北海道では旭川市から西武が消え、岩手県では花巻市からマルカンが消えるとニュースが出た。
旭川の方は、道新が3月2日の記事「道北唯一の百貨店、西武旭川が撤退検討 近く最終判断」の中で“社内には存続論もあるとされ、時期などを含めてなお慎重に判断するとみられる。”と書いており、楽観的な見通しも無かったわけではなかっただけに衝撃が大きいように感じる。
ちなみに2009年の5月9日には同じく道新が報じた「旭川西武存続へ 丸井閉店で採算にめど(リンク消滅)」と言う記事内で“競合する丸井今井旭川店が七月二十日に閉店することで、採算が見込めると判断した。”とある。
競合する丸井今井が撤退したから西武旭川は存続可能、と判断されたわけだが、わずか7年でどちらも消滅ということになってしまう。
これは旭川に縁もゆかりもない人間が見ても衝撃的な内容だ。
北海道では「道北から百貨店が消える」と騒いでいるわけだが、旭川市は北日本で第4の人口を持つ都市であり、仙台以外の東北の全ての県都より人口が多い都市だ。
花巻は平成の大合併で一度人口10万を超えたが9万人台に衰退しており、合併前のもともとの人口は約7万の都市。
花巻市自体の人口が少ない上、岩手県のプライメイトシティである盛岡まで40kmと離れておらず、よくぞここまでマルカン百貨店が耐えたなという印象。
東北で花巻と同程度の規模の都市からは悉く百貨店が姿を消しているので、寂しさを覚える。
おそらく、旭川や花巻のみならず、他にも百貨店が消えかかっている都市があるに違いない。
気になったので、いわゆる全国の「地方都市」と呼ばれる所の、百貨店の立地状況をまとめてみた。
■ 主要地方都市の人口と百貨店所在状況
●人口は2015年の国勢調査による。
●百貨店は2016年3月9日現在で日本百貨店協会加盟のもののみを掲載。
●関東1都7県と中京3県(愛知・岐阜・三重)と近畿2府5県を3大都市圏とし、あてはまらない県を「地方」と定義した。
●「地方」のうち、北日本(北海道・東北)の7道県は百貨店が所在する全市を掲載し、それ以外の県では政令指定都市、県庁所在地、中核市・特例市のみ掲載。
『元祖地方100万都市』の札幌・広島・北九州・福岡でみれば、だいたい人口35万人前後で百貨店1店舗くらいだろうか(ちょっと広島が多すぎる気がして調べてみたら、見た感じ百貨店というよりショッピングモールみたいな所もある)。
山形の県境まで合併しまくったインチキ100万都市仙台も36万と、元祖の皆様と似たような数値だ。
まあ、都市の周辺にどれだけの人口(都市圏人口、商圏人口)があって集まってくるかというのも重要なファクターになるだろうから、市の人口だけで論ずることの乱暴さは認識している。
ビックリした人もいるかもしれないが、県庁所在地でも百貨店が1つしかないという都市は少なくない。
それどころか、札幌、仙台に次ぐ北日本第三都市の座を旭川と長らく争ってきた人口34万の福島県いわき市には百貨店が既に存在しない。
とはいえ、あくまで日本百貨店協会に加盟している百貨店だけを抽出したので、非加盟の百貨店はほかにもある。
一例を挙げれば経営再建中の中三は日本百貨店協会を脱会しているが、青森と弘前の店舗が営業中だし、むつには松木屋の他にかつて百貨店を名乗ったマエダ本店も健在だ。
上の表に載っているのだけが百貨店なわけではない。
だが、人口70万を誇る九州第三の都市・熊本ですら、今や鶴屋百貨店の1店舗しかないという現実もある。
僕は2014年に熊本市から天草までバスの旅をしたが、出発点が県民百貨店のバスターミナルだった。
その当時すでに県民百貨店の閉店は熊本で話題に上がっていたが、「こんなに客がいて立派なデパートなのに潰しちゃうのか」と率直に思った。
“こんなに客がいて”というのは、具体名を挙げて迷惑をかけるとあれなので書かないが、僕の地元の青森の某百貨店との比較だ。
それからおよそ半年後の2015年春、熊本の県民百貨店は本当に閉店してしまった。
