2017年 宗谷・留萌の旅(4)はコチラ


<天塩−羽幌>
12:50〜
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天塩高校の生徒らを乗せて沿岸バスは天塩町の市街地を行く。この通りは道道484号天塩港線、かつての国鉄天塩駅の駅前通りだったそうで、写真正面奥に羽幌線の駅があったそうだ。
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天塩町市街地を抜けて羽幌・留萌方面へ向かうと思わせておいてバスは再び右折して海側へ向かう。行きついた先はてしお温泉「夕映」。豊富留萌線という都市間連絡バスではなくあくまで路線バスだから地元の生活路線も兼ねているのだろう。高速わっかない号が留萌で途中下車可能なら乗ることはなかった豊富留萌線のおかげで、こうして町並を眺められるのはかえって良かった。
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天塩町の家々を見ていて、結構多くの家がUHFアンテナを2本立てていることに気が付く。天塩町や幌延町付近は、中頓別町の知駒岳にある知駒中継局の電波を受信するはずだが、地上アナログ放送時代にはテレ東系のTVhだけ中継局が無かった。留萌地方では羽幌町の羽幌中継局まではTVhもエリアになっていたので、天塩町あたりでは羽幌か留萌か札幌(手稲山)のTVhを狙ってアンテナを立てていたのだろう。
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地デジ移行後は知駒中継局にもTVhが開局し、今は天塩や幌延周辺の人々も不自由なくテレ東系を見ているはずなので、アンテナを2本上げる家々を見られるのもあと5年か10年程度かなと思う。北国の海辺となれば、金属部品が浴びる塩害や雪害の影響も酷かろう。北海道の放送波が届く青森の日本海沿岸部で幼少期を過ごした私は、父親が愛車を手放す際に「塩でサビあがって腐ってしまった」と嘆いていた台詞を今も思い出す。
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父が社会人になって乗っていた最初のクルマは1979年に新車登録された国産車だが、10年で買い替える際には確かにあちこちに塩害の錆があったのが記憶にある。21世紀になって塗装・防錆技術も上がっているだろうが、新車等登録以来、一度も海辺で過ごしたことがない私の12年目の愛車にはまだ錆はない。それでも父は今だに、私の車に小石が跳ねた跡の僅かな傷を見つけては「こういう所から錆びるぞ」と言う。北国の日本海沿岸の暮らしの経験から来る言葉である。
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ところで、運転席の速度計をみると針は約70km/hを指しているが、日本国内の車両のスピードメーターは実際の速度よりも若干高めに表示される傾向があるのは知られている(国交省が定める誤差として認められる範囲の数式はこちら)。メーター表示が実際の速度より上振れする方に誤差を許容するのは、安全上の配慮だろうと思う。メーター表示が実速度より下振れする方に誤差を許容すると、運転者の認識以上に速度が出てしまう危険があるからであろう。
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で、何が凄いかというと、GPS速度計でみるとしっかり60km/h巡航になっていることである。59とか61にぶれずこの速度で走り続けるのだから、沿岸バスの運転士はさすがプロというべきか。もう少し、「スピードメーターは実速度より高めの数字を出しますよ=スピードメーターを見てあなたが思ってるより遅いですよ」というのが、ドライバーの間に広まればよいのにと思う。針+10キロぐらいで走るように運転手が心がけるだけで、バイパス建設や立体交差事業をしなくても混雑や渋滞が解消される区間もあるだろうと僕は思う。
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国土地理院の地形図をみると「畑」になっている場所だが、見る限りでは原野のような草原のような……牧草地ということだろうか。天塩を離れ、しばらく延々とこのような景色が続くのを目に焼き付ける。
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咲花トンネルを抜けて中川町の佐久に抜ける道道119号遠別中川線。この道を5、6kmほど進んだ遠別町清川地区日本最北の水田
がある所である。清川地区を流れるのはウツツ川水系だが、昭和初期には一本北のパロマウツナイ川水系の丸松地区でも水稲栽培が行われ、凶作続きで止めてしまったという。

