野辺地港のフェリーふ頭跡に続き、旬のイカを食べて視察を、などと考えていたのが大畑港となる。

大畑はかつて室蘭との間に東日本フェリーが就航しており、マスコミなどでは「室畑(むろはた)フェリー」と呼ばれたりしていた記憶がある。

下北半島と室蘭を結ぶフェリー航路の歴史からみていこう。
大間港FT
この航空写真は国土交通省が公開している1969(昭和44)年の大間港フェリーふ頭ふ頭付近のものである。
まだ根田内崎の北側が埋め立てられる前で、高磯崎を使用した港湾からフェリーが今まさに離岸したばかりという感じの写真だ。

函館を起点とする国道279号は、今も本州側では大間の高磯崎の岸壁から指定されており、東日本フェリーによって運航され始めた大函航路が「海上国道」だったというのがわかる。
この辺はヨッキれん氏の「山さ行がねが」のレポートが詳しい

なぜ大畑なのに最北端の大間の話をしてるのかの説明の意味もこめ、大間も絡めた大畑港航路の歴史を年表にする。

年月出来事
1964年6月東日本フェリー・大間−函館航路就航
1970年10月東日本フェリー・大間−室蘭航路就航
1971年6月東日本フェリー・大間−戸井航路就航
1983年9月(?)東日本フェリー・大間−戸井航路廃止
1991年11月東日本フェリー・大間−室蘭航路休止(事実上の廃止)
1991年12月東日本フェリー・大畑−室蘭航路就航
1998年4月東日本フェリー・大畑−室蘭航路休止(事実上の廃止)
2003年6月東日本フェリーが会社更生法適用申請
2006年8月リベラを存続会社に東日本フェリーが合併
2006年10月リベラ100%出資の東日本フェリー(新法人)設立
2007年1月リベラが北海道運輸局に大畑−室蘭など休止航路の廃止申請
2007年3月大畑−室蘭航路が正式に廃止
2007年7月東日本フェリー(新)社長・青森−室蘭と大間−函館航路に高速船就航意向表明
2007年9月東日本フェリー(新)・青森−函館航路に高速船就航
2008年11月東日本フェリー(新)・青森−函館航路の高速船休止
2009年12月東日本フェリー(新)が道南自動車フェリーに吸収合併
道南自動車フェリーが津軽海峡フェリーに社名変更
旧東日本フェリー(新)・大間−函館航路廃止
津軽海峡フェリー・大間−函館航路就航

大間および佐井と函館を結ぶフェリーの歴史については以前に記事化したが、大間ー函館航路開設から6年後の1970(昭和45)年に大間−室蘭航路が就航しており、下北半島と室蘭を結ぶフェリーの歴史はここから始まるのである。

函館市史が北海道新聞の記事を引用して、「函館・大間間カーフェリーの就航 「函館市大間町」の出現」という頁を設けているように、経済的に密接な関係にある大間と函館を結ぶ航路はフェリーブーム終結後も一定の旅客数を維持し続け、2019(令和元)年現在も航路が存続している。

一方で大間−室蘭航路は1991(平成3)年11月を以て「休止」となり、翌12月からは大間から約30kmほど“東京寄り”の大畑港を発着する大畑−室蘭航路が就航したが、こちらも1998(平成10)年4月に事実上の廃止である「休止」となって現在に至る。

そんな大畑港を見ようと、野辺地に続いて2019年7月13日午後に見に行ってきたのだ。

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大畑で目当てのイカが食べられず、隣の風間浦村の下風呂まで足をのばしてみるも空振りに終わってしまったが、旬の美味いウニとマグロの中落ちを食べられたから良しとして、大畑に戻って来た。
旧国道279号を、ちょうど下北駅行の下北交通のバスが通りかかるところだ。
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ご覧の通り、旧大畑港フェリーふ頭の入口には今でもフェリー埠頭
の案内看板が残っているのだ。野辺地港フェリー埠頭の入口にも昔は大きなネオン看板が立っていたのを覚えているが(パチンコ屋のような派手なものではないが、まぶしいカクテルライトが付いていた)、往時を伝える旧フェリー案内看板として残存しているものでは県内で一番状態が良いかもしれない(もう一つの残存箇所は三厩港)。
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旧国道279号の起点の函館方(大間方)と、終点の野辺地方(むつ方)からそれぞれ旧フェリー埠頭入口交差点を俯瞰してみる。何も知らないで下北に来たら、ここから北海道に行くフェリーが今でもあるようにさえ思えそうなほど、未だ現役の「生」の雰囲気が残っているように感じる。
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そして室蘭からフェリーで上陸したドライバーが交差点で見たであろうこの看板。
■■あと1分♣三菱石油へ■■どうぞ!!
今は無き三菱石油だ。大抵は室蘭など道内で給油してからフェリーに乗ってきただろうと思うのだが、旅情をかきたてられる看板ではある。
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では旧フェリー埠頭を目指して臨港道路へ折れてみよう。道なりに左斜めに進むと大畑漁港方面に行ってしまう。何も知らずに最初そちらに迷い込んでしまった。正面の水色の建物・青森県産業技術センター下北ブランド研究所を右に曲がるのが正解だ。
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かつてはフェリーを介して北海道・室蘭に繋がっていたストレート。右手に下北ブランドの海峡サーモン直売所を見ながら進んでいく。
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ストレートが尽きる広大な敷地が見えてきたところで、左手に[ フェリー埠頭]の標識が出て来た。今でもあったか。やはり野辺地のそれと違い、大畑にはまだ現役時代の残り香のようなものがある。
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ていうか、やはりこのフェリー埠頭はまだ生きてるよね?たぶん?
ターミナルも可動橋も残ってるのが遠くに見える。
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YAI YAH! 大畑、フェリーターミナルビル(といっても平屋だが)が残ってら!!
思わず大間の悲運のマグロ漁師・山本秀勝さんの「YAI YHA!(やいやぁ!)」が出てしまった。
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しかも看板そのままか!

