2017年11月18日、19日の2日間の旅程で、我が国の実効支配が及ぶ領土最北端にあたる北海道稚内市に行ってきた。

本当の最北端はロシアに実効支配されている択捉島のカモイワッカ岬であり、択捉は外務省から渡航自粛要請がされている(そもそもロシア人も自然保護区で立ち入りが出来ないらしい)ので、上陸が極めて困難となる。
最東端は東京都の南鳥島で最南端は沖ノ鳥島であるが、こちらも自衛隊や気象庁など国の関係者を除けば一般人に上陸する機会はほぼ無い。
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(与那国島西崎の「日本国最西端の碑」と、同地で受信した台湾の地上波テレビ。2007年撮影)

唯一到達可能なのは沖縄県の与那国島の西崎(いりざき)だけなのである。
そういった意味で、実効支配が及びかつ一般人も行ける東西南北端は、東が根室の納沙布岬、西が与那国島、南が波照間島、北は稚内市の宗谷岬ということになるが、私はこのうち与那国島と波照間島は2003年に訪問している。
残すは、根室市に行ったことがありながら未訪問の納沙布岬と、まったく足を踏み入れたことすらない稚内市にある宗谷岬の二つであり、まずは未踏の地である北海道の旧3支庁(宗谷、留萌、空知)の訪問も達成することを兼ねて、宗谷岬に行こうと決めたのである。

<東京・羽田空港−旭川空港−旭川駅>
07:50〜
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首都高速
を飛ばして羽田空港P2に駐車。
フライト時刻は10:35だが、羽田空港の駐車場は土日は午前から満車になるケースがあり、閑散期とはいえ万が一に備えて早出をしたところ、約2時間強という余裕を持っての早着となってしまった。
乗り遅れるくらいなら早いに越したことは無いが、北海道の天候や交通情報を収集してもなお時間を持て余してしまい、不用意に羽田空港の人ごみの中に行ってインフルエンザでも貰っては困るので、とりあえず車中で眠る事にした。
北海道仕様の厚着であれば、エンジンを切っていても東京での車内睡眠など容易である。
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9時を回ったあたりで活動開始。空港内に入り、北ウィングの出発ロビーへ。座っていると時折、後ろを通過していく乗客の津軽弁が聞こえてくる。北ウィングを利用するのは主に北海道と北東北の便であるが、北海道民(大半は新千歳利用者)はあまり訛らないし、秋田県も秋田市内だと若い人はほとんど訛らない。三沢便利用者の三沢市民や八戸市民もあまり訛らない。我が津軽地方は特殊である。
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JAL553便は機材繰りの影響で、本来は国際線で使用する機材となった。Sky WiFiが使用できないということでJALが「お詫び」の放送を繰り返していたが、まあ気にしない。他社だとまだ使えないところもある。
ただ、国際線だと上映しているビデオプログラムが国内線では視聴不能ということで、隣のマダムが「映画見れないんですか?」と聞いていた。
九人掛けのE席(中央)で窓の外も見られない座席なので、素直に眠ることに。
12:00〜
岩手県の花巻上空付近で機長よりアナウンスがあり、JAL553便は旭川空港に予定よりも早着するという。遅延よりずっと良い。遠い窓越しに広がる上川盆地は、南津軽の八甲田山麓を幾重にも拡張していったかのような雄大な景色であった。
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旭川空港に着き、旭川電気軌道バスに乗る。乗車前に荷物の受け取り役をしている運転士と会話すると「玄関の所に券売機もありますよ」という。旭川空港の玄関を出る際、自動ドアの左手にバスの券売機がある。次回はまっすぐこれを利用しようと思う。
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adkbsjkhさて、飛行機の早着によって12:20には旭川電軌バスに乗車できたのだが、空港発時刻は12:45と20分もある。11月の時刻表によれば所要時間30分で13:15に旭川駅着予定となる。

