
岩手山SA クリックでちょっと大きくなります。
青森県民や岩手県民、秋田県北民ならば周知のとおり、東北自動車道の下り線を青森・八戸方面へ北上していくと、、岩手山SAが最終給油地点になる。
上り線(仙台・東京方面)は花輪SAにもガソリンスタンドはあるが、なんともさみしいところだ。
高速道路民営化前は、花輪SAの上下線はもとより、津軽SAの上下線にもあっただけに、往時を知っていると尚更である。
←岩木山を望む津軽SA。ここがガソリンスタンド跡。筆者の小学校時代、1990年代の話をすると、津軽SAにはガソリンスタンドだけではなく、そばとかカレーの軽食コーナーのほかにレストランまであった。
まだ土曜日が「半ドン」とか呼ばれていた時代で、バブル崩壊直後とはいえ今よりも羽振りの良い人が多く、午前の授業が終わると、二宮金次郎像の所に保護者がクルマで児童を迎えに来て、そのまま家族で遊びに行くという光景も珍しくなかった。
青森市内でもコンビニはまだ多くない時代で、半ドンで青森を出発し、津軽SAで昼飯を食って、秋田のマインランド尾去沢に遊びに行った時の記憶が、津軽SAに関するもっとも古いものとなる。
上り線だけ今も何とかガソリンスタンドが存続する花輪SA→レストランがないなど津軽SAより規模が小さかったが、花輪SAも思い入れは強い。
むしろ、食い物に関しては、こちらの方が鮮烈に記憶に残っているくらいだ。
上り線の屋台で売っている「みそ焼ききりたんぽ」が好きで、今でも花輪SAに寄れば必ず食べて、長く長く飽きてしまう岩手県との戦いを前に一服する。
下り線の、カップラーメンの自販機も懐かしい(今は無いかも)。
東北大学見学会で仙台に行った帰り、10分しかないトイレ休憩が花輪SAで設けられたが、「時間がないので売店・食堂に寄るのは禁止」というお触れが出された。
だが、小学生の頃、初めて見たカップラーメンの自販機は珍しいもので、筆者は、高校生になってからも存在を覚えていたのだ。
育ちざかりなので当然、クラスメート数人が「腹が減った」と言い始める中、「花輪だっきゃカップラーメン食うにいいんだ」とけしかけたが最後。
「自販機ならOK」と聞いていたので、東北大には到底合格しそうもない学力の男子8人で緑のたぬきを買って、バスの最後部の個室(たぶん、夜行バスの交代運転手の仮眠ルームだろう)で食ってたら匂いが充満し、担任に「そんなところに無駄に頭を使うな」と呆れられた。
そんな津軽SAや花輪SAが賑やかだった時代は、高速道路民営化で終わった。
真っ先に規模縮小が起きたのが津軽SAだった。
まだNEXCO東日本が発足する前の2004年のうちから、高速の上に架かる跨道橋に「津軽SA給油所2005年9月で閉鎖します」と旗が飾られ始めた。
こんなことになるなんて、日本道路公団のゆる〜い時代にあっても、津軽SAの経営状態は、相当ヤバかったのだろう。
程なくして2005年10月を迎え、津軽SAのガソリンスタンドがなくなると、今度は秋田県に「花輪SA最終給油所。津軽SA給油所ありません。」という旗も飾られ出したが、わずか4年後の2009年には花輪SAからもガソリンスタンドが消えた。
津軽SAのレストランなんて、ガソリンスタンドほど重要じゃないこともあって、ほとんど告知もないうちに、いつの間にか廃止されてしまったという印象しかない。
wikipediaの津軽サービスエリアのページを開くと、「ガソリンスタンド、レストランともに廃止された事例はほかになく、当SAは大規模な縮小といえる」という記述があるが、本当にここまで落ちぶれるのを目の当たりにすると、ちょこちょこ利用してた人間としてもショックであった。
だが、交通量や、実際にサービスエリアに寄っている人の数を見れば、「廃止やむなしなのか」と諦めざるをえないことに気付いてしまう。
下の図は、盛岡以北の高速道路の区間別交通量と、SA/有人PAの施設の状況を表したものだ。

