宗谷・留萌とか釧路・根室とかの一人旅をさせてもらった後は、妻子にも旅行を提供しなければならないというわけで、日帰りながら茨城県桜川市(旧真壁町)に「真壁のひな祭り」を見に行ってきた。

DSC_0602DSC_0599DSC_0603
(各写真ともクリックで拡大します)
茨城県といえば北関東の県であり、私の身近にも「(福島)浜通りの延長だ」などという水戸出身の同期もいたりするが、東京メトロ千代田線直通列車が取手駅に乗り入れるし、県南西部は東京都心1時間以内の通勤圏である。当ブログで最もアクセス数の多い記事ナンバープレート 地名別登録台数を調べたでも触れているが、茨城県は県都・水戸市の水戸運輸支局の発行する水戸ナンバーより、土浦自動車検査登録事務所が発行する土浦ナンバーとつくばナンバーの方が台数が多いところからも、ベッドタウンとして発展する南西部の東京への近さを窺わせている。
DSC_0605DSC_0604DSC_0610
(各写真ともクリックで拡大します)
平成の大合併を経て今は茨城県桜川市となっている旧真壁町はWikipediaさんだと「茨城県西部」に位置した町ということになっているが、古河市や結城市のように旧下総国に属した地域ほど西に寄ってはおらず、筑波山の北の麓というとわかりやすいかもしれない。かつては筑波鉄道が通っていたというが廃止されており、東京へ通勤するには遠いだろう。私も常磐道土浦北ICから農道の朝日トンネルと県道の湯袋峠で筑波山を快適に越えて、真壁入りしたのである。
DSC_0608DSC_0611DSC_0612
(各写真ともクリックで拡大します)
「真壁」とGoogleの検索窓に打ち込めばスイーツ真壁こと新日本プロレスの真壁刀義選手がトップに出てくる昨今ではあるが、忠臣蔵マニアであれば浅野内匠頭のルーツがある真壁藩の真壁だと即座にわかる人もいるだろう。私の場合は常陸の大名・佐竹家臣にして「鬼真壁」の異名をとった真壁氏幹である。「信長の野望」シリーズによって数値は異なるが、覇王伝でハマった私にとって真壁氏幹は天下統一に多大なる功績を残す名将の一人という印象が非常に強い。
DSC_0613DSC_0616DSC_0617
(各写真ともクリックで拡大します)
というのも青森県人の私は南部晴政でプレイするか、南部で始めて即座に縁組して津軽為信に大名を変えてプレイするのだが、初めて配下に付く「戦闘能力90超過」武将がこの真壁氏幹なのである。覇王伝では南部家は九戸政実の戦闘79が最高で、伊達家を征伐しても九戸を上回る武将がいない(戦闘88の伊達成実や戦闘86の政宗が出てくる頃にはもう天下統一目前で使わないことが多い)。最上を滅ぼせば戦闘87の延沢満延が配下に付いてくれるが、戦闘90を超える武将となると真壁が最初というのが殆どなのである。真壁を仲間にせずいきなり戦闘能力100の上杉謙信に喧嘩を売って鬼小島弥太郎とかを仲間にする勇気はない。
DSC_0618DSC_0620DSC_0626
(各写真ともクリックで拡大します)
真壁氏幹とか浅野とかの名前が出て来た時点でお察しの通り、真壁は小さな町ではあるが城下町だったこともあって町の中心部は「伝統的建造物群保存地区」に指定されているし、登録有形文化財指定の星野家住宅など歴史的な街並みが残っているのである。星野家ではお雛様の撮影が禁止されていたので建物の外観のみだが、こうしてお雛様を飾る旧家や商店が並び、軒先で屋台なんかも出しているのである。
DSC_0622DSC_0623DSC_0627
(各写真ともクリックで拡大します)
真壁町市街地の東側には筑波山から北に連なる加波山が聳える。加波山といえば鬼県令・三島通庸の暗殺未遂で知られる加波山事件の舞台だが、花崗岩の産地ということもあって真壁は墓石生産も盛んだという。真壁のひな祭りは2003年に町民有志が保有するお雛様を自主的に飾り付けて祭りにしていったそうだが、このように墓石用の花崗岩で石のお雛様を造ってしまう気合の入った石材店もある。鬼真壁に鬼県令三島といい、真壁は鬼に縁のある土地のようだ。
DSC_0628DSC_0629DSC_0630
(各写真ともクリックで拡大します)
商店街の一角で行われていた青空市のような物販コーナーではなぜか青森県産ニンニクが売られていた。9枚目の写真には北海道のはぼまい昆布しょうゆが登場しているが、北日本の商品を真壁で目にしてつい顔がニヤけてしまう。そういえば真壁氏幹も、徳川によって佐竹家が常陸から出羽秋田に転封となった際に、殿様と一緒に秋田に随行していったという。今でも男鹿や潟上の辺りに真壁姓が多いのを考えると、八郎潟や男鹿半島の辺りに真壁氏幹の子孫がいるのかもしれない。
DSC_0633DSC_0632DSC_0631
(各写真ともクリックで拡大します)
商家ではその家庭で御自慢の立派な雛飾りを展示しているが、ステンドグラスのお雛様を造って飾る店もあったりと、見ていて飽きない。花崗岩のお雛様はさすがに無理だが、ステンドグラスは売り物なら購入して持ち帰りたいくらいだ。函館のガラス工房だと予約制でステンドグラス作り体験なんかもできるが、真壁もやれば人気を博すような気もする。
DSC_0636DSC_0637
(各写真ともクリックで拡大します)
今ではコンビニに淘汰されめっきり減ってしまった「町の酒屋さん」というべき酒店でもお雛様を飾っていたが、甘酒を飲みながらお雛様を見ている妻子を横に、私は年季の入ったサッポロビールの冷蔵庫の方に着目してしまう。子供の頃にはまだ青森にもこういう酒屋の冷蔵庫はあり、お使いでキンキンに冷えたキリンラガービールの瓶を買うということもあった。ただ、この酒店ではアサヒスーパードライの缶しか冷蔵庫に入っていなかった。ビール業界のシェアも子供の頃とはずいぶん変わってしまった。
クルマで来たから飲めないが、隣の精肉店の揚げたてメンチカツがすこぶる美味であったので、バスで来ていればメンチをつまみにスーパードライなんてのは乙だろう。
DSC_0638DSC_0639DSC_0640
(各写真ともクリックで拡大します)
続いて訪れたのが登録有形文化財の伊勢屋旅館。古くは勢州楼という料亭だったという。つい「楼」とか「料亭」と聞くと元は遊郭かなと勘ぐってしまうのが僕の悪い癖だが、別に遊郭であったとかではないらしい。ここは真壁で見ておきたかった場所の一つ。

