絶壁は「親不知」と呼ばれ怖れられたらしく、難工事を極めたという。本家の「親不知」(新潟)に倣ったものとして北海道檜山の海岸にも「蝦夷親不知」があるが、青森では海沿いではなく川沿いに親不知があったというから驚きである。今では青森に親不知という地名があることを知る人はほとんどいないと思うが、町史や県発行の文書にも「親不知」の文字があるのだから、当時は知名度もあったのかもしれない。


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廃道に突入すると、ダムの堤体めがけて高度を上げていく取付道路(現道)と寄り添うように川沿いをトレースし始める。やはり盛夏の激藪強化月間を避けたのは正解だったようで、実に藪が濃い。カメラを構える関係上、ジェッペルのフードを開けたまま走行したところ、木化した固い枯草がしなって裏拳を顔面中央に何発もお見舞いされたので注意が必要である。フルフェイスでも目をやられる恐れがあるので、十分にガードされたし。


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枯草の藪を抜けるとダブルトラックの復活のように見せかけて湿原だったりするのでスクーター乗りは泣ける。こういうのは流水の作用もあるがオフ車や4WDが抉った跡だったりもする。なんとなくそれらと同じ轍を抜けると楽そうだが、オン車では全く歯が立たず亀の子という悲劇になったりする。ウラル・カマズの轍を踏むより、自然破壊を恐れず緑の絨毯を進め!というノマド(実は小生も樺太ツーリングを企てていたりする)のロシア式の教えに従って、オン車で果敢に突っ込む!


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が、緑の絨毯なんてそんな都合よくあるわけもなく、広〜い泥濘になってありおりはべりいまそがり\(^o^)/オワタ
推進力を失い倒れる手前で体だけジャンプし車体を支えるが、スタックしてしまったようであるorzしょうがないので、車体の後輪をファイト一発で持ち上げ、あとは人力&フルスロットルで押し出しに成功したが、真冬の手前に足が水浸しになったのは痛い。ロシアのバカ!お詫びに千島と樺太返せ

2へつづく

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