政令指定都市でもある熊本でさえ、百貨店を1店舗しか維持できないという現実はショックだった。
繰り返しになるが、上の表に載っているのだけが百貨店なわけではない。
ためしにGoogle先生に「○○市 デパート」と入れれば、たくさん出てくる場合もある。
熊本についてGoogle先生に言わせれば、関連ワードで熊本パルコも出てくる。
さて、街から百貨店が消えるということについて、まだ20年に満たない僕のインターネット人生で最も印象的な文章を丸ごと引用したい。
それは秋田県大館市の新聞社「あきた北新聞」が2001年7月4日に発表したコラム。
秋田県大館市は平成の大合併前の人口が約7万弱。
秋田県内陸北部に位置する秋田県第二の都市で、冒頭で述べた花巻市と似た規模だ。
大館は秋田県北部の拠点都市であるが、花巻が盛岡に近いのと同様、大館も弘前に近いためより大きな都市との間で競争にさらされている。
そんな大館市唯一の百貨店であった「正札竹村」は2001年に経営破綻した。
以下に、あきた北新聞のコラムを全文引用して紹介したい。
できれば、「大館」を自分の故郷の都市名(あるいは故郷の最寄りの都市名)、「正札竹村」を故郷の百貨店の名前に置き換えて読んでみてほしい。
灯火が消えた
大館の街から、また一つ灯火(ともしび)が消えた。老舗デパート「正札竹村」。「(経営が)もう危ない」とは、以前から耳にしていたことだが、本当に灯りが消えてしまうと何とも寂しい。高校生などを含めてコンビニ世代の若者たちはどう思うかはわからないが、一定の年齢(例えば40代以上)の市民にとって正札竹村という存在は、デパートというだけではない、「そこになくてはならないもの」だったように思える。ある意味では市役所以上に「大館の顔」だったのではないか。それが失われてみると、ぽっかりと空洞ができてしまったようである。
30数年前に正札竹村のレストランで食べたお子様ランチ。数百人が座れるそのレストランはいつも混みあっていて、席が空くのを半ば並ぶようにして待っていた。家族でそのレストランに来るのが楽しみで、まだ幼稚園児だった私にはこんもりとしたチャーハンに日本国旗を刺したお子様ランチがお気に入りのメニューだった。そして、忘れてならないのは正札竹村の屋上には小さな遊園地があったこと。10円玉を入れると前後に動き出す馬もあったし、市街を一望できる望遠鏡もあった。なぜか、それらの光景を今も忘れずにいる。
大学入学で数日後に上京するという日、東京での暮らしに当面必要なものを正札竹村で買い揃えた。その時、まだ学生だけど必要なこともあろうと母が初めてのネクタイを買ってくれた。私が選び、店員さんに包装してもらった。花柄をあしらった品位を感じさせる包装紙。その包装紙はいつまでも変わらなかった。社会人になって一丁前にお中元やお歳暮を贈るようになると、決まって正札竹村の贈答品コーナーに出かけた。ある高校長の言葉が思い出される。「お中元やお歳暮は、贈るも貰うも正札竹村ですよ。何ていうのかな、ステータスなんだろうね。正札竹村の包装紙の贈答品が届くと贈った方の品格みたいなものが伝わってきて、こちらまでウキウキしてしまう。○○や○○の包装紙では、同じ品物でもちゃちな感じがしてうれしくないんだよ」と。若い世代は別として、中高年層になるとそれは本音なのだ。
今まさに断腸の思いであろう岩谷隆史社長には、部長時代に取材で何度かお目にかかった。物腰の柔らかい人だった。取材に対しては一つ一つ丁寧に答え、写真撮影でもこまやかな配慮をしてくれた。みずから贈答品コーナーに立って接客をし、お客さんに深々と頭を下げていた。150年続いた老舗中の老舗の看板を自分の手でおろすことになろうとは、当時の岩谷さんは想像だにしなかったに違いない。
前社長の竹村博義氏宅にもお邪魔したことがある。あの時は竹村社長への取材でなく、何かのサークル活動の取材だったのか、夫人への用向きだった。大館随一の名門中の名門なのでいかほどの豪邸に住んでいるのかと思いきや、いざお邪魔してみると豪邸などと呼べる屋敷ではなく、むしろ質素だったのに驚かされた。その質素な家もまた人手に渡るのかと思うと、何とも気の毒でならない。
