11月3日に、『盛岡以北の高速道路の休憩施設について』と題する記事で、ガソリンスタンドやレストランが廃止された東北自動車道の津軽SAの話を書いたりした。
Wikipediaの津軽サービスエリアの記述で「ガソリンスタンド、レストランともに廃止された事例はほかになく、当SAは大規模な縮小」とあるとおり、津軽SAは高速道路民営化によって規模縮小の憂き目にあった代表例だと思うが、全国にある同様の“落ちぶれ”エリアをリストアップしたら、他にもあった。
そもそも、民営化前の日本道路公団の形式だと、
・駐車場
・トイレ
・ハイウェイショップ(軽食)
・レストラン
・ガソリンスタンド
・インフォメーションコーナー
というのが基本セットだったと思うが、民営化されて、形態が多様化しているのも事実。
東名高速 海老名SAを筆頭に、「高速道路で休憩するためのSA(手段)」から「特定の店に行くために高速道路を走って行くSA(目的)」というような感じに、変わり果ててしまっているエリアもあるのは周知のことだろう。
海老名は極端な例にしても、東北道 菅生PAみたいに、フードコートに改装されてレストランと軽食の区別がなくなったエリアも多数。
日本道路公団の仕様であれば、レストランと言えば、ウェイターやウェイトレスを呼んで注文し、料理を持ってきてもらうテーブルサービス方式だったが、菅生PAのフードコートはかつての軽食コーナーと同じセルフサービス形式だ。
首都圏に近いところだと、東北道 羽生PAも同様だが、テーブルサービス方式のレストランからセルフサービス形式のフードコートに変わったエリアまで、レストランが廃止されたエリアと呼んでいいのか微妙である。
ということで、よりわかりやすいガソリンスタンドの存廃を基準に、まずは話を進めたい。
ガソリンスタンドが廃止されたSA・PAの一覧から。
ご覧の通り、15エリア27か所で、ガソリンスタンドが廃止されている。
復活を遂げたのは、宮崎道 霧島SAのみ。
近隣の別のエリアに移転する形で廃止になっているのは北陸道 栄PAや中国道 赤松PAなど3か所。
それ以外は、おおむね、需要の少なそうなエリアばかり並んでいる。
目立つのは、中国自動車道からリスト入りしたエリアが多いことだ。
山陽自動車道が完成して以来、近畿圏⇔北九州福岡大都市圏の主軸の座から路線ごと退いてしまった感もあるが、それにしても4エリア8か所もガソリンスタンドが廃止というのは衝撃的だ。
帝釈峡PAに至っては、ガソリンスタンドのみならずハイウェイショップまで廃止され、駐車場とトイレのみになっている。
では次に、ハイウェイショップすら廃止され、無人化したエリアが他にないか、見てみよう。

ご覧の通り、7エリア11か所で、無人化されている。
中国道からも帝釈峡PAと湯田PAがリスト入りしているが、首都圏にほど近い関越道でも2エリア3か所が無人化の憂き目に遭っている。
奇しくも、上信越道の開通で、首都圏⇔北陸の主軸の座から転落した関越道 藤岡JCT〜長岡JCTの間に集中しているのは、中国道にも似ている。
中国道の交通量が、山陽道に比べてどの程度少ないか、図にまとめたのが以下の図だ。

神戸JCT〜山口JCTの区間では一目瞭然で、山陽道の交通量が中国道を圧倒しているのがわかる。
後に完成した山陽道によって、先に完成した中国道の需要が悉く奪われてしまったのだ。
山陰方面へアクセスする米子道が分岐する落合JCTあたりまでは需要もあるのか、ガソリンスタンドの廃止されたSAは存在しない。
だが、千代田JCTで浜田道が分岐し、山陽道への連絡路になっている広島道と広島北JCTで別れた後の区間は悲惨である!
