青森県道256号青森十和田湖自転車道線といえば、かつて全国各地で建設が推進された大規模自転車道の一つであり、八甲田山中を超える大部分の区間は未供用で、青森市内の区間と旧十和田湖町の区間は分断されている。
青森市、旧十和田湖町側それぞれを紹介しているサイトはいろいろ出て来るが、実は青森市には一度県道として供用されながら指定解除となった区間がある。
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これは地理院地図から引用し加工した青森市桜川付近の地図(スマホの方は画像クリックでアニメ表示に変わります)である。
現在の青森県道256号の青森市の区間は、青森市桜川1丁目から駒込川の左岸に沿って八甲田山方面へと南下していくルートである。
図外の下方(南側)、青森市幸畑唐崎で青森県道40号に歩道のような形で合流し、田茂木野まで青森市内区間が供用されている。

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沿線には所々に案内板が設置されているのだが(写真左)、開通当時に設置されたまま更新されていない古いものも残っており、青い森鉄道になった現在でもなお、JR東北本線どころか国有鉄道の東北本線であるから青森県もすごいじゃないかと思う。
そして、自転車道を示す緑色線が桜川団地をジグザグに折れながら青森高校へと続いているのがおわかりだろうか(写真右)。
前述の通り、駒込川の左岸を行くのが現在の自転車道路である。青森高校というのは、現在のルートから随分離れた位置にある。
これが今回のテーマである、県道指定を解除された桜川の旧区間だ。

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さっそく解除された旧区間へ向かう。桜川9丁目付近の駒込川左岸で北を向いて撮影した写真である(写真左)。この先に青森放送青森テレビの鉄塔が見えている。現在の区間をこのまま進んで行けば、すぐそばまで行くことが出来る。
そして、分岐点に着く(写真右)。現道はここで直角シケイン状に右折して行く。線形的に自然なのは左へとカーブを切っていく方で、ここから先が旧区間となるのである。

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現道との分岐を旧区間へと入ると、先ほどまでの駒込川左岸の明るく開けた雰囲気とは打って変わって、住宅と住宅の間を窮屈そうに進む区間になっている。ここで、写真右が分かりやすいと思うのだが、浅いU字溝が路肩に敷設してあるのが見える。この浅いU字溝は路肩に逸脱しても段差が無いので自転車が転倒しにくい構造になっているだけでなく、この自転車道路の特徴の一つであるので書いておきたい。

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住宅地を行く旧区間だが、単独区間の終わりが早くも近づいており、フィットが走行している部分はもう車道である(写真左)。
かつてこの道が現役時代に引かれたであろう、「自転車」の文字の跡が今もアスファルトに残る(写真右)。そして、錆びた車止めが車道と自転車道の境を主張している。この車止めも、先ほどのシケイン状の現道分岐点で、黒いSUVの先に映っている。これもまた、浅いU字溝とともに本自転車道の特徴の一つとなる。

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車道にぶつかって旧自転車道の単独区間は終わるわけだが、横断歩道がある。かつての自転車道もこの横断歩道を経由していたのである(写真左)。
そして写真右において、右へ伸びていく道路が見えているが、こちらがかつての自転車道のルートだ。前述の案内看板で、青森高校に向けて始まるジグザグの最初の角がここであるが、案内看板のような直角ではなく、鋭角に南南西方向へ向かうのである。

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この道路、向かって左側が車道で右側が歩道のように見えていて、車道はセンターラインこそ引かれていないが普通車同士がすれ違える1.5車線程度の幅を持っている。
現在でこそそうだが、1995年頃までは、車道は1車線幅しかなかった。かつては歩道が今より広く、左側の車道と右側の歩道の幅がほぼ同じだった。つまり、この右側の歩道がかつての自転車道だったのである。

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かつての自転車道を併呑した市道は直線的に桜川7丁目と9丁目の境界をなしており、(写真左)において向かって左側が9丁目、右側が7丁目となる。単独区間の終点から300メートル足らずで、写真の変形五差路に突き当たる(写真右)。この五差路をかつての自転車道は右へと曲がっていく。

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右折した先は、桜の並木で青森市内では有名スポットでもある桜川通りである。この桜川通りには桜川商店街と呼ばれる商店街もあるのだが、この7丁目界隈ではほとんど商店はない。写真左にて、「ほんだし」と書かれた看板の味の素青森出張所の手前の建物は、かつてクリーニング店を兼ねた商店であったが、閉店してしまった。
旧自転車道は、この桜川通りの歩道を間借りする形で続く。

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桜川通りの歩道区間だが、これもまた70メートルも進まないうちに、旧自転車道は左折していく(写真左)。
(写真右)は左折した先の道だが、向かって右側の車道が1.5車線幅しかないのに、左側の歩道部分は1車線分はあろうかという広さがあるのにお気づきだろう。そう、この歩道もまた旧自転車道なのである。

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写真の奥に見えている建物は、青森高校に隣接する青森市立筒井中学校である。桜川通りから筒井中裏門までの短い区間だが、ここは車道の拡幅工事はされておらず、かつての旧自転車道時代の道幅そのままに歩道も残されている。
そして、筒井中裏門を前に、右へカーブする自転車道の跡がお見えだろうか(写真右)。路肩の段差の跡が、路面を横切るように弧状に右へ続いているのである。

