私は2017年11月に宗谷と留萌を巡る旅をしたばかりだが、その記憶もまだ新しい2018年1月20日、また北海道へ行ってきた。

<根室駅−納沙布岬>
13:40〜
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定刻でJR根室駅に隣接する根室駅前バスターミナルを納沙布岬行が出発する。前述の通り、おかしい中年女性の行動のせいで気分は悪い。根室の第一印象がこれになってしまった。

根室駅前からイオン根室店までのバスの車窓を録画してみた。今は「イオン根室店」だが、かつての「ポスフール」である。それより古くなると「根室ファミリーデパート」を名乗っていた時代もあるようだ。根室の親戚によれば根室の中心商店街には「中央デパート」もあったというが、他の都市にあるようなデパートに比べると規模が小さく、デパートは釧路まで行かないと無かったと聞く。百貨店協会にも加盟していなかったようだ。
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根室市街をくねくねとまわりながら進むと、セブンイレブンがあって驚く。稚内にはなかった。根室市は20万都市圏・釧路市から約120kmと、稚内が旭川から250km近く離れているのに比べればだいぶ近い。セブンイレブンの釧路の拠点からの配送圏内に根室は入るのだろう。
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根室高校を過ぎるとほどなく市街地を抜け、ご覧の原野地帯に入った。この日は土曜日だが、根室高校の駐車場には教職員のものと思われる通勤用自家用車が何台か停まっていたが、釧路ナンバーと同じくらい、旭川や札幌のナンバーを付けた乗用車も停まっていた。北海道の教員の異動は大変だ。
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路面には「シカ注意」のペイントが現れる。稚内も市街地にエゾシカが出没して大変だと聞いたが、根室も市街地のすぐそばにこんな表示がある。
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これは友知(ともしり)の原野。先ほどの厚岸湖が茨城の霞ヶ浦や北浦みたいだったように、この景色もまた鹿島灘の方みたいだ。
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歯舞の集落に入る。根室と合併する昭和34年までは歯舞村だった地域で、北方領土の歯舞群島の名前もここに由来する。歯舞村のうち島嶼部(歯舞群島)はソ連に侵略されたが、北海道本島(根室半島)に属する地区は占領を免れた。このバス停は歯舞村役場跡でもあるわけだが、始発からいた、おかしな中年女性はここで降りて行った。
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こちらは歯舞を抜けた先にある法泉寺という曹洞宗の寺院。以前、稚内や幌延の大きな寺を見たときにも思ったことだが、北方開拓と仏教の関係を見ていくのは面白そうである。
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バスは根室半島南岸を順調に流れ、予定より1分早く14:28に終点・納沙布岬に到着。根室市街地で信号の度に停められダイヤが遅れ気味だったが、終点だけは1分早着の挽回劇。
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こちらは根室市北方領土資料館。すぐ目の前のバス停からは、帰りの根室駅行のバスが出る。15:10のバス発車時刻まで41分。納沙布岬を見ていく。
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意外にもこの日の14時半の納沙布岬の気温はプラスの1℃を超えていて、暖かい。納沙布岬に限らず千島も、冬は割と気温が下がらない気候だという。
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まずは、海側にひときわ大きく目立つ「四島(しま)のかけ橋」を見に行く。アーチの下で燃えているのは、返還実現への固い決意を象徴する「祈りの火」だそう。
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海面の向こうにうっすらと横に広がって見えるのが、水晶島だ。面積は約21k屬覆里如愛媛県松山市の沖合にある中島と同じくらいの広さのようだ。距離にして納沙布岬の約7km先だという。
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そして国後島は…肉眼だと、本っ当にうっすら微かに見えていたのだが写真には写らなかった。肉眼で国後を見たのは約30年前に別海町で見て以来だ。
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で、こちらが「オーロラタワー」なんですけどね、こういう巨大建造物が聳えるのを見ると「白い巨塔」のメインテーマが脳内再生されるわけですよ私は。