島根県唯一の中国道のインターである六日市から山口JCTまでの末端区間平均で、24時間交通量は2,282台まで落ち込んでしまう。
これは、東北道の末端の津軽SAがある青森県内区間の交通量と比べても3分の1以下である。
有人だったPAが無人になってしまうほどの閑散区間というのは、これほどの数字なのである。
余談ながら、サービスエリアであるにもかかわらず、開設当初からガソリンスタンドがないエリアもリストアップしてみた。

弊ブログも大好きな八戸道 折爪SAなど15エリア28か所には開設当初からガソリンスタンドがなかったのである。
最初から無人だったという強者も3エリア6か所。
(あえて具体名は挙げないでおこう…)
最近では、2014年にサービスエリアとして誕生予定だったが、無人なので、しれっとパーキングエリアで開業した圏央道 市原高滝湖PAという、面白いエリアもいるのを見逃さない。
民営化で、地方の閑散区間はサービスが上がるどころか、下がっちゃったというのがよくわかったと思う。
「需要がないから」と言われればそこまでだけれど、もはやショッピングモールみたいになっちゃった東名高速 海老名SAなんかを見ていると、やるせない(いつも混んでるから入る気もしないけれど)。
2015/2/23 追記
読者様のコメントより、鹿野SAのレストランは存続しているのだろうかという疑問が寄せられました。
NEXCO西日本のSA・PA情報サイト「遊・悠・WesT」によれば、鹿野SA(上り/下り)共にレストランのピクトマークが消えており、鹿野SAのレストランはないというのが、NEXCO西日本の見解のようです。
一方で、Googleのストリートビューを見ますと、2014年現在、まだ鹿野SAの標識にはレストランを示す「フォークとナイフ」のマークが残っています。私も首都圏にいますので、なかなか現地に確認に行けないため、確認のしようがないのですが、山口県の方から情報を頂ければ幸いです。
なお、テーブルサービス方式のレストランか、セルフサービス方式のフードコートかは不明ながら、いずれにせよ、鹿野SAでは食事が可能です。長州どりや、鹿野高原豚、下関のふくなど、美味しいものが頂けるようですので、中国道を走る機会があれば、お立ち寄りを。
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Wikipediaの津軽サービスエリアの記述で「ガソリンスタンド、レストランともに廃止された事例はほかになく、当SAは大規模な縮小」とあるとおり、津軽SAは高速道路民営化によって規模縮小の憂き目にあった代表例だと思うが、全国にある同様の“落ちぶれ”エリアをリストアップしたら、他にもあった。
そもそも、民営化前の日本道路公団の形式だと、
・駐車場
・トイレ
・ハイウェイショップ(軽食)
・レストラン
・ガソリンスタンド
・インフォメーションコーナー
というのが基本セットだったと思うが、民営化されて、形態が多様化しているのも事実。
東名高速 海老名SAを筆頭に、「高速道路で休憩するためのSA(手段)」から「特定の店に行くために高速道路を走って行くSA(目的)」というような感じに、変わり果ててしまっているエリアもあるのは周知のことだろう。
海老名は極端な例にしても、東北道 菅生PAみたいに、フードコートに改装されてレストランと軽食の区別がなくなったエリアも多数。
日本道路公団の仕様であれば、レストランと言えば、ウェイターやウェイトレスを呼んで注文し、料理を持ってきてもらうテーブルサービス方式だったが、菅生PAのフードコートはかつての軽食コーナーと同じセルフサービス形式だ。
首都圏に近いところだと、東北道 羽生PAも同様だが、テーブルサービス方式のレストランからセルフサービス形式のフードコートに変わったエリアまで、レストランが廃止されたエリアと呼んでいいのか微妙である。
ということで、よりわかりやすいガソリンスタンドの存廃を基準に、まずは話を進めたい。
ガソリンスタンドが廃止されたSA・PAの一覧から。