郊外型大型スーパーやコンビニの攻勢など時代の趨勢に対応できる経営体質を構築ではなかった正札竹村の経営陣の責任は大きい。しかし、結果的に倒産に追い討ちをかけたのは東北経済産業局、つまり経済産業省、もっとひらたくいえば政府だったのかも知れない。正札竹村の関連会社である正札竹村友の会が発行している商品券が割賦販売法に抵触の恐れあり、とのことで、東北経済産業局は先月27日に新会員の契約禁止命令で7月18日に聴聞会を開く旨の公示をした。28日付の新聞等でその事実を知った会員らの多くが続々と脱会し、一気に正札竹村の屋台骨を揺るがせた。
掛け金への不安から脱会に走る消費者の心理は理解できる。「結果的に東北経済産業局が倒産の糸口になったのではないか。どうしても公示という手段を取らざるを得なかったのか」という市民は少なくない。割賦販売法第44条に基づく措置。しかし法律はどうあれ、東北経済産業局が「公示」という手段を取ったことによって、かろうじて正札竹村にとどまっていた運転資金が一気に流出し、骨抜き状態にしてしまったことは否定のしようがない。同局の担当課職員は「倒産は私らの本意ではないのです。大切にしたかったのは消費者の保護です」といった。確かに、彼らは公務を忠実に果たしただけなのだ。それが結果的に倒産に拍車をかけてしまった。
ふるさとの百貨店を倒産に追い込んだ責任の一端は、私ら消費者にもあるのかも知れない。買い物といえば御成町や郊外の大型スーパー、コンビニに足を運び、最近は正札竹村のエスカレーターに乗ることすらなくなった、という消費者は意外に多いのではないか。要するに、古びたデパートなど見向きもしなくなったのである。平日に入ってみると従業員が気の毒なほど客の姿がなくて、と誰かがいっていた。極度の販売不振。ふるさとのデパートを大切にする気持ちが私ら消費者に少しでも残っていたら、正札竹村は今月、21世紀最初のお中元コーナーを開設できたかも知れない。20世紀の遺産と化した正札竹村。遺されたあの建物を最大限に有効活用しない限り、大町通りもまた、闇の中に沈んでいくのは避けられない。
2001年7月4日のあきた北新聞社コラムより以上引用
上の文章の著作権は、あきた北新聞社に帰属します。
(あきた北新聞社様、全文引用に問題がある場合は即削除しますのでコメント欄まで連絡ください。)
僕にとっての大館は五所川原、正札竹村は五所川原中三になる。
五所川原中三も、もう無い。
だが、中三のレストラン街で食べたお子様ランチとクリームソーダの記憶は今もハッキリある。
高校時代、青森市にはビブレ(旧カネ長武田、現さくら野)、青森中三、松木屋と百貨店が3店舗あったが、松木屋は閉店してもう10年以上になる。
高校時代の青森ビブレといえば、隣の成田本店とあわせて店舗前には駐輪スペースが完全に埋まるほど高校生の自転車が停まっていたが、昨年青森に帰ったらガラガラだった。
青森市にはさくら野のほかに経営再建中とはいえ中三を合わせて2つの百貨店がまだあるが、青森市より規模が大きい旭川市からは百貨店が消滅する。
自分の街から百貨店が消える、というのはなんとも表現のしがたいやるせなさがある。
ふらっと別の地方の街に行った時、故郷のそれと似た百貨店を発見すると、幼い時分の記憶の中の百貨店に似た面影に、涙が出てきそうなほど懐かしさを覚えることもある。
それを求めて、GWあたり花巻のマルカンにソフトクリームだけ食べに行こうかと構想を練っていたりした。
僕は旭川にも花巻にも縁もゆかりもない。
なのに、西武旭川とマルカンが潰れるというのが、とても悲しい。