Googleストビューでみた、清川地区の水田。この辺りが日本最北の水田ということになる。
暖流の対馬海流の影響で沿岸部は内陸部より温暖だとはいうものの、国策で食糧増産をかなり強力に推進していた戦前の日本においても遠別の清川や丸松が水稲栽培の限界中の限界だったのだろう。もちろん、温暖化の影響もあるし冷害に強い品種改良も進んでいるので、現在の気候と技術力であれば天塩や幌延でも稲作は可能かもしれないが、水田を造るとなれば用水の問題もあるし、戦後は減反政策も進められてきたし、もう北限が北へと動く可能性は極めて低いだろう。
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少し奥の清川地区で水稲栽培がされているとはいうものの、やはりウツツ川の下流域には原野や牧草地が広がっている。まさに水稲の北限なのだ。またしても稚内で聞いた「稚内には農家さんはほとんど居ない」の言葉を思い出す。明治政府が、広大な樺太をあっさり放棄して千島列島を日本領と確定する樺太・千島交換条約をロシアと締結した背景には、樺太ではほとんど農作物生産は望めないが、好漁場である北西太平洋に面する千島列島であればタンパク源および農業用肥料としての漁獲物を豊富に得られる、と判断したのもあるだろう。
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まもなくバスは遠別町市街に入った。遠別町市街地のすぐ南側を流れるのが遠別川となるが、遠別の水稲栽培はこの遠別川流域の方が盛んだという。
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↑〔256〕〔688〕上遠別 名寄まで開通してませんの標識が出てくる。以前、新十津川⇔天塩大橋 一般道最速ルートの比較の記事で触れた路線だ。遠別川流域の水田地帯を抜けて、遠別町正修までは開通している。
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道道256号からすぐに右折して遠別停留所に着く。国鉄遠別駅の跡地に建っているそうだ。ここで数名の乗り降りがあった。
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マイクロバスが停まっている辺りを左右(南北)に羽幌線は伸びていたのだろう。なんとなく駅構内の様子が想像できる。もし津軽線や五能線や大湊線が廃止となれば、今別や深浦や陸奥横浜はこうなるのか。
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北海道道393号遠別停車場線。もう遠別停車場(=遠別駅)はないわけだが、道道としては健在。総延長42m、最短だという道道を完走する。
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遠別駅は無くなったが、往年の駅前通り国道232号の丁字路の角にはノーザンライトというホテルが建っており、駅のあった場所としての風情は今も健在。
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遠別町役場の近くの国道232号の交差点に、北海道日本ハムファイターズ遠別町応援大使の増井浩俊と榎下陽大の大型看板があった。この旅行の時点では二人の去就は決まっていなかったが、増井はオリックスバファローズにFAで移籍、榎下は戦力外通告を経て球団職員になることが決まった。この旅行、ファイターズ選手のポスターや看板を色々なところで見ているが、選手でなくなる人たちばかりだ(笑)それにしても2006年の夏の甲子園準決勝で戦った鹿児島工業OBの榎下が戦力外通告で、早稲田実業OBの斎藤佑樹は現役続行。世の中解らないものだ。
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沿岸バス遠別営業所で乗降の際、「本社までお願いします」と社員から運転士への連絡書類を受け渡しがあり、町を出ると国道232号の山側を並行するように立派な橋梁が。すわ建設中の高速道路かと思ったが、冷静に考えれば留萌を縦断する地域高規格道路の計画もない。広域農道の「樹遠大橋」だそうだ。
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国道232号をバスは順調に南下していく。ここは日本海側ではあるのだが、原野が広がる景観は青森で言えば下北のむつから野辺地に向かう陸奥湾岸の国道279号はまなすラインっぽいように思う。交通量は圧倒的に少ないが、クルマの流れ方もまたそんな感じである。
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山側に目を向けると、羽幌線の廃線跡が並行していることに気が付く。築堤も橋梁も、結構状態が良さそうではないか。
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沿岸バスの豊富留萌線にしても宗谷バスの高速わっかない号にしても、日本海や利尻富士が見えるということで海側の座席を勧める口コミをよく見かけるが、羽幌線の遺構を眺めるなら山側の座席が断然お勧めである。バスは座席が高く見通し範囲が効くし、冬旅だとイタドリなどの大型雑草が枯れるので夏場では見えない所まで見える。
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ここにも橋梁が残っている。遠別から初山別の間はずっとこんな感じだろうか。
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海側も負けてはいない(むしろ、こちらの車窓の方が売り出されている方だろう)。寒々しい冬の日本海という感じだ。豊富、幌延、天塩、遠別と、すじ状の雲の谷間の晴れの区域に入っていたようだが、また雪雲エリアが近づいてきているようだ。
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しかし、猛吹雪の日にここを一人で運転しろと言われたら嫌になりそうだ。この先に風車が三基。常に海風が強い所だろう。これが北島三郎の「風雪ながれ旅」で、津軽三味線奏者の高橋竹山が歩いた留萌の世界か。