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財前五郎を気取って気難しい顔で背筋を伸ばして近付くも、残念ながら休館。「NPO法人千島の砦」という厳めしい名前の法人名の張り紙がされていた。笹川良一が建設し、もともとは「平和の塔」とか「望郷の塔」という名前のはずだったが。
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「砦」に入れなかったので踵を返すと「北方領土返還運動原点之地」の碑が。第二次海部内閣で総務庁長官だった塩崎潤の揮毫だ。第一次安倍内閣で官房長官だった塩崎恭久のお父さんだ。
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隣は潰れたガソリンスタンド跡。宗谷岬には最北の出光が今も営業中だが、納沙布岬にはもう無い。
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もう一度、四島のかけ橋のある望郷の岬公園に戻って行く。なんとなくだが、オーロラタワーの方は右翼の雰囲気を強く感じた。そりゃ、社民党みたいな左翼(日本共産党は全千島返還を求めているので除く)に占拠されてるよりは良いだろうが。
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まあ海の方にも「返せ全千島 樺太 北の防人」と書かれた木碑も立っていて気合の入り方が違う。宗谷岬は「異国 サハリン」なんて間宮林蔵先生が悲しみそうな事を言ってるのに。
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「返せ北方領土」と、北の防人よりはトーンダウンした木碑。納沙布岬はもう少し東の方だが。
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これらの木碑の内陸側にあるのが「北方館」と「望郷の家」。内部で繋がっていて、ぞれぞれの管理団体は前者が独立行政法人・北方領土問題対策協会北方館、後者は根室市役所北方領土対策課。これは官の方の施設ということになる。
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北方館の内部に入ると、見学者がちらほら。1階で外務省が作成したパンフレットを貰って2階に上がると、ノサップ海域を警戒するロシア艦船という写真の掲示が。
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望郷の家の方に移ると、カムチャツカから北海道本島に至る全千島列島の模型が展示されていた。こちらは北千島。最北端の阿頼度島や、カムチャツカと向き合う占守島、そして北千島最大の幌筵島などなど。
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おもに中部千島。大きな島は新知島。なかなかマニアックな地名も載っているので見るのは面白い。
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択捉島と得撫島。得撫島は千島列島では択捉、幌筵、国後に次いで4番目に広い。床丹という集落があったとは不勉強で知らなかった。1450k屬發量明僂あって沖縄本島より広いのに、先住民族のアイヌも日本人もロシア人も、歴史上ほとんど定住者がいないというのが得撫の魅力か。
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こちらがいわゆる北方領土と呼ばれる択捉、国後、色丹、歯舞の島々と、北海道本島と。知床と根室半島に挟まれた国後の食い込み方を見ると、日本人としては択捉以北の島にもまして返してほしくなるが、ロシアにしてみれば国後は千島で最も温暖な島になるわけで、そんな一等地みたいな国後は絶対に返したくないだろう。
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2階から1階に下りる階段の壁に掲示された松前藩の探検のコーナーは心を惹かれた。
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外に出ると高碕達之助先生顕彰碑があるのに気が付く。日ソ民間漁業協定を結ぶのに尽力した功績で知られる。
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海沿いに、納沙布岬の灯台を目指して歩いていくと、右翼団体の日本青年社が建立した「祈願 北方領土奪還」の石碑があり、その反対側には昆布の干場があった。オーロラタワー(砦)といい、納沙布は右翼と普通の住民の暮らしが隣り合わせである。
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こうしてようやく到達、納沙布岬灯台。民間人が行ける日本の東西南北端(納沙布岬、西崎、高那崎、宗谷岬)をこれで踏破だ…!