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旭川の方は、道新が3月2日の記事「道北唯一の百貨店、西武旭川が撤退検討 近く最終判断」の中で“社内には存続論もあるとされ、時期などを含めてなお慎重に判断するとみられる。”と書いており、楽観的な見通しも無かったわけではなかっただけに衝撃が大きいように感じる。
ちなみに2009年の5月9日には同じく道新が報じた「旭川西武存続へ 丸井閉店で採算にめど(リンク消滅)」と言う記事内で“競合する丸井今井旭川店が七月二十日に閉店することで、採算が見込めると判断した。”とある。
競合する丸井今井が撤退したから西武旭川は存続可能、と判断されたわけだが、わずか7年でどちらも消滅ということになってしまう。
これは旭川に縁もゆかりもない人間が見ても衝撃的な内容だ。
北海道では「道北から百貨店が消える」と騒いでいるわけだが、旭川市は北日本で第4の人口を持つ都市であり、仙台以外の東北の全ての県都より人口が多い都市だ。
花巻は平成の大合併で一度人口10万を超えたが9万人台に衰退しており、合併前のもともとの人口は約7万の都市。
花巻市自体の人口が少ない上、岩手県のプライメイトシティである盛岡まで40kmと離れておらず、よくぞここまでマルカン百貨店が耐えたなという印象。
東北で花巻と同程度の規模の都市からは悉く百貨店が姿を消しているので、寂しさを覚える。
おそらく、旭川や花巻のみならず、他にも百貨店が消えかかっている都市があるに違いない。
気になったので、いわゆる全国の「地方都市」と呼ばれる所の、百貨店の立地状況をまとめてみた。
■ 主要地方都市の人口と百貨店所在状況
| 都市名 | 店舗数 | 人口 | 所在百貨店 | 市 総数 | 1店舗あたり | 札幌市 | 5 | 1,953,784 | 390,757 | 丸井今井、札幌三越、大丸、東急、丸ヨ池内 | 旭川市 | 1 | 339,797 | 339,797 | 西武 | 函館市 | 2 | 266,117 | 133,059 | 棒二森屋、丸井今井 | 帯広市 | 1 | 168,057 | 168,057 | 藤丸 | 青森市 | 1 | 287,622 | 287,622 | さくら野 | 八戸市 | 2 | 231,379 | 115,690 | さくら野、三春屋 | 弘前市 | 1 | 177,549 | 177,549 | さくら野 | 盛岡市 | 1 | 297,669 | 297,669 | 川徳 | 花巻市 | 1 | 97,771 | 97,771 | マルカン | 北上市 | 1 | 93,591 | 93,591 | さくら野 | 仙台市 | 3 | 1,082,185 | 360,728 | さくら野、三越、藤崎 | 秋田市 | 1 | 315,374 | 315,374 | 西武 | 大仙市 | 1 | 82,773 | 82,773 | タカヤナギ | 山形市 | 2 | 252,453 | 126,227 | 大沼、十字屋 | 米沢市 | 1 | 86,010 | 86,010 | 大沼 | 福島市 | 1 | 294,378 | 294,378 | 中合 | 郡山市 | 1 | 335,608 | 335,608 | うすい | 新潟市 | 2 | 810,514 | 405,257 | 伊勢丹、三越 | 富山市 | 1 | 418,900 | 418,900 | 大和 | 金沢市 | 2 | 465,810 | 232,905 | めいてつ・エムザ、大和 | 福井市 | 1 | 266,002 | 266,002 | 西武 | 甲府市 | 1 | 193,123 | 193,123 | 岡島 | 長野市 | 1 | 377,803 | 377,803 | 東急 | 松本市 | 1 | 243,383 | 243,383 | 井上 | 静岡市 | 2 | 705,238 | 352,619 | 伊勢丹、松坂屋 | 浜松市 | 1 | 798,252 | 798,252 | 遠鉄 | 鳥取市 | 1 | 193,766 | 193,766 | 大丸 | 松江市 | 1 | 206,407 | 206,407 | 一畑 | 岡山市 | 2 | 719,584 | 359,792 | 高島屋、天満屋 | 倉敷市 | 1 | 477,435 | 477,435 | 天満屋 | 広島市 | 7 | 1,194,507 | 170,644 | 天満屋(2)、そごう、三越、福屋(3) | 福山市 | 2 | 465,004 | 232,502 | 天満屋(2) | 山口市 | 1 | 197,502 | 197,502 | 井筒屋 | 下関市 | 1 | 268,617 | 268,617 | 大丸 | 徳島市 | 1 | 258,602 | 258,602 | そごう | 高松市 | 1 | 420,943 | 420,943 | 三越 | 松山市 | 2 | 515,092 | 257,546 | 伊予鉄高島屋、三越 | 高知市 | 1 | 337,360 | 337,360 | 大丸 | 北九州市 | 3 | 961,815 | 320,605 | 井筒屋(3) | 福岡市 | 4 | 1,538,510 | 384,628 | 岩田屋、三越、大丸、博多阪急 | 佐賀市 | 1 | 236,398 | 236,398 | 玉屋 | 長崎市 | 1 | 429,644 | 429,644 | 浜屋 | 佐世保市 | 1 | 255,648 | 255,648 | 玉屋 | 熊本市 | 1 | 741,115 | 741,115 | 鶴屋 | 大分市 | 2 | 478,335 | 239,168 | トキハ(2) | 宮崎市 | 1 | 401,156 | 401,156 | 山形屋 | 鹿児島市 | 1 | 600,008 | 600,008 | 山形屋 | 那覇市 | 1 | 319,449 | 319,449 | リウボウ |
●百貨店は2016年3月9日現在で日本百貨店協会加盟のもののみを掲載。
●関東1都7県と中京3県(愛知・岐阜・三重)と近畿2府5県を3大都市圏とし、あてはまらない県を「地方」と定義した。
●「地方」のうち、北日本(北海道・東北)の7道県は百貨店が所在する全市を掲載し、それ以外の県では政令指定都市、県庁所在地、中核市・特例市のみ掲載。
『元祖地方100万都市』の札幌・広島・北九州・福岡でみれば、だいたい人口35万人前後で百貨店1店舗くらいだろうか(ちょっと広島が多すぎる気がして調べてみたら、見た感じ百貨店というよりショッピングモールみたいな所もある)。
山形の県境まで合併しまくった
まあ、都市の周辺にどれだけの人口(都市圏人口、商圏人口)があって集まってくるかというのも重要なファクターになるだろうから、市の人口だけで論ずることの乱暴さは認識している。
ビックリした人もいるかもしれないが、県庁所在地でも百貨店が1つしかないという都市は少なくない。
それどころか、札幌、仙台に次ぐ北日本第三都市の座を旭川と長らく争ってきた人口34万の福島県いわき市には百貨店が既に存在しない。
とはいえ、あくまで日本百貨店協会に加盟している百貨店だけを抽出したので、非加盟の百貨店はほかにもある。
一例を挙げれば経営再建中の中三は日本百貨店協会を脱会しているが、青森と弘前の店舗が営業中だし、むつには松木屋の他にかつて百貨店を名乗ったマエダ本店も健在だ。
上の表に載っているのだけが百貨店なわけではない。
だが、人口70万を誇る九州第三の都市・熊本ですら、今や鶴屋百貨店の1店舗しかないという現実もある。
僕は2014年に熊本市から天草までバスの旅をしたが、出発点が県民百貨店のバスターミナルだった。その当時すでに県民百貨店の閉店は熊本で話題に上がっていたが、「こんなに客がいて立派なデパートなのに潰しちゃうのか」と率直に思った。
“こんなに客がいて”というのは、具体名を挙げて迷惑をかけるとあれなので書かないが、僕の地元の青森の某百貨店との比較だ。