バス旅でも、やはり北海道の旅には演歌が似合う。
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海だ、日本海だ、冬の日本海だ。この日は全く利尻富士は見えない。遠別町市街地を出てすぐの所に道の駅富士見があるし、停留所としても第1富士見と第2富士見がある。天塩町にも富士見団地があるというし、稚内市の市街地から納寒布岬を回った反対側にも富士見という町名もある。そのぐらい、この沿岸一帯で利尻富士はシンボル的な存在なのだろう。だが、利尻富士が全く見えない悪天すら、旅行者なら愛でることが出来る。
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また羽幌線の橋梁発見。しかし同じような景色ばかりなので、もはやどこだったのか正確な場所を特定できない。現地できちんと地図と照合してこなかったのが悔やまれる。国道232号でいえば旭橋の所かなとは思うが。
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長らく海沿いの国道232号を走ってきたが、遠別町と初山別村の境界線が見えてきたところで山側へと左折した。歌越という所だったように記憶している。歌越の内陸部に酪農でもやっていそうな民家が何軒かあったが、廃屋っぽい建物もあった。そんな中で時々明かりがついて居間のテレビやストーブが点いているのが見える家を見るとホッとした。
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カーブの先に神社前というバス停と共に神社があり、初山別村の共成という所に入る。共成を過ぎると国道232号の手前に、いかにも跨線橋でしたという感じの小さな橋があり、急いでカメラを向けると、羽幌線が下を走っていたんだろうなあという窪みが続いていた(写真はぶれてしまったが)。