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灯台の裏側には野鳥観察舎があり、中で3人が望遠鏡で北方領土を眺めていた。
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納沙布の最東端。中央の石の直方体、三角点かなと思って撮ったが、地理院地図で見るとそうでないらしい。
こうして一般人が普通に訪れることが可能な、日本国が実効支配できている領土の最東端たる納沙布岬を見たわけだが、右翼団体の気配が濃すぎるのがいささか不安になる。
もともと「望郷の塔」と呼ばれていたオーロラタワーは1987年の落成式に当時の根室市長や北海道副知事が出席していたりと、領土返還運動にも関わる公的機関の後盾もあったと思われるが、現在の運営を行うNPO法人と公的機関との関係には距離があるように感じられる。
北方領土問題に関心のある日本人が減少して民間による返還運動が減衰し、北海道や根室市などの公的機関にも民間団体を補助するだけの財政的余裕がなく、官民ともに領土返還運動がジリ貧状態のところに、活動資金を持った右翼団体が進出してきているのかもしれない。
ロシアはそういった返還運動に金を出せなくなってきている国や民間の財政状況も、右翼団体の進出も知っているだろう。
あまり身の上の金の話はしたくないが、私は根室市にはふるさと納税をしていて、納税したお金の使い道については北方領土返還運動に使ってほしい旨の回答欄に記入している。
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根室警察署納沙布駐在所。「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の記念すべき第一回のラストで、なぜか警視庁の警官なのに両津勘吉と中川圭一が飛ばされてくるのが「ノサップ岬派出所」である。中川の台詞が「先輩 今日は天気がいいからクナシリ半島がよーくみえますよ!」というのがツッコミ所ではあるが、実は明治3年の約4か月間だけ根室は東京府だったのだ。世が世なら、警視庁が本当に納沙布を管轄していた歴史もあったかもしれないのである。
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JR稚内駅から納寒布岬に行くバスは1日に50本以上あるが、JR根室駅と納沙布岬を往復するバスは8本のみ。もっとも、稚内も宗谷岬まで行くバスの本数はさほど変わらないが。
15:10〜
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定刻通り、15:10に根室駅行バスに乗車。納沙布岬とんぼ返りである。来た時と同じ車両、同じ運転士であった。載っている乗客も3名は同じだった。
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旧珸瑤瑁小学校。納沙布岬と水晶島の間の珸瑤瑁水道の名前もここから来ている。残念ながら廃校である。私はこうして椅子に座りながら写真を撮っていたが、後方に載っていた男性客が時折立ち上がるのを運転士が気にしているようで、この先のバス停で運転士がマイクで「立たないでください」と注意。その乗客も素直に謝ればいいものを、「コートのホックを閉めているだけだ」と言い返していて険悪な雰囲気に。これも根室の印象を悪くした
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根室市街地に戻り、セブンイレブン前まで来る。コートのホックおじさんが下車するも車内の雰囲気は重い。そんな中でセブンの駐車場を見ると八戸ナンバーの乗用車が停まっていた。八戸や岩手沿岸北部から、結構クルマで道東の根室や釧路まで出稼ぎに来る漁師も多いと聞く。数年前には十勝で八戸の漁師親子が交通事故というニュースもあったのを思い出す。
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根室にもモスバーガーがあった。時折、こうしてスーパーマーケットが賑わっている場所もあったが、根室の全体的な印象としては稚内はもちろん、留萌よりも寂れた街という印象だった。
根室 中標津 人口グラフ
これは同じ根室管内で、根室振興局(旧根室支庁)所在地である根室市と、根室中標津空港と擁する内陸の中標津町の人口推移をグラフに加工したものである。1970年頃には根室の方が中標津より3倍弱も人口が多かったわけだが、根室の激しい人口減少が止まらず、最近まで人口増加を続けてきた中標津との差が3,000人くらいまで詰まってきているのだ。実は私の根室の親戚も、根室に家はあるが一家全員が釧路に移転し、今は市街地に空き家を構えている。バスから見ていても根室の町の広がりは大きいのだが、その多くは空き家と高齢単身世帯で占められているのではないかと推測された。
根室の人には申し訳ないが、殺伐とした人たちも見てしまったし、この旅においては稚内のように良い印象というのを受けることはできなかった。

(4)につづく

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