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通称「国鉄五川目線」関連歴史年表
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 三沢駅で駅そばを食った後、ついでだから廃線の探索をすることにした。
 青い森鉄道(東北本線)三沢駅は南西方向に十和田観光電鉄線が分岐していたが、対角の北東方向にも線路が分岐していた。
 三沢駅ホームの青森方の先端まで行くと、踏切越しにその分岐線が見えている(写真左)。
 現役の線路に立ち入るのは違法なので、並行する県道10号で跨線橋の上に行き、八戸・上野方を振り返ると一番左(東)側に古びた線路が草生しているのが見える(写真右)。
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 跨線橋上から青森方に伸びていく青い森鉄道線を見ていると、右(東)側に分岐していく古い線路が、製材所や民家の裏手の藪の中に消えていく(写真左)。
 あまり手前から強行突破すると現役の線路に立ち入ってしまうし、製材所の中に不法侵入するのもまずいし、どこから入ろうか。
 製材所や民家を過ぎたところで、道路が線路に接近する場所があったので、そこから古い線路上に入ると、藪越しに現役の青い森鉄道線の上り線が見えた(写真右)。
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 一度、古い線路を三沢駅方面に戻ってみるが、製材所裏手に強烈な藪(写真左)。20代の頃は「エイヤァッ!!」で藪に入れたのに、妻子持ちの三十路になると突撃がためらわれる。
 というか、オオスズメバチセグロアシナガバチが飛んでるのだ。この藪は、こいつらの餌になる昆虫の宝庫なのだろう・・・・・・
 入るのをやめようと引き返す途中、右のふくらはぎにチクッという痛みが。すぐさま道路に戻り、ズボンの裾を上げて刺された場所を見るが、この時は刺された痕跡がなかった。
 まあ、いいか、とりあえず先に進むことに(写真右)。
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 よくわからないが、「1/2」と書かれた標柱が立っている(写真左)。たぶんだが、三沢駅から500mということでいいのだろうか。
 さて、タイトルにも書いたが、これは2006年まで現役稼働していた米軍三沢基地の専用線であった。また、戦中戦後の僅かな期間だけ、砂鉄を運搬するため海岸の五川目とを結ぶ国鉄五川目線(こくてつ いつかわめ せん)の通称で呼ばれていた時期もあった(1947年には五川目の線路は廃止になっていたという話もある)。500m地点は芝生が線路と一体化したような状況になっている。もう一度、三沢駅の方向を振り返って撮影(写真右)。
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 徐々に北東側へ進路を取って行く米軍専用線は進行方向右へとカーブしていく(写真左)。
 先ほどまでの藪や芝生ゾーンに比べればレールも見えているが、それでも所々に雑草が深くかぶさっている部分も多く、レールの錆からも廃線であることが意識させられた。
 僕が大学に合格し、入学手続きで上京した時は寝台特急はくつるで青森駅から向かったが、盛岡を過ぎた途端に乗り心地が悪くなるのがわかった。当時の東北本線は、秋田新幹線の在来線区間と変わらぬ最高速度130km/hを誇る特急スーパーはつかりが盛岡青森間を運行していた。それが、盛岡以南では特急が走っていないせいか、明らかにレールから軋む音が聞こえてきたり、上下に振動することが多くなったのである。やはり、当時の東北本線盛岡以北で高速走行を担保するためには盛岡以南のもの以上のメンテナンスが欠かせず、それが盛岡を境にまるで違う乗り心地を生んだように思う。
 放置された米軍専用線のレールも劣化しているようだが、ここで何だか新しそうな線路が見えてきた(写真右)。

2へつづく

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