ここが分かれ道になろうとは。

実際に発車して車内放送が発した内容は「旭川駅までおよそ40分」だという。ということは順調に進んでも旭川駅着時刻は13:25となる。確かに所々に積雪・凍結路面はあるが、ほぼ乾燥した路面であっても冬場の北海道では移動の時間に余裕を見た方がよいだろう。
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旭川駅には13:27に到着。当初の読みでは13:15前後着+遅延の見通しであったので想定内と言えば想定内だが、もし所要時間40分にさらに10分遅延していれば、この旅はここで大幅に狂う可能性もあった。
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旭川駅は下手な県庁所在地の駅より立派である。まるで新幹線も停車する駅のようだ。その大きさゆえ、駅舎の陰になる一帯は広く路面が凍結している。
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旭川駅舎を背に、市街地を望む。素晴らしいピーカン。
奥の方に目を凝らすと、お日様が照っているところは氷が融けて濡れ路面になっているのだ。本当は旭川市街で旭川ラーメンでも食べたかったところだが、時間が無い。すぐに空港からタクシーを飛ばしていれば、時間はあったかもしれない。
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「特急サロベツ1号」稚内行の発時刻は13:35とあまりないので、急ぎ足で旭川駅を見て回りつつ、食糧確保だ。

<旭川駅−稚内駅>
13:30〜
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大急ぎで確保したのは、旭川駅立売商会のまんざいどんと、生サッポロクラシック
クラシックは弁当屋の並びの売店で缶を買いかけたが、レジで生ビールを売っていることに気が付き、急きょ購入♪
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カーーーァッ!うめぇ……
この日、まんざいどんは私が最後の一個を買ったのであった。後ろにいた女性客、申し訳ないが早い者勝ちだ。
それにしてもサッポロクラシックの生が美味すぎる。
泡の立て方とか温度とかもあるのだろうが、野球場や駅の売店などで買って紙コップやプラスチックカップで飲む生ビールが格別に美味い気がする。やはりグラスだと目に見えない洗剤の残りかすや汚れや水分が混じるからだろうか?
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宗谷本線旭川・名寄間は高速化されているので、ディーゼル特急ながらかなりの速さ。音も意外と静かであり快適である。あっという間に旭川の街を離れ北上していく。
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上川盆地に居た頃はサッポロクラシックをキラキラと輝かせていた陽光も、塩狩を越え和寒に入ったあたりからうす暗くなり、上川第4の市・士別はこの天気。和寒駅周辺や士別駅周辺はau携帯の電波も入っていたが、山間部に入ると不感地帯もかなり広かった。徐々に最果てへ向かっているのだと実感。
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士別を発ち、現時点ではここまではJR北海道も路線を残すと見られている名寄駅。名寄を過ぎると、先ほどまで使用していたGPSの速度計も電波感度が悪く使えなくなってきた。とりあえず、携帯しているラジオでSTVラジオを聴くことにする。
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この日は冬型の気圧配置で日本海側には「すじ状の雲」が広がっている状態であり、名寄を過ぎて少し経つと、ご覧のように晴れ間がのぞく地帯も。
名寄盆地は日本の稲作の北限に近く、主にもち米を生産しているという。
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日進駅を過ぎたあたりで、日本で4番目の長さを誇る大河・天塩川が宗谷本線に寄り添うように近づいてきた。なんと野趣あふれる光景か、天塩川!
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美深町に入り、名寄美深道路と交差する。美深町は1931年に日本の最低気温記録の氷点下41.5度を観測した町である。
STVラジオからはパクジュニョンと日高晤郎それぞれが歌う石狩挽歌が2曲連続で流れる。北海道の在来線旅に実に合う。というか、演歌の良さがわかる年齢に私もなった。
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長らく名寄美深道路はほかの高速道路に接続しない飛び地開通になっているわけだが、道央自動車道と同じ[E5]という高速道路ナンバリングを冠することになり、心なしか高速道路ネットワークの一員となった気がする。
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かつて、北見枝幸を目指し建設が進められていた美幸線が分岐していた、美深駅。美幸線廃止から32年になる。旭川や名寄に比べると、明らかに雪も深くなってきた。
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再び名寄美深道路と交差する。2017年時点では終点はこのすぐそばの美深北ICである。
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紋穂内駅の手前で、再び天塩川が近づいてくる。なんという力強さか。天塩川には見たところ、人工的な護岸の類が見えない。天塩川でも石狩川のように直線化工事など治水はされたと聞くが、このあたりは原始の姿のままなのではなかろうか。
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初めての道北で、最も強烈に印象に残った景観はこの天塩川の流れだろう。全く飽きることのない車窓だ。
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恩根内か咲来の辺りの車窓。時折こうして天塩川から少し離れると、川の水面の照り返しもなければ人工的な明かりもなく、派手な装飾の看板や塗装がされた建物もなく、本当に白黒の世界のようである。
15:20〜
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音威子府駅。かつての天北線分岐駅だ。というより、元々は樺太連絡のため先に宗谷本線として開通したのは天北線の方であり、バイパス新線である現在の宗谷本線(音威子府−南稚内)が分岐した地点というべきか。
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音威子府駅舎の北隣にJR北海道の作業員の事務所が見えた。天北線なきあとも、音威子府は道北内陸部の交通の要衝である。名寄−稚内間の主要拠点の一つなのだ。とはいうものの、音威子府は人口800人を割ってしまっており、これによる利用者の少なさも宗谷本線の存廃議論に繋がっていくのだろう。