ちなみにGoogleストビューで見るとこういう所。向かって右手に共成駅があったらしい。
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共成駅跡の所から国道232号に入るとすぐ↑ 留萌 83kmの標識。まだ80kmもあるのか。これは松前から函館までの距離に相当する。
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おそらく登駒内川の所ではないかと思われる羽幌線の橋梁跡。この辺りは現在の国土地理院発行の地形図上にも、築堤跡の盛り上がりや切通しの跡が描かれていて、どのようなルートだったのかを読みやすい。保存状態も悪くないのだろう。ヒグマが怖いから探索は行かないが。
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日本海。初山別に入って空は暗くなってきたが、かえって冬の日本海らしさを増してきたように思う。
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名前は不明だが豊岬・天塩大沢間に残るトンネル跡。
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廃トンネルの反対側。羽幌線の遺構、廃止から30年経っても結構普通に保存状態良いのが残ってるじゃないか。
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道の駅☆ロマン街道しょさんべつ。初山別村といえば、私なんかはフジテレビのドラマ「白線流し」にドハマり世代なので、最終回でしょさんべつ天文台に就職して松本を離れる大河内渉(長瀬智也)と七倉園子(酒井美紀)の別れのシーンを思い出しちゃうですよ。
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↑ 留萌 83km 初山別市街 5km 「白線流し」が放送されたのは1996年1-3月クールだったが、ちょうど最終回の放送される3月末頃から百武彗星の接近があって、温存していたお年玉を利用して春休みにホームセンター・サンデーで27,000円の反射式天体望遠鏡を買ったのだった。結局、彗星最接近の頃はあまり天気が良くなく、金星を見るのに使ったくらいだったが……
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豊岬停留所。豊岬と書いて「とよさき」と読む。村中心部から北に位置する豊岬地区はちょっとした高台になっており、天文台や道の駅やキャンプ場などが集積する村の観光スポットになっている。ここで数名が降りて行った。
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2014年閉校の豊岬小学校と2009年閉校の豊岬中学校を記念する看板。
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停留所を出てバスが加速中に、2台が追い越してきた。そのうちの2台目はかなり強引な追い越しであったが、追越直後に不可解に減速するもんだからバスも減速。もしかするとレーパト出没ポイントかと疑うが、その後もこの2台は加速したり減速したりで、次の停留所で減速した沿岸バスにまた追いつかれるという謎の運転をしていた。
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金駒内川の河口の低地に向かって下る坂。爽快なり。日本海のビュースポットだ。良い道。
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ぶれてしまったが、国鉄羽幌線の金駒内陸橋と思われる廃橋。
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初山別村中心部が近づいてくると本当の海沿いになる。白波が立っていて、空も暗い。この辺りだけは、南北の方向が逆になるが青森から津軽半島を陸奥湾沿いに北上した時の蟹田の手前のような風景だ。
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初山別村の中心部に入る。人口約1,200人。1970年頃の人口が3,500人という小さい漁村ということで、青森県で言えば佐井とか平舘より小さい村になるが、道が広くまっすぐなせいかあまり寂れている感じがしない。
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羽幌警察署の初山別駐在所。ちょうど制服警察官と私服の二人が外に居て会話をしていた。私服の方がただの村民なら、村の駐在さんと村民の日常という風景だが、奥の駐車場に停まっているSUVはエクストレイルだろうか……確か道警には捜査用覆面エクストレイルがあったはず。私服の方も捜査員かもしれない。
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駐在所を曲がって初山別の停留所へ向かうと、三陸はじめ太平洋側ではおなじみの津波浸水域の看板が出ている。北海道の日本海側も1983年の日本海中部地震や、1993年に奥尻島に壊滅的被害をもたらした北海道南西沖地震など津波は来ているし、ここ留萌管内でも1940年の積丹半島地震では天塩町市街地の天塩川対岸(住所は幌延町になる)が2mの津波に襲われ死者を出しているという。
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遠別駅に遠別の停留所があったのと同様、かつて初山別駅があった場所に初山別の停留所がある。
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本当はトイレ休憩は設けていないようだが、始発の豊富駅から乗っている私をみて運転士が「トイレ行ってきても良いですよ」と言ってくれたので、お言葉に甘える。
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小休憩を経て国道232号に再び出ると、セイコーマート初山別店が海手に見えてくる。この初山別店、スーパーもコンビニも無かった初山別村中北部住民の"買い物難民"問題を解決すべく、村とセコマが協力したモデルケースになっているようだ。
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ぶれてしまった……。これがセイコーマート初山別店だ。この出店の経緯については、コチラが詳しい。
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小さい村なのであっという間に抜けて、バスは羽幌へ向けて国道232号をひた走るが、このアップダウン具合が本当に下北の国道279号みたいだ。
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こうして、初山別から羽幌にかけても今まで通り、撮影をしながら進んでいたわけであるが……

