2018年7月20日に公開した青森県旧67市町村の人口推移をみてみるの記事へのアクセスが悪くなく、今回も派生ネタを。

青森県の人口は国勢調査ベースでみると、昭和60(1985)年の1,524,468人というのが最高値であり、東北6県では人口150万超を記録したことがあるのは他に宮城県と福島県しかない。
そんなにいた青森の県人口だが、次の国勢調査が行われた平成2(1990)年には41,575人減少という47都道府県最大の減少幅を記録してしまい150万を割る。
それでも1995(平成7)、2000(平成12)年までは横ばいと言っても良い程度の微減で、1990年代は四捨五入して148万人という人口を維持した。

ところが平成17(2005)年以降の国勢調査では1回あたり3万とか7万というすごい勢いで人口減少が加速しており、2018年現在では人口130万を割るところまで来てしまっている。

前置きは長くなったが、青森県の人口がピークを迎えていた1985年から2015年にかけての旧67市町村の人口推移をみていこう。
1985(昭和60)年当時の67市町村の人口を100とした場合の、最新の国勢調査である2015(平成27)年の人口がいくつになるのか計算し、まとめてみたのが下図だ。

青森県人口1985−2015
【図はクリックで拡大します】

青森県全体で見ると、1985年の人口の1,524,468人を100とすると、1,308,265人に減少した2015年の値は85.9ということになる。
この地図で言うと、県全体でならせば上から4段階目のオレンジ色(85〜90)になるわけだ。

1985年と比較して100を超える自治体は旧下田町(171.2)、階上町(121.5)、旧柏村(102.7)の3町村
前回の2000年との比較では上位に入って来なかった階上町がランクインする結果となったわけだが、八戸市のベッドタウンとしては旧下田町や旧百石町よりも階上町が先行して人口増加した経緯がある。
先述の47都道府県最大の減少幅を記録した1990(平成2)年の国勢調査でも階上町だけは県内で人口増加を見せており、かつて大きく増加した分が人口増が止まった後の減少幅をも上回るのだろう。

一方で、80を上回る"そこそこの減少"でとどまっているのは、津軽地方では旧青森市と旧弘前市と旧五所川原市を結ぶ範囲周辺、南部地方では八戸市と十和田市と三沢市および六ヶ所村を結ぶ範囲周辺、それと飛び地的にむつ市程度に。
南部の方は八戸都市圏と十和田都市圏、三沢都市圏と広い範囲で95を超える郡部自治体が連続したりするが、津軽では弘前都市圏と五所川原都市圏でいくらか郡部にも広がる程度で、基本的には市部のみ。

それ以外の地域では、結構な減少がみられている。

比較的人口減が緩やかな八戸都市圏に近い所でも、三戸郡の内陸部(旧五戸町周辺や三戸町周辺など)では人口減少が進んでいるし、西津軽郡や上北郡北部(六ヶ所村を除く)、下北郡も人口減が進む。
中でも深刻なのは東津軽郡で、それも"上磯"と称される青森から竜飛崎にかけての津軽半島側の自治体が深刻だ。

下北半島も脇野沢村などは1985年からみて半減するほどの激減をみせ、津軽・下北両半島ともに北部ほど人口減が深刻ではあるが、ここで1970年から2000年にかけての30年間の人口推移をみてみる。
対象としたのはむつ市、下北郡と東津軽郡(平内町を除く上磯地域)、それと上磯地域に隣接の北津軽郡3町村だ。
1970年の値を100として、2000年までの変動をみると下の折れ線グラフのようになる。
半島北部人口指数推移
【図はクリックで拡大します】

半島北部といっても下北の大間町は善戦している。
大間町は佐井村や風間浦村など北通地域の中心自治体として、大間病院や大間高校といった公共施設が立地し、拠点機能が人口減少に一定の抑止力をもっているのかもしれない。
(大間原発建設工事に伴う人口流入はもう少し後の話である)

だが、津軽半島北端部の今別町と旧三厩村、旧平舘村は深刻だ。
青森市まで1時間半以内に到達するという地理条件からか、今別町は大間町のように拠点性を持てるところまでいけないのかもしれない。

それから推測にすぎないが、青函トンネル工事終了は津軽半島北部の人口急減の要素だったかもしれない。

青函トンネル工事の際に関係者が移り住んだ三厩村では1970〜1975年にかけ人口増加を見せたことがあり、隣接する今別町も人口減が緩やかであった。
ピーク時の1975(昭和50)年には今別と三厩の2町村で13,564人を誇った時期があり、北海道や福岡県の炭鉱町のような青函トンネル工事関連のモノカルチャー自治体であったのかもしれない。

1981年に青森側陸上部(算用師工区、袰内工区)工事が終了し、1985年春には本坑工事も終了して工事が佳境に入るわけだが、1985年秋の国勢調査では両町村とも激減に転じ、特に三厩村では約30%という急な減少率を記録してしまう。
工事関係者および家族の転出で商圏人口も減少し、それによって今別や三厩の商業が衰退して商売をしていた人々が転出し……という負のスパイラルに陥ってしまったのだろう。

旧平舘村や旧蟹田町に関しては、青森市のベッドタウンになるには遠く、かといって上磯地域で拠点になれるほど青森市からの遠隔地でもないという微妙な距離がマイナスに働いたのかもしれない。

上磯地域の旧5町村で、1970(昭和45)年には5位平舘村と僅差で4位の座を争っていた蓬田村が、まもなく旧蟹田町を逆転して旧5町村で最大の人口をもつ自治体になりそうな情勢をみると、青森市から離れるほど上磯は衰退が激しいとみることもできる。


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