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太宰治が「津軽」で『鶏小屋に頭を突っ込んだ』ようだと形容した龍飛(龍浜)の集落は2010年代に入ってなお、読者に太宰が見た往時の面影をそのまま伝えるかのような密集ぶりだった。
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2016年9月、龍浜地内の小屋から出火した炎は狭い路地を越えて隣近所や向かいの建物へ延焼し、14棟を焼いた。この大火では高齢者が1名亡くなっている。
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当ブログでは2006年の正月にここ龍飛を訪れている。その際、ほぼ同じ位置で撮影した写真がコチラだ(別ウィンドゥ参照)。木目の美しい木造住宅は焼失し、国道339号のおにぎり
も失われてしまった。
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13年前の私はここの極狭の国道339号を見て「渡る世間は鬼ばかり」のTBSのセットや志村けんのコントで使用するフジテレビのセットのようだと形容したが、密集していた家屋が悉く焼失し変わり果ててしまった。
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かつてあった沿線の建物は基礎部分だけ残して消えたが、それでも国道339号であることを訴える赤い舗装路面は今も健在である。
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次の直角コーナーの先は、かつては水色の柵があったはずだが、黒い柵に新調されていた。
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国道339号階段国道に突入する数軒前の民家からは大火を逃れたようで、軒先の近さがかつての龍浜の密集ぶりを伝えてくれる。こんな感じで、民家の窓が両脇から迫ってくるようだったのだ。
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クランク状に集落を抜けると、いよいよ階段国道が見えてくる。13年ぶりの再訪だ。
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ここは13年前と変わらずか。国道339号のおにぎりもそのまま残っている。
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国道339号のおにぎりをアップで。
津軽半島と下北半島はそれぞれ貫く国道が連番になっており、国道279号は下北半島、国道280号は津軽半島を縦断する。それら2路線が通過しない地域を補完するように国道338号が下北半島、国道339号が津軽半島を縦断するが、この国道339号だけが(法律上)津軽海峡を渡らず、函館に繋がらない路線となる。
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もっとも、函館市内で単独指定区間として姿を現すのは国道279号(海峡通)のみだ(写真はコチラ)。国道338号は下北半島の格上・国道279号に重複され姿を見せられず、国道280号に至っては連番でもない国道228号国道227号に重複されてしまう。
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ヘアピンカーブというか階段の踊り場というか、とりあえず反転すると竜飛崎先端に浮かぶ帯島と、海峡の向こうの松前半島が見渡せる。
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さらにもう一つヘアピンというか階段の踊り場を経て反転すると、急な海岸段丘の上に立つホテル龍飛が見えてくる。
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もひとつヘアピンというか階段の踊り場で反転し、さきほどより一段高く帯島を見下ろす。
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九十九折れで一気に標高を稼ぐ区間は終わり、ここからは緩やかなカーブと直線で斜面をかけあがって行く。
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小学校時代の夏休み、同級生たちが階段に座って遊んでいてもおかしくないような懐かしい景色。
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13年前の記事でも書いたと思うが、この階段国道沿いにはかつて学校があり、子供たちの通学路として斜面を階段に改築した経緯があるらしい。
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龍飛は青函トンネル工事の従業員と家族と、元からの住民で2,000人弱も住んでいた時代もある。正確な生徒・児童数は定かでないが、がけ下の元からの住民の子供たちも、崖上の工事関係者の子供たちも、通学のみならず互いの家に遊びに行く際などにここを通っただろう。
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右手に平場が見えて来た。集会場のような建物があるここは、かつて学校があったという。
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「三厩村立龍飛中学校跡地 螢雪之碑」の石碑もあって、ここに中学校があったのだと13年前から信じて来たのだが、ここで初老の女性が現れる。
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海峡を背に平場に立つ国道339号のおにぎりを撮影する私に女性が言う。
「学校の跡地なら上の石川さゆりの石碑の向かいの駐車場の所だって聞いてますヨ」
えええ!?
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女性に言われてみれば学校の跡地とするには平場はあまりにも狭い。階段整備する前は、この写真の位置から左に上がって行く車道があって、そちらが元々の道だという。
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女性はもともと龍飛出身ではなく、社会人になって村外から来た人で、龍飛中学校卒業生ではないという。彼女が聞いた話では、平場にも学校の施設は有ったが、生徒が授業を受けたり運動会をやったのは上の駐車場だという。
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平場から上の旧車道は狭く急で、冬は滑りやすく危険だったようだ。それに代わって、平場から崖上に後から付けられたのが階段ということになろうか。
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ということで裏付けは取れていないが、階段国道と一口に言っても、漁港周辺から崖上に上がるために整備された「平場より下側」と、もとから道はあったが急すぎて危険だったので新設した「平場より上側」で経緯が異なる、という仮説が立てられる。
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昭和59年の国土地理院の2万5千分の1地形図「龍飛崎」をみると、平場から上の旧車道が国道色でなぞられていて、国道指定を受けた階段は当初は「平場より下側」だけだったのではないかと、当ブログは見ている。旧車道から階段に向けてはもう1本、徒歩道も描かれていて、この謎の階段はその徒歩道の跡だろうか。
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少なくともかつて朝日新聞が書いたように、元からあった階段を「地図を見ただけで国道に昇格させた」とか「お役所仕事の典型」などということではなかろう。
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頂上が見えて来た。階段国道も間もなく終わりだ。前回は真冬の探訪だったが、夏空はやっぱり映える。
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崖上側から望む階段国道の入口。今でも休日になると多くの観光客がここで記念撮影するのをよく見かける。階段指定で観光客が来るのだから、これで「お役所仕事」だとするなら「良い仕事」をしたものだと思う。
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ここから先は国道339号は龍泊ラインで小泊に抜け、市浦、中里、金木、五所川原、鶴田、板柳を経て弘前の隣の藤崎で国道7号に接続する。
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1984年に龍泊ラインが開通するまではこの日本海沿いに道は繋がっておらず、旧小泊村最北の部落である袰内から小泊村役場に行くには海路で行くか、陸路では龍飛⇔今別⇔小国(蟹田)⇔今泉(中里)⇔市浦と経由しなくてはならなかった。
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今では外ヶ浜町になったので「町道」が正しいはずだが、竜飛崎展望台方面へと旧三厩村が作ったままの「階段村道」はこの状態。
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階段村道から前回の記事で紹介したレストハウス竜飛 寿恵盛屋を経てさらに進んで龍飛警備所の近くから見下ろすと、今でも「青函トンネル本州側基地龍飛」の看板と共に、かつて工事関係者の住宅が建ち並んでいたであろう平場の段々がよく見える。向かって左側の駐車場が、かつての学校跡地なのだろう。
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1985年3月10日に青函トンネルの本坑が貫通してから30年余、ようやく北海道新幹線が通ったのは2016年3月26日だった。龍飛の歴史に思いをはせながら、ふたたび階段国道で龍浜に戻ろう。

階段国道の下りで、当ブログで初めてとなるタイムラプス撮影を実施してみた。YouTubeの画質設定で1080p HDでご覧ください。ちょっと速すぎる、と感じた方は速度を0.25倍など遅めにしてみてください。

終わり。

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