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ご覧の通り、筒井中に自動車や自転車で出入りできるよう、自転車道の路肩の段差はアスファルト舗装で埋められているものの、路面を横切っていた段差のブロックもまだ残っている(写真左)。
筒井八ツ橋の水田地帯が宅地化されて人口が急増し、筒井南小学校が開校したのは1984年。そこから筒井南小学区を中心に人口は増加し続け、筒井中は1990年代後半には生徒数1,000人を超え、八戸の根城中を凌ぎ青森県下最大の生徒数を擁したこともある。しかし往時を知る人間からすると、プレハブ校舎が撤去され、各学年に10クラス分ある教室にもかなり空きがあるのは寂しさを覚える。現在の生徒数は600人を割っているという。今は健康増進法を理由に学校内を禁煙にする時代というのにも驚く。

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そして久々の旧自転車道の単独区間の復活である(写真左)。弧状にカーブする段差跡が、かつての本線は自転車道路側であると語っているかのようだ。車止めも久しぶりの登場だ。
案内看板が目指していた青森高校の敷地も左手に見えてきた。

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青森高校のグラウンド横を、旧自転車道は直線で抜けて行く(写真左)。前方右側に見えている古めかしい集合住宅は、国土交通省の職員住宅である。
この日は休日であったが、青森高校のグラウンドでは硬式野球部が練習を続けていた。好きでやっているのなら、他人がとやかくいうことではないかもしれないが、休日返上で部活指導という労働をするのだから教職員も大変だ。

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国交省の職員住宅の所まで来て、振り返って撮影したのが(写真右)。桜川通りから伸びてくる道路が旧自転車道に突き当たる。ここにも車止めがかつてはあったのだが、ご覧の通り撤去されて野に放置されている。
ここから先は自動車も旧自転車道に進入可能なわけだが、もし筒井中方向へ進んでしまった場合は車止めがあるので、バックで戻って来ないといけないというクルマ泣かせのトラップだ。

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国交省職員住宅と青森高校の敷地の間をさらに進んで行く(写真左)。青森高校に目を向けると贈 青森高校硬式野球部創立110周年記念甲田クラブなるプレートが。甲田クラブとは青森高校硬式野球部のOBの会らしい。青森高校は1960年に夏の甲子園に出て以来、2016年時点で56年間甲子園に出場できていない。

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国交省職員住宅を過ぎると、再び桜川通りから伸びてくる市道が突き当たってくる。ここにも錆びた車止めが放置されている。
1990年代半ばまではここも車止めで封鎖されており、歩行者と自転車以外は通り抜けが出来なかった。旧自転車道は道幅そのままに、青森高校の敷地に沿うように左へとカーブしていく。

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路面にはかつて車止めの脚を刺していた穴の跡が今もなお残っていた。一部は舗装工事で埋め戻されているが、しっかりと元自転車道路であるという痕跡は健在である。しかし、緑道や自転車道など歩行者が安全に通行できる道路敷というのは、自動車交通よりも公共交通が発達した大都市なら市民から車道化に反対されそうなものだが……。

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振り返って撮影したのが(写真左)で、右から手前に弧を描いて来るのが旧自転車道。ここが、事実上の旧自転車道の端となる地点である。
青森高校の敷地に目を向けると、宮城県の東北学院榴ヶ岡高校のバスが停まっていた。余談ながら、青森高校が1960年に夏の甲子園で県勢初勝利を挙げた相手は、宮城県の東北高校である。

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旧自転車道の区間は終わったが、もう少し車道を進んでみる。青森高校の敷地脇を120メートルほど進むと、市道に突き当たる(写真右)。この地点にもかつては入口があり、そして青森高校の駐輪場があった。青森高校の100周年記念事業が行われた2000年頃に、今の形に変更され封鎖されたのである。

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余談ながら、こちらが100周年記念事業で建設された通称・無限ドームである。硬式野球部の屋内練習場として使用されていて、青森高校の練習環境は青森市内だと青森山田高校に次ぐレベルになっている。こうした環境もあって、前述の東北学院榴ヶ岡も練習試合に来ているのかもしれないが、21世紀以降で2回決勝まで行きながら、いまだ甲子園には出られないのが青森高校なのである。
公立進学校でも、札幌南高校や静岡高校のように甲子園で活躍できる所もあるが、21世紀枠で出場して敗退してきた大館鳳鳴高校(青高100周年記念事業で横領で逮捕された事務局長も大館の人であった…大館鳳鳴卒業生かどうかは知らないが)をみていると、光星と山田を倒せて甲子園に行っても勝てるのかどうかはかなり不安なところである。

県道256号旧道
最後に、こちらが旧区間を地図に落としたもの。
ご覧の通り、青森市桜川地区をW字状に迂遠しており、青森高校の生徒でも旧道の全区間を走行する需要には乏しそうである。同じ青森市内でも、東北本線の旧線敷地を転用した緑道は青森商業高校や青森東高校に直線的にアクセスできるので、高校生の利用が見られるが、青森県道256号青森十和田湖自転車道線の旧線ばかりはなんとも使いにくいのである。

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