というのは、真壁のひな祭りを見に行こうと決めたきっかけが茨城県の広報番組「磯山さやかの旬刊!いばらき」で紹介されたからで、磯山さやかがロケしていたのがここ伊勢屋旅館なのである。真壁にしても、ここがいち押しだろう。
DSC_0641
(写真はクリックで拡大します)
店先に飾られる各家庭御自慢のお雛様も悪くないが、やはり古い木造家屋で畳の部屋の横幅いっぱいにお雛様が並ぶのは見ていて感嘆する。私は姉も妹もいない男兄弟だったのでお雛様は幼稚園以来縁がなく、雛祭りの良さが全く理解できなかった。金のない公立幼稚園の体育館のフローリングに、ステージ登壇用の階段みたいな段を組んで赤いカーペットを敷いただけの安普請なお雛様とは明らかに雰囲気が違う。伊勢屋旅館のお雛様は華やかなのに怖いくらいだ。
DSC_0646DSC_0650DSC_0651
(各写真ともクリックで拡大します)
こちらは伊勢屋旅館からすぐの鶴屋商店。ここでも山形名物玉こんにゃくが売られており、真壁はずいぶん北日本の食べ物が好きだなと思う。専売公社からたばこ小売販売業の許可を得たたばこ販売店が掲げることの出来た、昔ながらのtzばZ看板も堪らない。そしてこの鶴屋商店のお雛様がすごかったのだ。
DSC_0652
(写真はクリックで拡大します)
なんと江戸時代のお雛様。
これを見るためだけにでも真壁に来る価値があるでしょうよ。明治、大正、昭和初期から現代までのお雛様が一堂に会しており、今これを見ている女の子からみたら江戸時代のお雛様ってのは何代前のご先祖様のお雛様だったのだろうかと思索してしまう。
DSC_0653
(写真はクリックで拡大します)
仮に2018年時点で5歳の女の子として、お祖母さんは65歳と仮定し、昔の人は若くして結婚していたからお祖母さんより上は20年おきで計算してみると、85歳のひいお祖母さん(曾祖母)の時点で1933(昭和8)年
ひいひいお祖母さん(高祖母)の時点でもまだ1913(大正2)年。続柄を示す呼び方は「高祖母」より上はなく、これより「高祖母の親」とか「高祖母の祖母」という言い方に変わっていく。
ひいひいひいお祖母さんで、1893(明治26)年と明治に突入。日清戦争より前じゃないか。
ひいひいひいひいお祖母さんで、1873(明治6)年。2018年時点で5歳の女の子から見ると6親等になるので、民法の規定ではここまでが親族の範囲。
ひいひいひいひいひいお祖母さんになるとようやく江戸時代の1853(嘉永6)年。現在5歳の女の子から見ると民法上は親族でなくなってしまった。

