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 青函圏の航路について調べ物をしていたら、Wikipediaの東日本フェリーのページ聞いたことがない航路が記されていることに気が付いた。

 ・函館港−佐井港

 本当かよ!?
 Wikipediaのスクリーンショットを貼ったが、見てのとおり、Wikiにもこれ以上、詳細が記載がない。


 WEBでも公開されている函館市史も見てみる。

 さすが、開港五港の一つであるし青函連絡船の基地だった函館市だけあり、市史による航路に関する記載内容は相当に詳しい。
 が、函館市史の当該の箇所を探しても「佐井」にフェリーが就航していたという記載は見つからない。


 ということは、Wikipediaか函館市史のどちらかに、間違いか、記載漏れがある、と疑いたくなる。

 そして多くの人は、「Wikiの記載内容が間違っているのではないか」と思うだろう。
 僕もそうだった。

 結論から言うと、両者とも正解なのである。

全日本道路地図 昭文社
 僕が所有している、比較的古い、昭文社の全日本道路地図を引っ張り出してきた。
 左は1981(昭和56)年、右は1993(平成5)年版である。

 子供の頃は、持っている地図に載っていない新しいバイパスや高速道路が開通する度に、「これはもう古い地図だからダメだ」と最新版の地図ばかりに価値を求めていたが、大人になってみて古い地図を捨てないでおいてよかったと思うようになった。
 これを教訓に、ツーリングマップルの関東東北は毎年買い続けているし、他地方も数年に1回は更新しているので、僕が平均寿命まで生きれば、膨大な道路地図のコレクションが出来ているに違いない。

 話がそれたが、これに載っているフェリー航路の一覧表をみてみよう。

1993年 北海道青森フェリー
まずは1993年。

 まだ、野辺地に函館航路が残っている。
 あれ、でももう航路開設済みの大畑−室蘭航路が載っていない。

 そう、結構、昔の昭文社の地図は、テキトーなところもあるのだ。
 今のツーリングマップルだと便数や所要時間まで乗ってたりするが、1993年当時の全日本道路地図にはない。

 次は、遡って1981年をみてみよう。

1981年 北海道青森フェリー
 三厩と福島を結ぶ三福航路や、大間戸井航路も載っている。

 当時を知っている年配の人なら「なんのこっちゃ」と思われるかもしれないが、自分の知らない過去の世界というのは伝説みたいに思えてしまうことがある。
 三福航路は、乗ったことはないけれど見たことがあるのでまだ現実感はある。
 だが、大間−戸井航路となると「歴史の授業で習いました」状態(←習わない)。

 そんな中でも、やはり佐井の文字は無い。

 この段階では、函館港−佐井港の航路に対する僕の認識は、もはや神武天皇の神話に近いものであった。
 ネットで確認できる情報と、自分の持っている資料や知識には限界があるので、やはりこういう時は図書館に頼るに限る。

DSC_0259
 行ってきたのは国立国会図書館

 永田町駅を降りると、デモ対策なのか、歩道がカラーコーンで狭くなっており、そこを2列でチンタラチンタラ塞ぎながら歩く糞ババァ自称・元教職員組合の女教師が3名。
 頼むから、道を譲ってくれ。

 図書館に入ったら入ったで、大音量でスピーカーで音楽を流し始め、館内にも響くほどの爆音。
 図書館のそばは、騒ぐべき場所か、静かにすべき場所か、そんな判断もつかない糞ババァ教職員組合教師が教育現場を牛耳っていたのが東京都の公立小学校か。
 こりゃあ「でもしか先生」と揶揄されるわけだよ。