| ガソリンスタンドが廃止されたSA・PA一覧 | 路線名 | エリア名 | 種別 | 上下 区別 | 開設年 | 有人の 売店等 | レストラン | 備考 | 東北 | 津軽 | SA | 上 | 1979 | 維持 | 廃止 | 東北 | 津軽 | SA | 下 | 1979 | 維持 | 廃止 | 東北 | 花輪 | SA | 下 | 1984 | 維持 | 未設 | 秋田 | 西仙北 | SA | 上 | 1991 | 維持 | 廃止 | 秋田 | 西仙北 | SA | 下 | 1991 | 維持 | 廃止 | 磐越 | 阿賀野川 | SA | 上 | 1996 | 維持 | 維持 | 磐越 | 阿賀野川 | SA | 下 | 1996 | 維持 | 維持 | 関越 | 塩沢石打 | SA | 上 | 1984 | 維持 | 未設 | 関越 | 塩沢石打 | SA | 下 | 1984 | 維持 | 未設 | 上信越 | 妙高 | SA | 下 | 1997 | 維持 | 未設 | 北陸 | 栄 | PA | 上 | 1978 | 維持 | 未設 | 給油所は黒埼PAに移転 | 北陸 | 栄 | PA | 下 | 1978 | 維持 | 未設 | 給油所は黒埼PAに移転 | 中央 | 八ヶ岳 | PA | 下 | 1976 | 維持 | 未設 | 名神 | 大津 | SA | 上 | 1963 | 維持 | 維持 | 給油所は草津PAに移転 | 名神 | 大津 | SA | 下 | 1963 | 維持 | 維持 | 給油所は草津PAに移転 | 中国 | 赤松 | PA | 上 | 1974 | 維持 | 未設 | 給油所は西宮名塩SAに移転 | 中国 | 赤松 | PA | 下 | 1974 | 維持 | 未設 | 給油所は西宮名塩SAに移転 | 中国 | 帝釈峡 | PA | 上 | 1978 | 廃止 | 未設 | 中国 | 帝釈峡 | PA | 下 | 1978 | 廃止 | 未設 | 中国 | 吉和 | SA | 上 | 1983 | 維持 | 未設 | 中国 | 吉和 | PA | 下 | 1983 | 維持 | 未設 | 中国 | 鹿野 | SA | 上 | 1980 | 維持 | 維持 | 中国 | 鹿野 | SA | 下 | 1980 | 維持 | 維持 | 宮崎 | 霧島 | SA | 上 | 1976 | 維持 | 維持 | 2014年に給油所復活 | 宮崎 | 霧島 | SA | 下 | 1976 | 維持 | 維持 | 2014年に給油所復活 | 沖縄 | 伊芸 | SA | 上 | 1975 | 維持 | 維持 | 沖縄 | 伊芸 | SA | 下 | 1975 | 維持 | 維持 |
|---|
ご覧の通り、15エリア27か所で、ガソリンスタンドが廃止されている。
復活を遂げたのは、宮崎道 霧島SAのみ。
近隣の別のエリアに移転する形で廃止になっているのは北陸道 栄PAや中国道 赤松PAなど3か所。
それ以外は、おおむね、需要の少なそうなエリアばかり並んでいる。
目立つのは、中国自動車道からリスト入りしたエリアが多いことだ。
山陽自動車道が完成して以来、近畿圏⇔北九州福岡大都市圏の主軸の座から路線ごと退いてしまった感もあるが、それにしても4エリア8か所もガソリンスタンドが廃止というのは衝撃的だ。
帝釈峡PAに至っては、ガソリンスタンドのみならずハイウェイショップまで廃止され、駐車場とトイレのみになっている。
では次に、ハイウェイショップすら廃止され、無人化したエリアが他にないか、見てみよう。

ご覧の通り、7エリア11か所で、無人化されている。
中国道からも帝釈峡PAと湯田PAがリスト入りしているが、首都圏にほど近い関越道でも2エリア3か所が無人化の憂き目に遭っている。
奇しくも、上信越道の開通で、首都圏⇔北陸の主軸の座から転落した関越道 藤岡JCT〜長岡JCTの間に集中しているのは、中国道にも似ている。
中国道の交通量が、山陽道に比べてどの程度少ないか、図にまとめたのが以下の図だ。

神戸JCT〜山口JCTの区間では一目瞭然で、山陽道の交通量が中国道を圧倒しているのがわかる。
後に完成した山陽道によって、先に完成した中国道の需要が悉く奪われてしまったのだ。
山陰方面へアクセスする米子道が分岐する落合JCTあたりまでは需要もあるのか、ガソリンスタンドの廃止されたSAは存在しない。
だが、千代田JCTで浜田道が分岐し、山陽道への連絡路になっている広島道と広島北JCTで別れた後の区間は悲惨である!