<羽幌−留萌>
14:00〜
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羽幌町の目前で、一眼レフにトラブル発生…
カメラ本体が、レンズを認識できなくなってしまったのだ。レンズを取り外すとシャッターを切る事もできるのだが、ご覧の通りぼやけたものしか撮れない。スマホでニコンのHPにアクセスし、同様のトラブルが発生した際の対処法を探るが、復旧せず……やむを得ず、以降はスマホのカメラで撮影することにした。
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写真の画角が4:3から16:9に変わるとともに、画質も落ちるが最後までお付き合いを。
羽幌町に入るとご覧の通り、稚内市街以来の吹雪となった。すじ状の雲の、雪雲のゾーンに羽幌は包まれていた。改めて書くが、これは2017年11月19日。ギリギリまだ11月中旬である。
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沿岸バスの羽幌本社営業所を経て、かつての国鉄羽幌線羽幌駅跡に。ロータリーをぐるっと回って、駅舎跡を背に海手を向いた方向。新しいアパートなども建って、あまり往時の面影はないのかもしれない。
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豊富駅からきた運転士が「ここで交代します」と挨拶したので私も「どうもありがとうございました」と返答する。私はさらに留萌まで行くぞ。
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バスターミナルにも使う言葉なのかどうかわからないが、頭端式のバスターミナルになっている。バスがフロントからターミナルに入り、前部ドアが屋根の下に入ることから乗降客が雨に濡れない形状で、東北だと盛岡にこういう形式があったような気がする。発進する際はバックし切り替えして出て行く。
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バスの窓に映るカラフルな壁画が、羽幌駅舎のあった場所だそうだ。
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羽幌町はピーク時に人口3万を超え市政施行を検討したこともあったらしいが、1971年の炭鉱閉山から1975年ごろまでに人口はほぼ半減したという。それでも1990年代後半まで人口1万を維持していたというから、空知の炭鉱都市とかに比べれば持ちこたえることが出来ているように思う。羽幌は炭鉱だけではなく農業や漁業もあり、初山別や苫前など留萌中部で拠点的な街になっているのもあるからだろう。
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空知の炭鉱都市の場合、夕張は10万を超えた人口が1万割れと1/10以下になり、歌志内もピークで5万弱の人口が4000人割れで1/10以下、道都札幌や岩見沢に近い三笠でも6万弱の人口が1万割れでほぼ1/6まで衰退している。それを考えれば羽幌は今でも8,000弱の人口を抱え、まだピークの1/4くらいで踏みとどまっていると言えよう。
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羽幌を抜けると苫前町は比較的すぐの所にあるが、吹雪はおさまっている。羽幌で圧雪状態だった国道232号の路面も、濡れ路面かシャーベット状くらいまで回復している。
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苫前上町の停留所。苫前は人口3,000強の町で、人口規模は天塩に近い町だが、天塩の方が賑やかな感じがする。苫前は羽幌に近すぎるのもあるのだろう。
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苫前をあっという間に抜けると、電光掲示板にCaution Lightning in Rumoiと表示されている。
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留萌中部 雷 なだれ 注意報発表中と日本語表記。avalanche snowslideは表示しないのね。
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少しずつ天気は悪化し……日本海、波が高いな、おい(笑)
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波打ち際を行く羽幌方面への沿岸バスとすれ違うようだ。
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敬礼!
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苫前から小平にかけては、ご覧のように羽幌線の跡の落石防護ネットとコンクリート壁が延々と並ぶ光景が見られる。国道232号と近い所を並走していたのだろうなあ。
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小平町市街に近づくにつれ、また天気が悪くなってくる。圧雪アイスバーン路面に変わり、白波が立つ日本海が怖いくらいだ。
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津軽弁でいうところの「かっちょ」さ囲まれた海辺の住宅。「かっちょ」とはご覧の通り、強風や吹雪から避けるために家屋の周囲に木の板を組み合わせて作る暴風壁の事だ。木製暴風壁とは言わず、カッチョと言いたい。それにしても人の気配が感じられない……

吉幾三の「津軽平野」2番の歌詞「十三湊は西風強くて夢も凍れる吹雪の夜更け」で思い浮かぶのも、こうしたカッチョで囲まれた漁村の風景である。
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バスは小平町北部の鬼鹿に入る。昭和31年に小平村(当時)と合併し小平町になるまで鬼鹿村だったところである。この写真に、久しぶりにみる水色の看板も。
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鬼鹿の停留所である。運賃表が凄いことになっている。ここで、宗谷本線稚内駅〜豊富駅間と、幌延駅から一緒に来たカードゲーム少年が降りて行く。稚内から鬼鹿への旅だったのか、少年。少年はスナック菓子ではあるが稚内で食糧をきちんと確保していたので、兵站では彼に負けた。
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鬼鹿は昭和31年までは独立した村だったこともあり、他の集落と比べれば格段に規模が大きい。初山別の中心部に匹敵する規模のように感じた。