 そんなわけで迷惑な左翼プロ市民がうるさい中、かつてのフェリーの時刻表やら、航路図やら、佐井村史やら、いろいろ見てきた。

 で、東日本フェリー社史「社史 : 創業より二十年」で、辛うじて収穫をゲット。
 同書より、関係個所を下記に抜粋・引用する。



昭和39年4月:運輸省より函館、青森県大間間に自動車航送船就航認可

同年6月24日:下田船渠(静岡県)から函館に新造船大函丸が到着。25日までに備品装備点検や、接岸テスト実施。

同年6月27日:青森県鶴田町立鶴田中学校の修学旅行生一行(バス5台)が利用、初の旅客輸送。




 これは函館市史なんかにも出てくる通り、日本初の外洋カーフェリーとして産声を上げた大間−函館航路の記録として相違なさそうだ。
(それまでは東京湾とか伊勢湾口など「内湾」のカーフェリーばかりの中で、国際海峡であり波の荒い津軽海峡を渡るのは困難とされていたようで、最短地点の函館と大間が航路として選ばれ、「外洋」と表記したそうだ)

 実は、カーフェリーが就航したのは大函航路の方が青函航路より早いのである。
 とりあえず、昭和39年の時点では、大函航路しか津軽海峡を越えるカーフェリーは存在しないから、まだ佐井には東日本フェリーは就航していないとみてよいだろう。

 ここから、年代順に追ってみていこう。
 しかしである。

 大間に続いてフェリーが就航していく青森、野辺地や、室蘭と結ばれた八戸に関しては社史や函館市史にも詳しく出てくるが、佐井に関しては、以下の社史の一文を除いて詳しい話は出てこない。



昭和40年6月:函館市指定航路 函館大間佐井間を東日本フェリー株式会社に譲渡認可





 これだけ。
 いつから就航し、いつまで就航していたかも、記載がない。

 多分、東日本フェリーにも函館市にも、本当に佐井航路に関する資料は少ないのだろう。

 とりあえず、いったん、資料を基に、ここで青森県と北海道を結んでいたフェリー航路を図にまとめてみる。
青森県⇔北海道 フェリー航路一覧図

青森県⇔北海道 フェリー航路一覧図
【上の地図はクリックで拡大します。】

【現役のカーフェリー航路】
\朕喉糧ヾ
大間⇔函館
H戸⇔苫小牧


【廃止されたカーフェリー航路】
だ朕喉亮射
ヌ酳嫦連糧ヾ
β膣屏慮涌
大間⇔室蘭
大畑⇔室蘭
八戸⇔室蘭
三厩⇔福島


【廃止された旅客船航路】
佐井⇔大間⇔函館



 上図の凡例を見ただけで、真相に気が付いた人もいるだろうか。
 そう、佐井に東日本フェリーが就航していたのは事実なのだ。
 だが、カーフェリーではなかったのだ。


 東日本フェリーの歴代の船舶の資料を入手したので、佐井に就航していた船のデータを以下に記したい。

≪函館大間佐井航路≫

運航会社:東日本フェリー
船名:第2八千代丸
重量:73.3トン
竣工:昭和38年7月 福井造船(青森市)
就航:昭和42年5月1日
全長:22.03m  巾:4.64m  深さ:2.21m
出力:180馬力 最高速度:9.6ノット
定員:2等旅客20名
車両積載可能台数:0
備考:昭和48年6月に売船


 東日本フェリーの社史によると、佐井航路に就航した船として記載があるのは第2八千代丸の1隻のみである。

 スペックを見ればわかる通り、非常に小さい船であったようだ。

 函館市の指定航路時代の資料をまだ調査していないので、いつから佐井に航路があったかは不明だが、少なくとも東日本フェリーによる就航日は昭和42年5月1日である。
 航路名のとおり、佐井と函館を直行せず、大間に寄港していたようだ。
 そして、佐井に就航する後継船の記録がない中、売船記録からみるに、遅くとも昭和48年春までには函館と佐井を結ぶ航路は廃止になっていると思われる。

 推測ではあるが、昭和46年10月には国の離島航路として下北汽船によって青森−佐井に旅客船が就航している。
 この下北汽船の佐井就航に伴い、それまでの函館航路が青森航路に代わられたのではないだろうか。
 言い換えれば、佐井の経済の依存先が函館から青森に代わったタイミングかもしれない。



 とりあえず、今日1日国会図書館で調べ上げたのは以上の内容になる。
 東日本フェリーはご存じのとおり、潰れてしまった会社なので、これから先、社史が更新されることはあり得ない。
 20周年の社史があって良かった、そして函館市史の質の高さに救われている、というのが感想だ。

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