2017年11月に宗谷・留萌の旅を実施し、2018年1月に釧路・根室の旅を実施してから1年。
道北・道東に続いては道南。2019年1月30日、函館へ行ってきた。

前回までの(1) (2) (3)は、左記リンクへ。


<本館4階>
12:20〜
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階段を上がり本館4階に上がると、アネックス連絡通路の看板がぶら下がっていた。棒二森屋は地下の他に4階と5階で、函館駅寄りのアネックスに渡り通路で行き来できるようになっている。
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そしてボーニパーキングの連絡通路も4階にある。そういえば青森のさくら野百貨店(カネ長武田→ビブレ→さくら野)も4階が立体駐車場との連絡階だった。
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そして4階はメンズのフロア。これも青森さくら野と同じ階層だ。駐車場連絡階に男性モノを置くというのは、やはり家族を乗せたクルマを運転してくるのは男が多いという傾向に合わせているのだろうか。
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メンズフロアに良いものがあれば買って帰ろうかとも思ったが、コートなど買って帰ると妻から一人で函館に行ってきたことを怪しまれても仕方がないので、とりあえず見て回るだけにしよう。
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先ほど3階から上がってきたのとは別の階段。いくら閉店前日とはいえ、階段は本当に殺風景である。
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そしてBoni-cardカウンターと、商品券のカウンター。商品券カウンターは、首都圏の百貨店だと地下食料品・銘店街のフロアにあったりもするが、お中元やお歳暮など贈答品を選びに来た客向けだろう。お得意や上客向けのカウンターの為か、だいぶ物が無くなり寂しくなっている中にも高級感がある。
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結構良いコートなどが閉店売り尽くし価格で販売されている。ぐるっと回って反対のエスカレーター側に。やはりメンズのフロアだと買い物欲が出てくる。
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そしてこちらがアネックス連絡通路。ボーニパーキングにアネックスと、4階はターミナル的な階層だった。
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本館とアネックスには微妙な高低差があり、階段を上がって連絡通路に行ってみよう。
<本館・アネックス連絡通路>
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函館駅前・大門地区を中心に昭和期からの写真を展示していた。年配の人たちが写真を見つめ、話に花を咲かせていた。
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そしてテレビ好きにはたまらないのが、道新のラ・テ欄と一緒の棒二森屋の広告なのだ。
日付は昭和43年10月28日。これでピンと来てしまうのが私。北海道民放第3波の北海道テレビ放送(HTB)が開局するのが11月3日だから、HTB開局6日前のHBCSTVの編成を知る貴重な資料になる。
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平成13(2001)年の函館駅舎の写真。小学校の修学旅行や、高校の卒業旅行の時の函館駅はこれだった。懐かしい。快速海峡で青森と行き来したものである。
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こちらのご婦人たちはお友達同士のようで、青春時代から子育て時代を思い出しながら色々と貴重な会話をしていて、飛び出した「さいか」という単語に、盗み聞きは良くないと思いつつ耳をそばだててしまう。
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これは昭和51(1976)年の駅前・大門地区の空撮写真。サンヨー冷蔵庫の赤い大きな屋上看板の横に、円形の屋上をした建物があるが、それが「さいか」である。入ったことは無いが、私もうっすら記憶はある。
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昭和50年代の「さいか前」の写真だが、さいかと言われても函館になじみのある人でないと知らないだろう。棒二森屋と共に大門に並ぶデパートであった。漢字では「彩華」だったと聞く。
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北島三郎「函館の女」の〽灯りさざめく松風町でも知られる松風町電停通りの空撮写真。職場の上司でまもなく50歳になる函館ラ・サール高校卒業生がいるが、日吉の丘から下りて大門に遊びに行くときは松風町電停で降りて「さいか」ばかり行っていたという。
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ガラスケースには色とりどりの棒二の法被。上司は「さいかの方がボーニより若者向けだった。五稜郭の丸井今井もあまり行かなかった」と言う。「丸井今井は大人が行くところで高校生のボンズが行く所でなかった。ボーニは修学旅行生と観光客が行く所だ」と言う。私自身は函館市民でないので、この辺はわからない。
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上司は「社会人になって帰省したら"さいか"がねぐなってた方がショックはデカかった」という。さいかで、白百合と西高の女子とデートしたのだそうだ。そのさいかは今、パチンコ屋のマルハンになっている。
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連絡通路を渡り、上に向かうとアネックスの5階、下に行くとアネックス4階だ。順番に4階の方に行ってみよう。
<アネックス4階>
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アネックス4階は何のフロアだったのか……手袋やマフラー、ストールなどがワゴンセールになっている。天井がむき出しで殺風景だ。
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もはや一般客向けといいうより、バイヤー向けのセール会場のような雰囲気である。どんな客が買っていくのか想像もつかないが、閉店前に少しでも現金を確保しておきたいという棒二森屋最後の悲壮感が漂ってくるようだった。
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ペルシャじゅうたんが売られていた。たしかに昔はデパートでじゅうたんを買ったという人も多いのだろうが、今では同じ北海道のニトリの独壇場であろう。
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そしてエレベーターホール。函館駅前から見えていた、ガラス張りのシースルーのエレベーターがこれだ。私も子供の頃、青森市に出て来て中三のシースルーのエレベーターに乗るのが大好きだった。ガラス側の眺望一等地を巡って、子供同士でつばぜり合いもあったものである。
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その横で外を見下ろすと、市電が走って行った。小学校の修学旅行の時にはすでに現在の路線網になっていたが、僕には函館駅前から国道5号沿いに伸びていた路線(函館駅前−ガス会社前)もはっきりと記憶にある。その頃の駅前は、路面電車の無い青森から来ると「随分と電線の多い街だなあ」という印象があった。