音威子府駅を稚内に向けて出発し、右手の車窓を動画に。まずは、JR天北線跡のガーター橋が見えてくる。もともとの本線だと主張するかのように天北線跡が直進していくのに対し、宗谷本線は急カーブで西へ折れていく。
その後、浜頓別へと向かう国道275号を跨ぐように音威子府バイパスの橋梁が見え、建設中の盛り土やトンネル坑口が見えてくる。
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音威子府を出ると、神路渓谷と呼ばれる、天塩川の渓谷の斜面にへばりつくように宗谷本線は西へ針路を取る。「音威子府峠」という峠は地図上に存在しないが、冷戦時代にソ連が北海道侵攻を開始した場合に自衛隊が挟撃する地点とされた「音威子府峠」とはこの神路渓谷か、浜頓別方面から天北峠を越えて南下してきた音威子府の辺りだったのだろうかと思う。
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南北方向に延びる宗谷丘陵を強引に東西に横切るような神路渓谷の地形ゆえ、谷間を行く宗谷本線に土地の余裕はなく、雪をかぶった山がすぐそばに迫ってくるようだ。冬に来てよかったと思う。
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ところで、閉鎖して10年近くなるかと思うが、「北海道道路レポート カントリーロード」というサイトがかつてあり、当ブログもリンクを貼って管理人zwiebel氏にトンネル画像提供を行うなど交流をしていた。その「北海道道路レポート カントリーロード」によれば、深川・旭川間の神居古潭の渓谷にも、ソ連を挟撃する自衛隊の陣地になる場所があるという話を管理人zwiebel氏が聞いたこともあったらしい。おそらく、その話は本当だろうと思う。神路渓谷と神居古潭は共に、仮想敵国の侵略の防衛線であっただろう。
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あらためて、国境地帯、それも冷戦時代には仮想敵国ソ連と対峙した最前線に近い場所にいるのだと思いながら地形を見ていくと面白い。佐久駅付近で神路渓谷地帯を抜けて北に転じると、天塩中川の平地が広がってくる。中川町は人口1,500人強しかない町だが、無人ないし人口のきわめて希薄な地帯が長かったこともあって、賑やかに見える。
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天塩川は本当に護岸がない川だ……河川敷もまるで見えず、大地をえぐるような流れ方と原野が続く様は一度宗谷本線に乗って見ておいた方が良いだろうと思う。