それからおよそ半年後の2015年春、熊本の県民百貨店は本当に閉店してしまった。
政令指定都市でもある熊本でさえ、百貨店を1店舗しか維持できないという現実はショックだった。
繰り返しになるが、上の表に載っているのだけが百貨店なわけではない。
ためしにGoogle先生に「○○市 デパート」と入れれば、たくさん出てくる場合もある。
熊本についてGoogle先生に言わせれば、関連ワードで熊本パルコも出てくる。
さて、街から百貨店が消えるということについて、まだ20年に満たない僕のインターネット人生で最も印象的な文章を丸ごと引用したい。
それは秋田県大館市の新聞社「あきた北新聞」が2001年7月4日に発表したコラム。
秋田県大館市は平成の大合併前の人口が約7万弱。
秋田県内陸北部に位置する秋田県第二の都市で、冒頭で述べた花巻市と似た規模だ。
大館は秋田県北部の拠点都市であるが、花巻が盛岡に近いのと同様、大館も弘前に近いためより大きな都市との間で競争にさらされている。
そんな大館市唯一の百貨店であった「正札竹村」は2001年に経営破綻した。
以下に、あきた北新聞のコラムを全文引用して紹介したい。
できれば、「大館」を自分の故郷の都市名(あるいは故郷の最寄りの都市名)、「正札竹村」を故郷の百貨店の名前に置き換えて読んでみてほしい。
大館の街から、また一つ灯火(ともしび)が消えた。老舗デパート「正札竹村」。「(経営が)もう危ない」とは、以前から耳にしていたことだが、本当に灯りが消えてしまうと何とも寂しい。高校生などを含めてコンビニ世代の若者たちはどう思うかはわからないが、一定の年齢(例えば40代以上)の市民にとって正札竹村という存在は、デパートというだけではない、「そこになくてはならないもの」だったように思える。ある意味では市役所以上に「大館の顔」だったのではないか。それが失われてみると、ぽっかりと空洞ができてしまったようである。
30数年前に正札竹村のレストランで食べたお子様ランチ。数百人が座れるそのレストランはいつも混みあっていて、席が空くのを半ば並ぶようにして待っていた。家族でそのレストランに来るのが楽しみで、まだ幼稚園児だった私にはこんもりとしたチャーハンに日本国旗を刺したお子様ランチがお気に入りのメニューだった。そして、忘れてならないのは正札竹村の屋上には小さな遊園地があったこと。10円玉を入れると前後に動き出す馬もあったし、市街を一望できる望遠鏡もあった。なぜか、それらの光景を今も忘れずにいる。
大学入学で数日後に上京するという日、東京での暮らしに当面必要なものを正札竹村で買い揃えた。その時、まだ学生だけど必要なこともあろうと母が初めてのネクタイを買ってくれた。私が選び、店員さんに包装してもらった。花柄をあしらった品位を感じさせる包装紙。その包装紙はいつまでも変わらなかった。社会人になって一丁前にお中元やお歳暮を贈るようになると、決まって正札竹村の贈答品コーナーに出かけた。ある高校長の言葉が思い出される。「お中元やお歳暮は、贈るも貰うも正札竹村ですよ。何ていうのかな、ステータスなんだろうね。正札竹村の包装紙の贈答品が届くと贈った方の品格みたいなものが伝わってきて、こちらまでウキウキしてしまう。○○や○○の包装紙では、同じ品物でもちゃちな感じがしてうれしくないんだよ」と。若い世代は別として、中高年層になるとそれは本音なのだ。
今まさに断腸の思いであろう岩谷隆史社長には、部長時代に取材で何度かお目にかかった。物腰の柔らかい人だった。取材に対しては一つ一つ丁寧に答え、写真撮影でもこまやかな配慮をしてくれた。みずから贈答品コーナーに立って接客をし、お客さんに深々と頭を下げていた。150年続いた老舗中の老舗の看板を自分の手でおろすことになろうとは、当時の岩谷さんは想像だにしなかったに違いない。