島根県唯一の中国道のインターである六日市から山口JCTまでの末端区間平均で、24時間交通量は2,282台まで落ち込んでしまう。
これは、東北道の末端の津軽SAがある青森県内区間の交通量と比べても3分の1以下である。
有人だったPAが無人になってしまうほどの閑散区間というのは、これほどの数字なのである。
余談ながら、サービスエリアであるにもかかわらず、開設当初からガソリンスタンドがないエリアもリストアップしてみた。

弊ブログも大好きな八戸道 折爪SAなど15エリア28か所には開設当初からガソリンスタンドがなかったのである。
最初から無人だったという強者も3エリア6か所。
(あえて具体名は挙げないでおこう…)
最近では、2014年にサービスエリアとして誕生予定だったが、無人なので、しれっとパーキングエリアで開業した圏央道 市原高滝湖PAという、面白いエリアもいるのを見逃さない。
民営化で、地方の閑散区間はサービスが上がるどころか、下がっちゃったというのがよくわかったと思う。
「需要がないから」と言われればそこまでだけれど、もはやショッピングモールみたいになっちゃった東名高速 海老名SAなんかを見ていると、やるせない(いつも混んでるから入る気もしないけれど)。
2015/2/23 追記
読者様のコメントより、鹿野SAのレストランは存続しているのだろうかという疑問が寄せられました。
NEXCO西日本のSA・PA情報サイト「遊・悠・WesT」によれば、鹿野SA(上り/下り)共にレストランのピクトマークが消えており、鹿野SAのレストランはないというのが、NEXCO西日本の見解のようです。
一方で、Googleのストリートビューを見ますと、2014年現在、まだ鹿野SAの標識にはレストランを示す「フォークとナイフ」のマークが残っています。私も首都圏にいますので、なかなか現地に確認に行けないため、確認のしようがないのですが、山口県の方から情報を頂ければ幸いです。なお、テーブルサービス方式のレストランか、セルフサービス方式のフードコートかは不明ながら、いずれにせよ、鹿野SAでは食事が可能です。長州どりや、鹿野高原豚、下関のふくなど、美味しいものが頂けるようですので、中国道を走る機会があれば、お立ち寄りを。
コメント
コメント一覧
ところで前々から疑問だったのですが、中国道の鹿野SAは未だにレストランが存在するのでしょうか?
ネクスコ西日本の案内やブログ等で掲載されている写真だけを見たかぎりでは、せいぜいフードコート、下手するとPAのスナックコーナー(ミニフードコート?)の規模くらいにしか見えないのですが・・・
そうだとすると、この鹿野SAも東北道の津軽SA並みの大幅な規模縮小だと思うのですが。(津軽SAはトイレは縮小されていないが、鹿野SAはトイレもかつて男13、女10あった便器数が男6、女9に縮小されたと聞いていることから、下手すると津軽SA以上の縮小かも)
本来であれば、自分の目で確かめるべきなのかもしれませんが、なにぶんにも金と時間がないものでなかなか行けないでいますので、どなたかご教授いただければ幸いです。
コメントありがとうございます。
鹿野のトイレの情報、笑いましたが、詳細でありがたいです。
ご指摘のとおり、自分もこの記事を書きながら、鹿野SAはレストランが本当に継続しているのか疑問に感じておりました。
結論から先に申しあげますと、レストランは廃止のようです。
記事を書いた当初、レストラン継続と判断した理由は、JSAPAが発行した1999年度版のSA/PAガイドに載っていたレストラン業者名と同じ業者が、現在も鹿野SAで営業していることをNEXCO西日本の資料より確認したことによるものでした。
ただ、本日、NEXCO西日本のサイト「遊悠WEST」を確認したところ、鹿野SAにはレストランのピクトマークがありませんでした。
NEXCO西日本の公式見解として、レストランは既にないものと思われます。
一方で、2014年12月(2か月前です)に撮影されたgoogleストリートビューによれば、鹿野SAの標識にレストランを示すフォークとナイフのマークが残っています。
「Pとコーヒーカップ」はよく見かけますが、「Pとフォーク&ナイフ」だけというのは、鹿野以外で見たことがない絵です。
トイレについては、このところ女性トイレの拡張、これは仕方ないにしても、それと同時に男子トイレの縮小が気になったもので・・・特に山陽道あたりは西に行くにつれてその傾向が強くなるようですので。鹿野SAについては、その流れの延長でSA全体についても気になったもので。(あれ? ここ以前は標準的なSAの施設が揃っていたはずなのにと)
まあ、どのみち普通の趣向ではないのでしょうけど、この手の趣味を持つ輩には少なからずある変わった趣向であると御理解いただければ幸いです。
さて、本題ですが、鹿野SAについては、案内上レストランマークが残っていること、また(ブログ等の写真を見たかぎりでは)施設自体にもレストランの案内は残っているようであること、ウィキペディアの中国道の記事ではレストランがあることになっていること、そしてレストラン、フードコート、食堂、スナックコーナーの定義がこの手のブログを書く方によってまちまちであることなどが、いまだ正確な実態を把握させにくくしているのでしょうね。まあ、前にも書いたように本当は自分の目で確かめることが一番なのでしょうが。
