2017年 宗谷・留萌の旅(2)はコチラ


<稚内市街>
20:30〜
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中央2丁目界隈の繁華街を後にして、お茶と缶ビールとつまみを調達にセイコーマート稚内駅前店に立ち寄る。基本的に行動の拠点は稚内駅前なのだ。
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稚内駅前のバスプール。人口4万足らずの都市で、夜8時を回っても駅前にバスが2台も居るというのは特筆するに値する。
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これはたまたまバスがいた声問方面行きの時刻表だが、毎時4本近い便数が確保されているのがおわかりかと思う。稚内市は、納寒布岬の辺りから南稚内駅のある大黒付近やその東の潮見地区まで海岸段丘と宗谷湾に挟まれた細長い土地に市街地が伸びており、概ね南北の縦方向に交通需要が集約されやすい地形になっているのだ。
そのため、国道40号と、網走方面へ繋がる国道238号との交差点がある稚内市の潮見5丁目から、稚内駅前を経由してノシャップまでの宗谷バスの稚内市内線の本数は平日1日53本(逆方向は52本で計52.5往復)もあるのだ(宗谷バス 平成29年4月1日改正ダイヤより)。これは稚内の凄さである。
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本当は宗谷バスで南稚内の市街地も見ておけばよかったとは思うが、時間がない旅だ。仕方がない。次の目的地も徒歩圏なのでバスは利用しなかった。この写真は、港のほど近くに建つANAクラウンプラザホテル稚内。かつての稚内全日空ホテルである。ANA系のホテルは青森周辺にはないので、新鮮に映る。
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ようやく着きました、北防波堤ドーム。
古代ローマ帝国の建築物のような構造物ゆえ、存在自体は小学生の頃から知っていたが、旅行ガイドブックや道路地図からは「稚内港のシンボル」とか「風雪から港を守る」とか漠然とした解説しか見たことがなく、少年時代はずっと気になっていたのだ。これが樺太へ渡る稚泊連絡船由来の構造物だと知ったのは、成人後である。
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青森市の小学校に通ったから、当然、低学年の頃に社会科の授業で郷土・青森市について学習するわけだが、連絡船で出てくるものと言えば青函連絡船で結ばれた函館市や、宇高連絡船のあった宇野や高松、関門連絡船のあった下関と門司(北九州)といったところで、稚内の「わ」の字も出て来なかった。稚内が出て来ないのだから、樺太の大泊なんて出てくるわけも無く、稚泊連絡船という単語を知ったのは大学に入ってからだ。
かつて宗谷本線でやって来て樺太へ向かった乗客は、この北防波堤ドームの中を歩いて、稚泊連絡船に乗ったのだ。
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ドームの中も気温は低いが、吹雪を避けることが出来た。しばらく進むと、「稚泊航路記念碑」が。稚内も国鉄連絡船のあった街だということを証明する記念碑が、風雪に耐えて稚内港を見守っていた。感動だ。
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この記念碑と共に、以前はSL機関車も置かれていたというが、今は車輪が残るのみ。記念碑の鐘を鳴らすと、乾いた音が短く響いた。ソ連侵略で思いがけず廃止の憂き目にあった稚泊連絡船の無念を思うといたたまれない気持ちになる。そして、同時に、えもいわれぬ寒さが。
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ずっと来てみたい場所の一つだったのに、どういうわけかすぐにホテルに帰らなければならないような気がして、「氷雪の門」「九人の乙女の碑」がある稚内公園のある丘を一枚撮影して、撤収することに。

本当はこの後、北門神社から稚内公園まで徒歩で往復(1km)の予定だったが、それも中止し、セイコーマートで買った外気で冷えてキンキンのサッポロクラシック富良野VINTAGEにも口をつけずに、即、眠りに就いた。