というのも、鬼鹿の国道232号沿いに久しぶりにローソンがあったからだ(店舗正面の写真は間に合わず撮れなかったのでストビューで)。セイコーマートも好きだが、それしかコンビニが無い地域に長くいると他のコンビニも恋しくなってしまう。やはり稚内から札幌への最速ルートであるオロロンラインルートで向かう場合、この小平鬼鹿店がローソン最北端になるようだ。(ただし緯度的にはさらに北の雄武町の紋別雄武町店がローソン最北端となる)
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本当はマイカー旅行だったら寄りたい、花田家ニシン番屋とその並びの観光施設。花田という苗字も津軽に多い苗字で、有名人では初代若乃花の花田勝治や、その弟で若貴兄弟の父である貴ノ花の花田満らがいる。私が子供の頃、藤島親方(当時)がまだ入門間もない息子の若花田と貴花田を率いて弘前の青女子に墓参りに訪れた時は東奥日報でも記事になったのが思い出されるし、青女子の隣村に住む私の親戚も彼らに会いに行ったと聞く。ただ、ニシン御殿の花田伝作は松前半島は福島の出だという。
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これが花田家のニシン番屋跡。花田伝作は福島町出身とはいうものの、福島と言えば三厩とかつてフェリーで結ばれ、旧・三厩村やその後継自治体である外ヶ浜町とも姉妹都市になっていて、津軽と非常に縁の深い町である。海峡を挟んで縁戚関係にある人も少なくない。
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その後も、小規模な番屋の跡なのか普通の家なのかわからないが、海沿いに木造の廃屋が建ち並ぶのが見えた。いずれにせよ、漁業に関わりのある可能性が高いだろうと思う。
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白波が立つ冬の日本海と、廃屋と、吹雪の国道を見ていると、昨日STVラジオから流れてきたあの楽曲が思い起こされる。

北原ミレイ「石狩挽歌」。
本当は小樽が舞台の演歌だが、留萌の小平の風景に合いすぎて鳥肌が立つ。しばし再生しながらお付き合いを。
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小学6年の学芸会で、私は江差のニシン番屋を舞台にする「とんちの繁次郎」の劇を演じた。主人公の繁次郎は人気投票で標準語のイケメンが選ばれ、ヤン衆の親方は津軽弁の上手なガキ大将タイプが選ばれ、私は繁次郎のツケ払いを取り立てに行く飯屋の親父を演じることになった。
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イケメンは中高と同じ学校に通い、東大を経て今はベンチャーの社長をやっていると聞く。ガキ大将タイプの友人は今も同じ町内に暮らし同窓会の幹事をやっている。私は東京で時に理不尽な金払いをされる殺伐とした職場にいる。見事にその後の人生を投影させている配役だったなと思う。
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繁次郎の思い出もあって、松前から江差、瀬棚とニシン漁の舞台になった檜山沿岸を縦断したこともある。檜山も留萌も同じ北海道の日本海側ではあるが、檜山は津軽の延長らしい部分もあるのに対し、留萌まで来るとやはり津軽とは似ているようでまるで違う。留萌に来てよかった。留萌を見て良かった。
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小平の中心部に入ると、鬼鹿や苫前と比べても明らかに吹雪が強くなっている。宗谷岬ほどではないが、稚内市街より酷いかもしれない。