幌延町内で、宗谷線から眺める天塩川の流れ。こんな雄大な車窓が本州にあるのなら、もっと有名になっていただろうにと思う。JR東日本ならリゾートしらかみのような展望列車を走らせているのではないだろうか。もっとも、JR北海道だってアルファコンチネンタルエクスプレスをかつて運行していたし、できることなら本当はやりたいのだろうと思う。

この後、釣瓶落としのように日が暮れ、幌延駅あたりから撮影不可能となった。
17:00〜
時折、警笛と共に急減速したと思うと立派な角をもつオスのエゾシカやメスの群れがいたりして、そういうのを数回繰り返して豊富駅を出て数分だろうか。


長い警笛を鳴らしながら、列車が急制動を掛けてレールの上を滑走しているのが座っていてもわかるほどだった。
抜海駅の手前にて、特急サロベツはエゾシカと接触した。
接触とはJR北海道の車内放送の表現だが、実際には接触というよりは轢殺だろう。エゾシカにとっては不幸極まりない。
酷寒の暗闇の中で鹿の死体の除去作業、車両点検等を行った乗務員には頭が下がる。
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かくして17:45、日本最北の稚内駅に到着。
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[W80]のナンバリングがされた駅名標。
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指宿枕崎線の西大山駅からの距離が書かれた看板。青森県出身なのに、稚内駅より先に鹿児島の西大山駅に行くとはなあ。
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そういえば枕崎市にはまだ行ったことがない。2014年に初めて鹿児島県を訪れた際は指宿市まで行きながら、枕崎には寄らなかった。稚内も枕崎も姉妹都市ということだが、宗谷本線も指宿枕崎線も末端区間の存廃が取り沙汰されている。なんとか守れないものか。
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「特急サロベツ1号」の先頭車両を見る限り、鹿との接触痕はわからなかった。この261系列車、折り返して「特急宗谷」札幌行として17:46発車予定だが、到着遅れのため遅延するという。
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記念にきっぷを持ち帰ろうと考えていたら、当駅では、15時以降 集札業務を行っておりませんときたもんだ。まだ駅員のいる時間だが、徹底的に人員を減らしているのか、合理化極まれりという感じがする。
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2011年に新築された駅ビルと一体になっている稚内駅の内部。
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札幌行の折り返し「特急宗谷」の乗客や見送り客の他に、映画館もあるということで地元の中学生グループも居たりして、賑やかである。
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駅の外に出て、まだ11月だというのに真冬の青森のような寒さを身体に浴びて、駅舎をみてああ、稚内に来たのだなあと実感する。
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これまでに青森駅のほかに函館駅、高松駅、門司港駅など国鉄連絡船の駅を訪れたことがあるが、稚内駅も樺太・大泊との間に稚泊連絡船のあった駅である。
稚内駅はホームが一本しかないとはいうものの、函館駅や高松駅や門司港駅と同じように頭端式ホームを採用して新駅を造れたというのは青森市民からすると羨ましい。
頭端式ホームの利点は、何より階段の上り下りがなく平面で各ホームと改札を行き来できる点だ。
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そして駅舎北側にある、日本最北端の線路の碑だ。
もともとはこれよりさらに北に、稚内桟橋までレールが敷かれていたわけであるが、1945年にソ連の樺太侵略で稚泊連絡船が事実上の廃止に追いやられ、役割を失ってしまったのだ。樺太が侵略されていなければ樺太東線や樺太西線など、これより北にも線路は残っていた訳である。
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駅ビルからだいぶ離れた車止めのオブジェ。旧駅時代の位置がここのようだ。
こうして見ると、旧駅時代に来てみたかったし、あわよくば冷戦終結前のソ連のある時代に稚内に来てみたかったと思う。後日、続編で詳しく書こうかと思うが、ロシアとの国境地帯としての稚内に違和感を覚えたのも事実である。

さて、宿に向かって夜の街に出てみようか(2に続きます)。

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