利用したのは、当ブログではおなじみの国土交通省の道路センサスだが、平成22年版は八戸自動車道が無料実験中であったせいで交通量が格段に伸びているので使用せず、平成17年版を使用した。
大鰐弘前〜青森など複数にまたがる区間の交通量は、個々の区間のデータから、加重平均で算出した値である。
盛岡I.C以北には、サービスエリアが岩手山、花輪、津軽と、八戸道の折爪の4か所ある。
また、有人で売店と軽食コーナーをもつパーキングエリアとして滝沢があり、有人休憩施設は計5か所ということになる。
見てのとおり、津軽SAは落ちぶれに落ちぶれ、上り線に至ってはファミリーマートしかないから軽食を摂ることもできず、滝沢PAに負けるところまで堕ちているのだ・・・
←ガソリンスタンドにレストランまである宮城・菅生PA。『まあ、サービスエリアがパーキングエリアに負けると言っても、宮城の菅生PAみたいにレストランにガソリンスタンドまで付いちゃう「名ばかりPA」みたいな所もあるし、気にするなよ!北海道なんて、輪厚PAが他のサービスエリアを抑えて道内最大だったりするしさ!』
と慰めてみるが、悲しくなるのでやめる。
盛岡以北の有人5エリア上下10か所を序列化すると、
岩手山SA上り≒岩手山SA下り>花輪SA上り>津軽SA下り≒花輪SA下り≒折爪SA上り≒折爪SA下り≒滝沢PA上り≒滝沢PA下り>津軽SA上り
となるのである。
かつて栄華を誇った(?)津軽SAの往年の輝きを今に伝えるものといえば、上下合計で小型駐車スペースが233台分もあって、岩手山SAの上下合計180台分を大きく上回ることと(だから余計ガラガラに見えてしまう)、小便器の数も上下合計30基もあり、岩手山SAの上下合計18基を凌駕していることの2点に尽きる。
津軽SAの30基という小便器の数は岩手山SAどころか紫波SAをも凌ぎ、前沢SAの32基に次いで、北東北では2位という素晴らしい記録である。
『やっぱり津軽SAすごいじゃん!』
と慰めてみるが、悲しくなるのでやめる。
それにしても、盛岡から安代JCTまでは1日15,000台程度の交通量があるが、以北は見事に東北道(弘前線)と八戸道に二分されて4ケタに落ち込んでしまっていて、これはガソリンスタンドが岩手山SAに集約されるのが当然と言っていい状態である。
なんというか、東北道(弘前線)も八戸道も4車線化されているのが奇跡的という交通量の少なさだ。
元建設省・国土交通省官僚の竹村公太郎さんの著書「日本史の謎は地形で解ける」の奈良の話などで出てくる言葉だけれど、東京から札幌まで続く「交流軸」に上手く乗っかってるとしか言いようがない。
青森県の背後に北海道様が無かったら、秋田道のように万年暫定2車線か、鳥取道のようにどこか繋がってないミッシングリンク高速になってたはずだ。
さて。
津軽SAや花輪SAが落ちぶれていった話はしてきたが、もう一つの八戸自動車道・折爪SAはどうなのか?
答えは「八戸自動車道・折爪SAは、開業当時から落ちぶれていない」である。
折爪SAは、八戸自動車道 一戸〜八戸の開通した1986年に開業している。
津軽SAの開業は1979年だから、7年後の開業ということになる。
この折爪SAは、実は開業当時からガソリンスタンドが無い。
だから、落ちぶれるにも落ちぶれようがないというのが真相かもしれんが、1990年代前半の、秋田道や山形道や磐越道が開通する前のガイドブックや道路地図を見ていると出てくる「折爪SAには給油所がありません」とか「SAだがGSはないので注意」という記述が、最初から小規模すぎる折爪SAの異端ぶりを際立たせていたのだ。
もしかするとの仮説だが、津軽SAのガソリンスタンドの営業状況があまりにも悪すぎて、青森方面と似たような交通量になるであろうと予測された八戸道の折爪SAにガソリンスタンドを設けようという業者の動きがなかったのではなかろうか。
いくら日本道路公団がどんぶり勘定であったとはいえ、ガソリンスタンドを運営するのは民間企業なわけで、道路公団によるガソリンスタンド運営社募集にだれも応募しなかった、というのがブロ玉の予想である(道路公団はさすがに最初は給油所を設けるつもりだったろう)。
机上調査は追って行うとして、折爪SAには、ガソリンスタンド用地があるのではなかろうか、と踏んで、今夏、ブロ玉は折爪SA(下り)で現地調査をしてきたのである。
八戸自動車道 折爪SA(下り)



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折爪SAにガソリンスタンドの設置計画が本当にあったと仮定するならば、位置はだいたい2か所に絞られるだろうと踏んだ。
かつての津軽SAや岩手山SAのようにエリア出口の合流車線手前にあるタイプか、安達太良SAや鶴巣PAのように本線走行車線側に位置し売店等と対面するタイプかだ。
エリアに流入するとさっそく、本線側に食い込むスペースがあるので後者の本線側タイプかと疑うが、どうやら最初からトレーラー駐車帯として整備したスペースのような気がする。トレーラースペースに止まっていたトラックは柏、岩手、八戸ナンバーだが、苫小牧行のフェリー乗船の時間調整のためか、大型スペースには室蘭や札幌、釧路など北海道ナンバーのトラックが何台も止まっており、仮眠をとっていた。



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エリアの中に進んで、手前(安代)側から奥(八戸)側を見てみると、手前側に広大なゼブラゾーンがあり、現在はデッドスペースになっているが、駐車場としてはもっと台数を確保できる状態にあるのがわかる(写真左)。やはり、建設当初は、他の東北道のSAと同じように、規模の大きなエリアになる構想だったのかもしれない。
パーキングエリアと同等の規模、とは言われているけれど、売店の前のスペースも広くとってあり、現在は花のプランターなどが置かれている場所を利用し、他のサービスエリアのように食べ物の屋台などを置くこともできそうな広さである(写真中)。
レストランこそ最初からなかったものの、軽食コーナーは健在であり、ファミマだけになってしまった津軽SA(上り)よりよほど充実したエリアである。



