「太平洋側出身者と日本海側出身者で分かれてくれ」

 十年以上も前だが、大学の講義で言われた。
 困ったのが北見出身と、奄美大島の名瀬出身の同級生。

 「オホーツク海側と東シナ海側の人は日本海側に入ってくれ」

 都内の大学なので圧倒的に太平洋側出身者が多く、人数のバランスの都合でそう分けられたのだが、実は二十歳を過ぎたばかりの青森市出身の小生も「む、陸奥湾はどっちなんだ?」と迷っていたのである。

 青森市は太平洋側なのか、日本海側なのか?
●地形的には太平洋側である青森市


 本州を上空真上から見たとき、降った雨水が太平洋に注ぐか日本海に注ぐか、それを分かつ嶺々を中央分水嶺と呼ぶ。
 中央分水嶺を挟んで、雨水を集めた川が太平洋に注ぐ地域は太平洋側、逆に日本海に注ぐ地域は日本海側という考え方になる。

 もっとも、日本山岳会がそうであるように、中央分水嶺は本州のみならず九州南端の佐多岬から北海道の宗谷岬まで繋がっているという捉え方もできる。
 九州であれば、日本海側というよりは東シナ海側と言った方が適切な地域も多いように思う(長崎や熊本、鹿児島西部など)が、では北海道まで繋がっているという中央分水嶺は津軽海峡をどこで繋がっているのかという疑問にたどり着こう。

 その答えは、「竜飛崎から白神岬にかけての海底を通過している」であるから、津軽半島と松前半島を中央分水嶺が通過していることになる。

 つまり、四ツ滝山や袴腰岳、馬ノ神山などを擁する津軽中山山脈は、太平洋側日本海側を分かつ、中央分水嶺ということになる。

 ということは、陸奥湾側が太平洋側に属するということになる。

 青森平野を流れる荒川(堤川)、駒込川、野内川、沖舘川、新城川などはいずれも陸奥湾に注ぐのは疑う余地がない。

 地形的にみれば、青森市は太平洋側ということになる。


 ただし、旧南津軽郡浪岡町の地域は日本海側である。

 浪岡地区を流れている大釈迦川や浪岡川は、十川を経て五所川原で岩木川に合流する。
 岩木川は十三湖で日本海に注ぐので、紛れもなく岩木川水系に属する旧浪岡町は日本海側である。

 こう考えてみると、青森市と浪岡町の合併というのは中央分水嶺を挟んで太平洋側日本海側の自治体が合併したケースだと言える。
●県境・旧藩境や文化圏とは必ずしも一致していない中央分水嶺

 ここで、中央分水嶺を引いた青森県周辺の地図を載せてみる。

中央分水嶺青森付近
【地図はクリックで拡大します。】


●太平洋側に食い込んでいる(?)津軽領

 よく、青森県の津軽と南部の説明でありがちなのが、日本海側の津軽太平洋側の南部というものだ。
 しかし、中央分水嶺で分けた場合に太平洋側とされてしまう青森市や東津軽郡は津軽領(平内が黒石藩、それ以外が弘前藩)である。

 言語でみても、平内の狩場沢までは津軽弁だが、藩境を越えて野辺地の馬門に入ると南部の方言になる。
 平内の人が野辺地に買い物に行って意思疎通ができないというほど違うこともないが、言語は藩境できれいに分かれているように思う。

 これは藩政時代に、藩境で人の行き来を制限していたからなのかと思う。
 文化面でみても、北は竜飛、西は岩崎に至るまでの津軽一円で実施されているお山参詣(金子直樹1998「岩木山における参詣登山道の歴史的変遷」)があるが、それも平内が東端であり、野辺地には及ばない。

 方言や風俗(エロい店じゃないぞ)の境界にもなっている津軽・南部の藩境でみると、文化的には藩境太平洋側日本海側を分けていると言えなくもない。

 水の流れる方向で分別する中央分水嶺の考え方は明快だが、文化的な事象を検討すると複雑化してしまうのだ。
●秋田・岩手の県境も複雑だった

 もう一度、上の地図の十和田湖の周辺をご覧いただきたい。
 ご存じのとおり、十和田湖の水は奥入瀬川を経由して太平洋に注ぐため、十和田湖のカルデラ外輪山が中央分水嶺を構成することになり、十和田湖は太平洋側という扱いになる。

 十和田湖岸の子ノ口、宇樽部、休屋は青森県十和田市(旧十和田湖町)なので太平洋側でしっくりくると思うが、秋田県側の和井内や銀山(小坂町)も太平洋側だと言われれば違和感を覚える人も多いのではないか。