<稚内市街−宗谷岬−稚内市街>
11/19 8:00〜
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翌朝。宗谷地方は暴風雪で大荒れの予報のはずだが、稚内市街は青空が広がっていた。この日の朝は忙しい。そそくさと身なりを整え、再び駅前のセイコーマート稚内駅前店に向かい、朝食の確保だ。
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緑茶と、山わさび醤油漬けたらこバター醤油のおにぎりを購入。店員から「おにぎりあたためますか」と、某HTBの番組名そのままの台詞を言われる。全部買って消費税込み300円ぽっきり。こうした価格競争力もセイコーマートの魅力だな。
このお買い物、後にこうしておけばああああと思わせる展開になるのは、追って。
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チェックアウトして、レンタカー会社へ。さようなら、北防波堤ドーム。(2)にて、副港市場が冬時間だということがあったが、レンタカー会社も冬時間になっており、インターネット予約で営業開始時刻の「8:00」を入力してもエラー表示ばかり返ってくるので、直接電話予約したのだった。冬時間は30分遅い8:30営業開始。大急ぎで運転動画を撮る道具を設置し、青森でもよくみかける苗字の名札を付けた女性の店員さんと車体の傷の確認。問題なし!余談ながら、めっちゃくちゃ美人だった。写真撮っておけばよかったなあ。店員の女性をじゃないぞ、クルマの写真だ。
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稚内市街を抜け、国道238号に入って宗谷海峡沿いへ。潮見の辺りから吹雪で視界が悪く、しかし圧雪路ながらも先行車がおおっぴらに書けないような快速運転をなさるので順調に追行。途中の集落で先行車がいなくなると、多少、視界は良くなった。気温が低い粉雪の際は、先行車が舞い上げる雪による視界不良も馬鹿にならないのだと、青森での運転を思い出す。
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夏場だとレーパトが潜んでいそうな道路だ。北海道出身の知人からのアドバイスによれば「何もないのに50とか40キロの所は居ると思っとけ」だそうな。とりあえず、慎重かつ大胆に順調に宗谷岬へと進行だ。しかし、写真で見ると肉眼で見るより視界がはっきりしてるが、結構吹雪の酷い状態だった。

天候が良ければ樺太が見えるはずの宗谷海峡。演歌が聴きたいところだが、演歌の舞台としての海峡はほぼ津軽海峡の独壇場となっているように思う。吉幾三の「海峡」も名曲だが、ここは宗谷海峡だしなあ……樺太の日ソ国境が北緯50度線だったのを踏まえ、本来は千島列島を舞台にしたものだが細川たかしの「北緯五十度」を。樺太を舞台にした演歌、あんまり印象にないんだよなあ。

細川たかしの弟子の杜このみも好きだが、やっぱり師匠の歌った「北緯五十度」は師匠の若い頃の方が良いな。うん。ところで樺太庁最北端は前述の日ソ国境のあった北緯50度だが、戦前の北海道の最北端は千島列島の阿頼度島(根室支庁)で北緯50度55分30秒だった。つまり、島としては樺太の方が北海道より北に位置してはいたが、千島が北海道管轄だったので日本最北端は戦前も北海道庁の領域だったということになる。

余談ながら、今年2017年に野中彩央里が「宗谷海峡」という楽曲を出していて、歌詞が興味深い。
津軽海峡を舞台にした吉幾三海峡は、"この世で愛した男"とやり直せないとして、男との恋を忘れるために"津軽海峡越え"て行く世界が描かれている。石川さゆり津軽海峡冬景色も、東京の恋人を別れ"私もひとり連絡船に乗り"北海道へ帰るという世界だ。"さよならあなた私は帰ります"は有名なフレーズだろう。
それに対して野中彩央里宗谷海峡では"ここから先は宗谷海峡 女の旅路の行き止まり"となっている。吉幾三の「海峡」でも石川さゆりの「津軽海峡冬景色」でも、津軽海峡は越えて行くものであるのに対し、宗谷海峡は越えられない最終地点として描かれているのだ。「宗谷海峡」作詞者も、数々の津軽海峡を舞台にした演歌を意識しているのだろうか、石川さゆりを彷彿とさせる"さよならあなた"をサビのフレーズに使用している。極めつけは"凍える胸で樺太(サハリン)見つめ"と、詞の上で「樺太」と表記しながら「サハリン」と歌わせるところだろう。徹底的に、津軽海峡とは別の、宗谷海峡は異国と日本を隔てる海峡としての描き方になっているのだ。