またしてもカメラが間に合わなかったが、小平中心部にはセブンイレブンもあった(羽幌町にもあるという情報を聞いたが確認できなかった)。留萌が、札幌が近くなってきているのだとコンビニチェーンの立地から実感する。
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小平を抜けて留萌市が近づくと、本格的に吹雪が悪化した。宗谷岬から稚内市街へ戻る時と同じくらい天気が悪いが、夕暮れ時で暗い分、留萌の方が天気が悪かった印象がある。留萌市に入ると、留萌橋を渡って元町を経て、ルルモッペ大橋で再び国道232号に出た。留萌駅へ急ぐのであれば、ルルモッペ大橋を渡る前の元町界隈の停留所で降りて徒歩で行くと早いと思われる。バスは、留萌高校や留萌市立病院の方まで東進し、時計回りに留萌駅へと向かうのである。
<留萌市>
15:50〜
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そして唐突に留萌駅の写真になる訳だが……
実は小平町市街地に入ったあたりでスマホの電池も残量僅かとなり、撮影を控えていたのである。いよいよ充電切れの危機が迫り、ポータブル充電器を繋いで、バスの小物入れネットにスマホとバッテリーを一緒に入れたのが失敗だ。
定刻より5分ほど遅れ15:53頃、留萌駅前停留所で萌えっ子フリーきっぷを提示して降りた際、スマホを携帯したつもりで、バッテリーしか携帯していない事に気が付く。
スマホを探してポケットやリュックサックを漁るが、入っているわけがない。
そう、バスの小物入れにスマホ本体を置き忘れてしまったのだ。
沿岸バスは留萌十字街へと走り去った後だ。
航空券のバーコードはスマホに入っている。
無ければ今日中に東京には戻れない。
たまたま、路上に停車し休憩中のタクシーが居り、膝まで雪藪に突っ込みながら窓を叩く。
運転手に事情を話し「留萌十字街まで沿岸バスを追いかけて欲しい」と告げると、「だったら営業所に行った方が速い!車庫に入ってしまうはずだ」という。
運転手の機転に賭け、沿岸バス留萌営業所に着くと、ちょうど回送で車庫に戻ってくるタイミングだった。
留萌営業所の社員に忘れ物はないかと尋ねると、「何色か、メーカーは?」と問われ、確認してくるという。
この時、時刻は16:03だった。
留萌本線 留萌発深川行の発車時刻は16:17

タイムリミットは14分。
無限に続くのじゃないかと恐ろしくなる焦りの時間。

2分後、社員の方がスマホを持って来てくれた。

お手間をかけさせ申し訳なく、平身低頭、お詫びする。

そこから駅まで除雪されていない歩道の雪藪をラッセル&ラッセル、とにかくDASH!であった。
朝に稚内でおにぎりを食べて以来、何も口にしていない。留萌駅名物のそばを食べなければ!
留萌駅到着時には16:10
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営業終了!!
もうあきらめがついたよ。。。。。
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大谷翔平がいっぱい。王貞治や長嶋茂雄の現役時代のポスターや看板が貼られている古写真が貴重な存在になっているのをみると、これも将来、貴重な写真になるかもしれないな。
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2016年12月に廃止された増毛駅方面にカメラを向けると、ホームとホームの間が埋まりそうなほど雪が積もっている。
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もう点灯することのない、増毛方面を示す掲示板。
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深川行の留萌本線普通列車。本日2回目のキハ54形列車。乗り込む頃にはすっかり真っ暗になってしまい、撮影も出来ないし、疲れもあって、深川まで眠りに就いた…

宗谷本線稚内駅 留萌本線留萌駅
駅時刻表(2017年11月現在)
稚内駅留萌駅
20 名寄行
普通
49 深川行
普通
36 旭川行
[特]サロベツ
47 深川行
普通



11 深川行
普通

31 深川行
普通
27 名寄行
普通
10

11

1217 深川行
普通
01 旭川行
[特]サロベツ
1330 深川行
普通

14

15

1617 深川行
普通
46 札幌行
[特]宗谷
17
04 名寄行
普通
1818 深川行
普通

19
11 幌延行
最終普通
2020 深川行
最終普通
ここで、稚内駅留萌駅の時刻表をまとめておきたい。
稚内を発つ宗谷本線には特急列車(サロベツ、宗谷)も走行してはいるものの、留萌を発つ留萌本線の方が本数は多い。本数だけ見ると、宗谷本線(名寄以北)の方が存続が怪しいような気がするのは私だけだろうか……。

<深川−旭川空港>
17:15〜
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17:15、深川駅に着くと、キハ54形も雪まみれ。お疲れ様。
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函館本線深川駅。ちょうど札幌行の特急列車が来るらしく、札幌、新千歳方面へ向かう客は大急ぎで乗換えへと向かって行った。
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まもなく来たのは、特急ライラック。青森県民にもなじみ深い789系列車だ。2002年の東北新幹線八戸開業と同時に、八戸−青森−函館間の特急スーパー白鳥として青森県内を走りはじめ、2010年の東北新幹線全線開業後も、新青森−青森−函館間をスーパー白鳥として活躍していたのだ。