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手前側には、公園のようなスペースがあり、あずまやも設けてあるが、舗装のブロックの隙間から雑草が生えており廃道っぽい雰囲気に支配されている。早朝というせいもあるだろうが、寂しい気配が漂ってしまっている。
首都圏のエリアだったら、ドッグランとか子供の遊具とかあって賑わっていそうな感じではあるのだが・・・。
八戸道沿線観光催事用掲示板(写真右)に飾ってあるポスターも、東北道(弘前線)沿線の弘前ねぷたや青森ねぶたであった。
期間かぶってるんだから、ここは八戸三社大祭を貼った方が良いのに、残念である。



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公園を奥に進むと、花壇があり、つぼみの中から数輪ほど赤い花が咲き始めていた(写真左)。アジサイなんかも植えられていて綺麗なんだが、芝生はピクニックをするには不便そうな伸びっぷりだ(写真中)。
行き止まりは、折爪岳の展望スポット。八戸市や八甲田山まで望める眺めや、電波塔についての記述がある。この日はガスっていて見えなかったが、言わずと知れた、八戸から下北まで青森太平洋側を事実上のエリアに組み込んでしまう岩手めんこいテレビ二戸中継局のある山ですな。



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今度は売店の八戸側に進んでみると、くじゃくがいるよという看板があるので、坂を上がっていくと、飼育小屋が2軒あった(写真中は2軒のうち1軒のくじゃく小屋のもの)。木々の隙間からは、上り線側の折爪SAも見える(写真右)。八戸港に向かう下り側と異なり、トレーラーが殆ど見られなかった。北海道からのフェリーの中で寝て、一気に走り出す区間だもんなあ。



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くじゃくに話を戻すと、木陰の小屋の中に、確かに居た。
だが、もう1軒の小屋の方は「なにもいません」(写真右)。
たぶん、元からいた動物が死んじゃって、その後の入居予定がないままなんだろうけど、寂しすぎるだろ・・・・・・。
とりあえず、くじゃくの山を降りて、今一度、ガソリンスタンド用地がないか確かめに行く。



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エリア出口の合流車線手前にあるタイプの可能性を探るべく、八戸側に進んでみるが、安代方のようなゼブラゾーンによるデッドスペースは無い(写真左)。
そのかわり、トラックが走り出した合流車線の手前に、広大な芝生があるのがわかるだろう(写真中)。ここはガソリンスタンド用地である可能性がありそうだ。本線→の標識の背後に広がる芝生地帯の広さや形状は、いかにもガソリンスタンド用地という雰囲気である(写真右)。


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これは折爪SAの航空写真で、上方向が北(八戸)方向である(写真左)。
たしかに、上下方向とも、出口の合流車線手前に用地がありそうなのがわかる(写真右)。使途不明ではあるが、ガソリンスタンド用地は確保されているとみてよさそうだ。

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芝生の中に入ってみた。現時点で、折爪SAに本当にガソリンスタンド設置予定があったかどうか資料を発見できていない。国会議事録から、南郷I.Cは地元要望が強く整備が決まった経緯なんかは出てきたり(昭和58年3月2日建設委員会 発言者:関晴正)、大林組のサイトから折爪トンネルの難工事ぶりを伝えるエピソードが出てはくるが、ガソリンスタンドなど施設の設置に関する話は出てこない。
大きな図書館で、日本道路公団の工事史とか関係書物を洗い出せば、何らかの話は出てくるかもしれない。
ただ、個人的には、この芝生は折爪SAのガソリンスタンド用地だろうと思う。
高速道路では、おおむね50kmに1か所、サービスエリアを設けるという基本的な方針がある。
日本道路公団の時代には、需要のある/なしに関わらず、サービスエリアは建設され「道路施設協会(後の道路サービス機構/J-SaPa)」によって運営されてきた。
(高速道路は公的インフラなので、赤字でもサービスエリアを運営する必要があるのは理解するが。)
この時代に生まれた代表例が、津軽SAであり、需要がないから縮小という憂き目にあってしまった。
一方で、日本道路公団時代でも、末期には駐車場やトイレくらいしかない名ばかりサービスエリアが生まれている。
道路公団も「さすがに赤字になるだろうから暫定的に駐車場だけにしておこう」と思ったのか、民間が売店やGSの出店に応募しなかったのかは不明だが、道東道 十勝平原SAや、秋田道 八郎湖SA、日本海東北道 豊栄SAなどが登場している。
←上り線の折爪SA(クリックで拡大します。)そう考えると、1986年に開業した折爪SAは、需要に関係なくSAが開業してきた時代と、名ばかりSAが生まれる時代の間の「過渡期」と呼ぶべき時代に生まれたSA、とみることが出来よう。ある意味、貴重なエリアなのかもしれない。
いずれにせよ、折爪SAに今後、ガソリンスタンドが設置される可能性は限りなく0に近いのは間違いない。
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