こうして函館駅前の交差点を路面電車が行き交うのを俯瞰できる場所というのもなくなるのだろうなあ……。
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エスカレーターでアネックスの5階へ向かう。
<アネックス5階>
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アネックス5階に来るとフロアガイドがあった。何のフロアなのか謎だったアネックス4階は青で塗りつぶされており、やはり正体が不明だった。
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打って変わって5階は文化的なフロアだ。くまざわ書店が入っている。函館には2店舗あるようで、棒二閉店後も「函館撤退」とはならないようだ。函館と同規模の20〜30万人台の都市では郡山に2店舗あるが、青森も八戸も福島も1店舗だ。秋田と盛岡にはない。
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函館の本の吊り看板がぶら下がる郷土本コーナー。閉店セールに来たという風情ではない紳士が悠然と立ち読みにふけっている。良い光景だ。
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このフロアはほぼくまざわ書店が専有しており、雑貨屋もあったがとりあえず次に向かおう。書店は都市の知的水準を維持する砦のようなものだと思っているので、これで函館撤退ではないが残念に思う。まあ、水産学部だけとはいえ旧帝大の北海道大学と、国立の北海道教育大学函館校と公立のはこだて未来大学があるので、インテリ層がいる限り本屋は残りそうだが。
<アネックス6階>DSC_1953
エスカレーターで6階にあがると、玉光堂のフロアだ。北海道のラジオでもおなじみの名前だ。
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CDが売れないこのご時世でもこの品揃えだ。東京でも、たまにCDを探そうと思っても、今どこにCDショップが生存しているのかもわからないほど少なくなってしまった。2018年リリースのサカナクションのベストアルバム「魚図鑑」の捜索には首都圏でも難儀してしまった。
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青森市には函館玉光堂ほどのCDショップが今でもあるのかわからない。新町の音楽堂もなくなり、成田本店のCDコーナーもかなり規模縮小したと聞く。この玉光堂は、GLAYやYUKI(JUDY AND MARY)を生んだ函館の素晴らしい音楽文化の崩壊を食い止める防波堤のようだ。
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職場の同僚で、GLAYの函館LIVEには必ず駆け付けるという山口出身の女性がいる。転勤で東京を離れた後も時々伊丹から函館に飛んでくるという。多くのファンを今も魅了し続けるGLAYは偉大である。
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GLAYだけの棚まであるのだからすごい。今、日本でここまで棚を展開できるアーティストもなかなかいないだろう。ところで、500万枚も売り上げた最初のベストアルバム「REVIEW」はさすがにもうないのね。
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函館LIVEに来て、ここ棒二森屋アネックスの玉光堂を訪れた後、カフェで余韻に浸って帰って行くGLAYファンもいたのだろう。
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かくいう私もGLAYは青春時代のアーティストである。今でも活躍している彼らの姿は格好良いと思う。
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ギターやベースも売られている。TAKUROやHISASHI、JIROに憧れてここで買ったという人も多いことだろう。
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カフェの裏手に本館連絡通路があったが、エスカレーターでアネックス7階をめざそうと思う。

つづく

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