あと、「Pとレストラン」だけのマークについてですが、これは私が知る限りでは、上信越道の藤岡PAと小布施PAでも見ることができます。(こちらはハンドルネームでも想像れきるように、比較的すぐ行ける場所ですので)
結論から言うと、いずれのPAにもPAの施設自体にレストランはありません。特に藤岡PA自体はPとトイレしかありません。
ただ、どちらもハイウェイオアシス(道の駅)併設であるので、「そちらのレストランやフードコートも利用できますので、利用してください」という利用者に対する配慮というかPRから、本来PAの施設でないながらも併記されているのでしょうね。
コメントありがとうございます。
トイレは、こちらの記事(http://blog.livedoor.jp/aomori226/archives/52005718.html)で自分も津軽SAに触れたのですが、まさかコメントないだろうと思っていたら鹿野のトイレの変遷について反応があり、嬉しかったのです。
小布施や藤岡の情報も勉強になりました。
おっしゃるとおり、ハイウェイオアシス利用者に対する配慮というかPRなんでしょうね。
>”レストラン、フードコート、食堂、スナックコーナーの定義がこの手のブログを書く方によってまちまち”
その通りなんですよね。
みなさん、判断に迷っている方が多いかと思います。
民営化前の日本道路公団(JH)時代の道路地図付きエリアガイドをみてみると、レストランの有る無しがハッキリしています。
子供の頃に入手したJHのガイドによれば(今、手元にないので正確な年度は不明ですが)、1990年代前半の時点で、東北道方面で「レストラン」があるエリアは北から順に、津軽SA、岩手山SA、紫波SA、前沢SA、長者原SA、菅生PA、国見SA、安達太良SA、那須高原SA、上河内SA、佐野SA、羽生PA、蓮田SAでした。
当時はまだ、東北道以外では八戸道しか開通しておらず、山形道が村田-宮城川崎と山形北-寒河江しか開通しておらず、秋田道と磐越道は開通区間が全くない時代です。
スナックコーナーは、花輪SAと折爪SA(八戸道)にもあり、当時の東北方面の全SAにスナックコーナーはあったことになっています。
ただ、スナックコーナーと一口に言いましても、花輪SAと岩手山SAと津軽SAでは全然違う形態だったのを覚えています。
レストランが無いとされた花輪SAのスナックコーナーは、首都圏のPAなどで今もよく見られる、そばやラーメン、カレー、丼物などの定食類を提供するセルフサービス式で、座席があるタイプでした。
岩手山SAのスナックコーナーも、花輪SA同様のセルフサービス式で座席があるタイプです。
一方で、岩手山のレストランはハイウェイショップ(売店)を挟んだ先の壁で仕切られた別室にあり、盛岡冷麺など専門的な料理も提供され、スナックコーナーとは独立しておりました。
津軽SAはというと、スナックコーナーはハイウェイショップの一角にあるこじんまりとしたもので、座席がないタイプでした(1つだけ座席があったかもしれません…)。
小さな厨房でフランクフルトやフライドポテトなどの調理はしていましたが、そばやラーメンなどの提供はなく、肉まんなどのホットケース商品とおにぎり、ソフトクリームぐらいのメニューであったと思います。
座席についての食事となれば、スナックコーナーではなく、レストランを利用するほかなかったと記憶しています。
一般的なファミリーレストランと同様、テーブルごとに低い壁で仕切られていて、まさに日本道路公団時代のレストラン然とした雰囲気を醸し出しています。
知らない人と相席で隣り合って食べることになりがちな、スナックコーナーの雰囲気ではありません。
上り線レストラン跡は、クイックガストの撤退後はがらんどうになっていて、ブラインドの隙間から覗くと寂しい限りです。
もしかすると、鹿野SAも、津軽SA下り線のように、日本道路公団時代の「レストラン」の施設を、NEXCO西日本で定義するところの「スナックコーナー・フードコート」という形式に転用しているのかもしれません。
中国道に割引措置とかあれば山陽道からの交通量分散もあるのでしょうけれど、そうでなくてもSAやPAはある程度維持してほしいとも思いますね。
今更ですが、吉和はとうとう無人になってしまいました。
それも有人サービスエリアから無人サービスエリアになった初の事例というおまけ付きで。
鹿野も更に縮小が進み、レストランはそこらのパーキングエリア未満のメニューにまで落ち込み営業時間も11:00〜18:30に、トイレも更に小規模、と小さすぎるパーキングエリア同等、かつて有人としては小さすぎるサービスエリアだった宮崎道・山之口サービスエリアをも下回るところまでいってしまいました。
このままでは鹿野も吉和の2番線かな?
とうとう吉和SAが無人になってしまったのですね。
交通量が非常に少ない区間ではありますが、せめてコンビニの一つでもNEXCOの補助で残せなかったんでしょうかね。
津軽SAや折爪SAが心配になってまいりました……