 十和田湖外輪山の次は、青森・秋田県境の東側を中央分水嶺が縦断している。
小国川という、いずれ米代川に合流し能代で日本海に注ぐ川の最上流部が青森と秋田の県境になっているのだ。
 さらに南下すると、同じく米代川水系の大清水川も源流が青森県田子町に位置しており、ここでも県境と中央分水嶺が一致していない。

 非常に意外に思う人もいると思うが、新郷村西端の迷ヶ平や三戸町の小国牧場付近、田子町の白萩平は地形的には日本海側である。
 西端のごくわずかな部分とはいえ、三戸郡の一部が日本海側だと言われたら、これも違和感がある。



 青森・秋田・岩手の三県境の四角岳付近では県境と中央分水嶺が一致しているが、それより南の旧安代町に着目すると、中央分水嶺が岩手県側にかなり広い範囲で食い込んでいる地域が見える。
分水嶺トンネル
【写真はGoogleストリートビューより引用、クリックで拡大します。】

 この写真は東北自動車道鹿角八幡平→安代方向の梨木トンネルの手前である。
 この「分水嶺」と書かれた標識に見覚えがあるという、青森県民や秋田県民も少なくなかろう。

 安代は、町の西側の田山などは米代川が遠く能代の日本海まで流れているが、町の中心部である荒屋新町付近を流れている安比川はいずれ馬淵川に合流し、八戸で太平洋に注ぐのである。

 東北道の標識が示す通り、県境でもない場所を中央分水嶺が通過しており、国道282号貝梨峠東北道は梨ノ木峠の下を梨木トンネルで通過しているのだ。


()2017年11月10日追記
最初の投稿から2年ほど経ちますが、秋田と岩手の分水嶺について訂正を行いました。

八幡平分水界
【地図はクリックで拡大します。】

 本記事投稿当初の地図では、貝梨峠付近から南に下がる中央分水嶺線を途中から旧安代町と旧松尾村の境界線をなぞるように描いておりましたが、米代川水系の兄川の最上流部の倉形沢の源流は八幡平の見返峠の北方1km付近にあることに気が付き、訂正するものです。

(見返峠から岩手県側の八幡平アスピーテライン。進行方向は秋田県方面。右手が八幡平の外輪山)

 八幡平のシンボル的な火口湖の一つである八幡沼の所在地は岩手県ですが、八幡沼の水面の標高が1567m(地理院地図で39度57分22.71秒 140度51分42.50秒の情報)であるのに対し、八幡沼の南側に位置するアスピーテ式の外輪山の標高の方が高く(地理院地図で39度57分10.11秒 140度51分32.39秒に位置する見返峠が1597m)なっております。
 十和田湖にとっての奥入瀬川のような常時流出河川は八幡沼には無いものの、何らかの要因で水量が増加して溢水する場合には、南側のアスピーテ外輪山より標高の低い北側の米代川水系の倉形沢に水が流出するだろうと考えます。
 以上より、八幡沼は岩手県に所在しますが、地形的には日本海側に位置する湖沼であろうと考えます。

●秋田の「南部」鹿角地方

 秋田県北東部の鹿角市と小坂町で構成される鹿角地方は、かつて南部氏の領土であった。
 秋田県にありながら旧出羽国ではなく旧陸奥国に属しており、明治維新後の奥羽分割後も羽後ではなく陸中であった。

 三戸や田子のごく一部が日本海側というレベルではなく、鹿角はほぼ全域が日本海側と言ってよい地域である。
 水田が広がる豊饒な鹿角盆地の景観を見ていると、ヤマセによる冷害・飢饉常襲地帯で寒村が点在する岩手の南部領とは似ても似つかず、大館や鷹巣と同じように秋田の一部と僕には見えるが、実際に昔から鹿角に住んでいる人たちの中では秋田より盛岡への帰属意識が強かったり、秋田市からみれば鹿角は秋田県っぽくないように見えるという人もいるようだ。

 三戸から峠を隔てた鹿角は実際に南部氏にとって生命線となる食糧生産地だったのか、鹿角の領有をめぐっては南部晴政と安東愛季が何度も激戦を繰り広げている。

 現在の帰属は秋田県であるし、中央分水嶺の考え方でも鹿角は日本海側と言えると思うが、かつて陸奥国に属し南部領の時代が続いたという歴史的背景や文化をみると、ここもまた簡単には日本海側と言いにくい雰囲気があるように思う。


 北奥羽地方においては、太平洋側日本海側を分けるというのは意外と複雑であり、単純なものでもないようである。

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