前社長の竹村博義氏宅にもお邪魔したことがある。あの時は竹村社長への取材でなく、何かのサークル活動の取材だったのか、夫人への用向きだった。大館随一の名門中の名門なのでいかほどの豪邸に住んでいるのかと思いきや、いざお邪魔してみると豪邸などと呼べる屋敷ではなく、むしろ質素だったのに驚かされた。その質素な家もまた人手に渡るのかと思うと、何とも気の毒でならない。
郊外型大型スーパーやコンビニの攻勢など時代の趨勢に対応できる経営体質を構築ではなかった正札竹村の経営陣の責任は大きい。しかし、結果的に倒産に追い討ちをかけたのは東北経済産業局、つまり経済産業省、もっとひらたくいえば政府だったのかも知れない。正札竹村の関連会社である正札竹村友の会が発行している商品券が割賦販売法に抵触の恐れあり、とのことで、東北経済産業局は先月27日に新会員の契約禁止命令で7月18日に聴聞会を開く旨の公示をした。28日付の新聞等でその事実を知った会員らの多くが続々と脱会し、一気に正札竹村の屋台骨を揺るがせた。
掛け金への不安から脱会に走る消費者の心理は理解できる。「結果的に東北経済産業局が倒産の糸口になったのではないか。どうしても公示という手段を取らざるを得なかったのか」という市民は少なくない。割賦販売法第44条に基づく措置。しかし法律はどうあれ、東北経済産業局が「公示」という手段を取ったことによって、かろうじて正札竹村にとどまっていた運転資金が一気に流出し、骨抜き状態にしてしまったことは否定のしようがない。同局の担当課職員は「倒産は私らの本意ではないのです。大切にしたかったのは消費者の保護です」といった。確かに、彼らは公務を忠実に果たしただけなのだ。それが結果的に倒産に拍車をかけてしまった。
ふるさとの百貨店を倒産に追い込んだ責任の一端は、私ら消費者にもあるのかも知れない。買い物といえば御成町や郊外の大型スーパー、コンビニに足を運び、最近は正札竹村のエスカレーターに乗ることすらなくなった、という消費者は意外に多いのではないか。要するに、古びたデパートなど見向きもしなくなったのである。平日に入ってみると従業員が気の毒なほど客の姿がなくて、と誰かがいっていた。極度の販売不振。ふるさとのデパートを大切にする気持ちが私ら消費者に少しでも残っていたら、正札竹村は今月、21世紀最初のお中元コーナーを開設できたかも知れない。20世紀の遺産と化した正札竹村。遺されたあの建物を最大限に有効活用しない限り、大町通りもまた、闇の中に沈んでいくのは避けられない。
上の文章の著作権は、あきた北新聞社に帰属します。
(あきた北新聞社様、全文引用に問題がある場合は即削除しますのでコメント欄まで連絡ください。)
僕にとっての大館は五所川原、正札竹村は五所川原中三になる。
五所川原中三も、もう無い。
だが、中三のレストラン街で食べたお子様ランチとクリームソーダの記憶は今もハッキリある。
高校時代、青森市にはビブレ(旧カネ長武田、現さくら野)、青森中三、松木屋と百貨店が3店舗あったが、松木屋は閉店してもう10年以上になる。
高校時代の青森ビブレといえば、隣の成田本店とあわせて店舗前には駐輪スペースが完全に埋まるほど高校生の自転車が停まっていたが、昨年青森に帰ったらガラガラだった。
青森市にはさくら野のほかに経営再建中とはいえ中三を合わせて2つの百貨店がまだあるが、青森市より規模が大きい旭川市からは百貨店が消滅する。
自分の街から百貨店が消える、というのはなんとも表現のしがたいやるせなさがある。
ふらっと別の地方の街に行った時、故郷のそれと似た百貨店を発見すると、幼い時分の記憶の中の百貨店に似た面影に、涙が出てきそうなほど懐かしさを覚えることもある。
それを求めて、GWあたり花巻のマルカンにソフトクリームだけ食べに行こうかと構想を練っていたりした。
僕は旭川にも花巻にも縁もゆかりもない。
なのに、西武旭川とマルカンが潰れるというのが、とても悲しい。
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