昭和13年に宗谷海峡を越え、樺太からソ連領の北樺太へと岡田嘉子が杉本良吉と共に駆け落ち逃避行した時代には、津軽海峡宗谷海峡50度線国境という障壁が3つ(間宮海峡も入れれば4つ)もあったわけだが、既に演歌の世界では遠い昔のことなのかと思わされる。
間宮林蔵旧宅間宮林蔵像間宮林蔵墓
話は突然変わるが、私は日本史上の人物で伊能忠敬と間宮林蔵の二名を大変尊敬している。言わずもがな、間宮林蔵は樺太が大陸の半島ではなく島であることを確認した人物であり、稚内にもゆかりが深い。伊能忠敬はその間宮林蔵に測量を指導したわけで、二人は師弟関係にある。写真は2010年に茨城県つくばみらい市の間宮林蔵記念館に行った際に撮影した、間宮林蔵像と間宮家の墓である。
樺太を望む宗谷岬にも間宮林蔵先生の銅像があるというので、やはり御挨拶せねば…!
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ああ、いらっしゃる!間宮林蔵先生!
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間宮先生、7年ほど前に郷里の常陸伊奈の記念館に参上した者であります。お寒いでしょう。先生は今も樺太を見つめておられるのですね、なんて心の中で言いながら接近。いや、それぐらい尊敬しているお方ですよ。
茨城のものに比べると、日本最北端の碑と共に屹立する宗谷岬の銅像の方が力強く見える。
間宮林蔵像 宗谷岬
間宮林蔵先生、左半身が真っ白でございます(泣)!
先生!雪まみれではありませんか……(この写真を撮れて美味しいと思ったのは内緒である)
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間宮先生に御挨拶をし、いよいよ日本最北端の碑を見に行く。この時点の気温は氷点下6度。遮るものなく吹き付ける宗谷の暴風雪は、吹雪に免疫のある津軽人でも痛い。江戸時代、幕府の命令で宗谷岬でロシアの監視にあたって殉死した津軽藩兵を思うとこれは辛い。
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日本最北端の碑
2017年11月19日、ついに、我が国が実効支配できていて一般人でも訪問可能な東西南北端のうち、西端の与那国島、南端の波照間島に次いで、宗谷岬にも足跡を残した。残すは根室の納沙布岬のみ!
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最北端の碑の裏に回って宗谷海峡。この天気じゃ樺太なんて見えないわな。
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そして、土産物店で「最北端到達証明書」を100円で購入する。与那国で最西端、波照間で最南端もゲット済み。
しかし、記念スタンプの「異国 サハリン」って表現になあ。間宮林蔵先生や、日ソ不可侵条約を破って侵略したソ連の犠牲になった樺太の民は泣いているんじゃないか。「稚泊航路記念碑」や「氷雪の門」とか、樺太を想わせるものが市街地や納寒布方面にあるのに対し、宗谷岬はすっかり「サハリン」「異国」と言ってしまうことに、正直、違和感を禁じ得なかった。もともと住んでいたアイヌにとっても、北海道と樺太を隔てる宗谷海峡に行き来を制限する境界線はなかったはずである。
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いろいろ思うところはあったが、長居している暇はない。急いで稚内市街へレンタカーを返却に戻らなければならない。どんどん吹雪が酷くなってるw 戻りも地元民の先行車がおおっぴらに書けないような速度で飛んでいくのでテールランプを目印に果敢に追走。途中で1台、遅い車がいて、先行車はそれすら追い抜いて行ったが、吹雪で対向車の存在を確認するのが難しかったので無理せず空港近くの4車線区間で追い越して、それなりの好タイムで市街地に戻るとほっとした。

運転中だったので横を向いて沿道の撮影が出来なかったが、南稚内には西條デパートがあって賑やかであった。
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返却前、飛ばした甲斐があって何とか時間に余裕があったので、昨晩立ち寄った「網元」の女将さんに教えてもらった魚屋によって、良心的な価格のタラバガニを1ハイ買って嫁に発送。美味かったらしい。
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で、レンタカーの後部、こんなに着雪してましたw
車体の傷の確認の際に写真撮っておけばよかった、というのはこのビフォーアフターを見せたかったからである。決して、女性店員がびっくりするくらいの美人だったから写真撮っておけば良かったと言ってるんではないぞ。
それにしても、真冬の天気の悪い日に八甲田越えしたことも何回かあるし、吹雪の東北道
で100km/h巡航し続けたこともあるが、青森ではこんなになったことはない。11月中旬でこの雪、稚内の自然は厳しいと実感したのであった。

さて、東京さ帰るぞ(4に続きます)

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