つまり、今幼稚園や保育園に通う女の子からみると、江戸時代のお雛様というのはひいひいひいひいひいお祖母さんぐらいのご先祖様が使っていたお雛様ということになるのだろう。
これを江戸時代のひいひいひいひいひいお祖母さんからみると今5歳の女の子は「仍孫(じょうそん)」ということになるが、人類の歴史上で存命中に「仍孫」が誕生した例はないらしい(笑)

逆に考えて、仮に今5歳の女の子が30歳になった時(2043年)に女の子を産み、以後30年おきに子孫が生まれていくサイクルで計算すると、仍孫に至るのは西暦2223年。
平成時代のお雛様が23世紀まで残るということになる。
ドラえもんより未来じゃないか!
「凄い」以外の表現が自分には無い。
DSC_0655DSC_0654DSC_0660
(各写真ともクリックで拡大します)
こういう江戸時代のお雛様が今も残っているのが、かつて栄華な時期があったという城下町・真壁の凄さだろう。同じ城下町でも県庁所在地に昇格した街など都会に変貌を遂げた所では、第二次世界大戦の空襲で市街地の家々が焼き尽くされている所もある。空襲に襲われなかった農村部でも、そこが貧しい農村由来の町であればお雛様自体を持っていない家庭も少なくないので、江戸時代のお雛様など存在すらしていない可能性もある。
かくして戦災を免れて現代まで生き延びた江戸時代のお雛様だが、真壁も2011年に東日本大震災の恐ろしい揺れに見舞われることになる。
DSC_0656DSC_0659DSC_0657
(各写真ともクリックで拡大します)
旧真壁郵便局のように震災に耐えた所では「恩給窓口」とか「電信電話窓口」のようなこれまた貴重なものを見ることが出来るが、強烈な揺れで倒壊した家屋は今も復興途上の姿のまま真壁の市街地にいくつも残っている。
真壁の属する桜川市は震度6弱だが、観測点は旧岩瀬町。真壁に隣接する筑西市は震度6強なので、真壁の震度は6弱より上だった可能性もある。
真壁も東日本大震災による深刻な被災地の一つだったのだ。
DSC_0661DSC_0662DSC_0663
(各写真ともクリックで拡大します)
名物の「つくばぷりん」を売っていた土壁にも壁のひび割れがまだ残っている。ぷりんを買ったついでにオヤジさんに聞くと「酷い揺れだった」と震災の被害であると教えてくれた。まだ瓦を直せていない家や蔵も真壁には数多くあると言い、確かに復旧している家でも新しい瓦と古い瓦がモザイク状になっている所もある。
茨城県は全都道府県で唯一、地上波の民放テレビ局をもたない県である(ただ、関東広域エリアに入るのでテレ東含めキー局全てが見られる)。千葉県であればチバテレビ、栃木県であればとちぎテレビなどの県域局があって各県の情報を発信しているが、茨城にはないので以前はフジテレビで毎週日曜朝に15分間の「おはよう茨城」を放送していたし、現在はテレビ朝日で毎週金曜日に「じゅん散歩」の中で数分だけ「磯山さやかの旬刊!いばらき」を放送しているが、発信力不足の感は否めない。
DSC_0664DSC_0665DSC_0666
(各写真ともクリックで拡大します)
こんなわけで真壁氏幹ぐらいしか印象のなかった真壁も実際に来てみると超貴重な江戸時代のお雛様とか、実は東日本大震災で甚大な被害を受けていたことなどがひしひしと伝わってくる。すぐ近くに、真壁という発見に満ちた町があったことは驚きでもあり、茨城にはまだまだ見て回るべき所はたくさんあるのだろう。この記事を書き終えたら佐竹家でプレイするのもまた一興か。
キザシ 一般車両
(写真はクリックで拡大します)
これで旅行の締めくくりなわけだが、高上町駐車場に戻ってくると、わかる人にはわかる「みんなのキザシ」登場で思わずカメラ起動(笑)
しかしこれはまさかの一般車両
2013年に警察が大量導入し2015年生産終了車種のスズキ・キザシ。
一般人が乗ってる自家用乗用用途のキザシは初めて肉眼で見たぜ……。

なんと貴重な経験ばかりさせてくれる町か、真壁。楽しい一日をありがとう。

blog_rankingクリックでブログランキングに投票!