バイバイ、元スーパー白鳥。道央特急で長く活躍しておくれ!
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特急ライラックを見送ったら、私も乗換えのため函館線旭川方面ホームへ移動だ。
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壁と壁の出っ張りの間の隙間に挟まれた広告看板。一番奥の成田医院、誰の目にも止まらずかわいそう。
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深川市も人口2万強の小都市だが、都会に来たような感じがする。札幌と旭川の間に居るというだけで、そう思わせてくれる。
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東北新幹線開業後はこうした在来線特急ならではの乗り口表示もあまり見なくなった(この2ヶ月ちょっと前に名古屋駅や塩尻駅で見ているが)。
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旭川行の特急カムイ29号も定刻の17:36到着。指定席車両に前寄りから乗り込むと、最前列でなかなかかわいいお姉さまが真冬だというのにミニスカを穿いていらっしゃったのだが、あろうことかムチムチの太ももを全開で大爆睡中。目のやり場に困る本日最高の絶景ではないか。
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17:55、深川−旭川は特急だと一駅しか無く、あっという間に旭川駅に到着。昨日はピーカンの青空だった旭川も、うっすら雪化粧していた。
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旭川空港行の旭川電軌バスは18:11発なので、旭川市内で夕食と云う訳にはいかない。すぐに駅前のローソンに入る。
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ローソンに旭川空港行のバスの券売機があり、これを利用する。
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さようなら、旭川。道北主要都市なのに、稚内や留萌より滞在時間が短い旅だった。
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空港行バスが来る9番乗り場に着くと、私は4人目。先頭は女性二人組。3人目は写真の男性。少し遅れて18:15頃に空港行バスが来たが、乗務員が乗って下さいと言っても先頭の女性二人組が頑として進まない。外国人かと思ったが、なんと日本人で「私たちは並んでいません」と宣うものだから、その場にいた私も他の客も苦笑であった。寒い中何やってんの?
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バスが出発したら出発したで、ふらのバスのラベンダー号と間違えて乗った男性客が現れ、運転手が無線でふらのバスに連絡し、交差点内で乗換え。しっかりしてくれよ(←留萌でスマホを紛失しかけた人)
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こうして18:50、旭川空港に到着。旭川空港は確かに雪に強い。稚内への便が良いのも旭川空港往復とした理由ではあるが、新千歳の場合の雪による欠航リスクを回避した面も大きい。社会人、遊びで出かけた北海道から返って来れませんというのは痛い。
ただ、同じく雪に強い青森空港にも言えることだが、新千歳に比べると旭川空港も青森空港も規模は小さい。新千歳の除雪難易度は青森や旭川より遥かに高いだろう。この点は、新千歳の除雪隊にも同情する。
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日本を代表する観光地だけあって海外旅行客も多いのか、旭川空港に礼拝室があったのには驚いた。
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空港内のラーメンレストランの旭風で、旭川ラーメンを。朝の稚内以来の食事だ……この際、有名店や人気店であるとかないとかは関係ない。命を繋ぐための食事だ。美味しい。隣のテーブルで、サッポロクラシック 生を飲んでる客がいて羨ましくなるが、私は羽田に着いたら運転しなくてはいけない。我慢だ…!
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サッポロクラシック 生への未練を断ち切るがごとく、誰も出ようとしない屋外の展望デッキへ出る。ラーメンを食べて熱くなった身体に、上川盆地の冷たい夜風が心地よい。本当に、良い旅だった。さようなら。旭川。

安全地帯「あの頃へ」。
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最後の最後、北海道牛乳ソフトクリームを食べて、北海道を離れる儀式を進める。北海道、やっぱり好きだねぇ……
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ロビーで「ザ・鉄腕!!DASH」を見て、JAL558便で離陸。
羽田空港にもほぼ定刻で到着し、首都高速を飛ばして自宅に着いたのは23時過ぎだった。



まさにとんぼ返りといった感じの1泊2日の稚内・留萌の旅、これにて完。


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