 東日本フェリー

青森でまだ眺められる場所があったとは!
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ターミナルビルから大畑の陸側を眺めると、非常に広大な敷地となっており、かつて本州と北海道を行き来していた車両たちが並んでいたであろう景色に思いをはせる。室畑フェリー就航当時はRVカーブームの時期とも重なる。貨物を運ぶトレーラーに混じって並ぶ、北海道を目指すRVブームの名車たちの姿が目に浮かぶ。
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大畑以前に室蘭航路があった大間方面を望むと、大畑漁港の施設の先に木野部峠の急崖が津軽海峡に落ち込む景色が見えてくる。大間が強いられていた木野部峠越えをせずに室蘭航路に乗れるようになった効果は大きかっただろう。
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大畑港では何やら工事中だったが、作業員に「フェリーの施設を見に来た」と告げると「危なくないように」とだけ言われたので、視察を続ける。海に向かって右側からターミナルを眺める。
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ガラス戸に貼られた東日本フェリーのロゴ。つい10年くらい前まで使用されていたのに、それより古いような懐かしさ。2003(平成15)年に会社更生法適用後、リベラを経て新法人名の東日本フェリーが発足して以降も使っていたものだ。
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東日本フェリーにまつわる思い出といえば修学旅行だったり家族旅行だったり一人旅だったり卒業旅行だったり、とにかく北海道と共に良い印象ばかりあるのだが、会社更生法適用からリベラを経て消滅までの最終末期はとにかく残念な印象だった。
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ターミナルを海側に回る。
東日本フェリーの最終末期に対し、私が残念と感じた理由は、青函圏をはじめとするフェリー航路の殆どを廃止に追い込んで地域を落胆させたからなのだが、民間企業が存続するために赤字部門から撤退することに強く批判は言えない。一方、高速船=ナッチャンRera,WOrldを批判の理由に挙げる人たちもいる。
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私自身は高速船導入は青函航路の競争力向上に寄与したと評価するが、購入費用だけでなく高速船専用ターミナル建設など、投資額の大きさが身の丈に合っていなかったのも事実だ。
函館新聞によると、東日本フェリーの2008年9月8日の撤退記者会見では「(高速船は)当初から売却ありきだったのでは」と批判的に質問した報道記者もいたという。
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「いってらっしゃい北海道」と、北海道の地図と共に描かれたコンクリート壁。今でも大間から函館に上陸可能だが、内浦湾をショートカットし室蘭に上陸し、5大都市の一角にあたる札幌大都市圏と下北を近いものにしていた室畑フェリーの廃止は何とも無念な感じだ。私は、なんとなくだが当時のニュースをみていて、会見を行ったリベラや(新法人の)東日本フェリー関係者から、廃止される地域交通や港を擁する町に対する思いがあまり伝わってこなかったのが残念だった。
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ターミナルビルは陸側と、海に向かって右側と、海側の3方面に出入口があったようだ。左側(大間方面)は壁だけだった。
ターミナルビルを背に、ふ頭を見に行こう。
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2019年時点で最後のフェリー着岸から20年以上経過しているのでメンテナンス等はしていないだろうが、素人が遠目に見た感じでは原形をとどめており、今にでも再開できそうな可動橋。だが、よく見ると錆や腐食があちこちにある。さすがにかなり大規模な修繕をしないともう使用不能だろう。
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大畑より先にフェリーが消えた野辺地港には既に残っていない。可動橋という大きな施設が大畑港の隅っこで今も朽ち果てるように放置されているのはさみしいが、取り壊されていないだけ、現役当時の姿が想像しやすいのは幸いか。
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錆びて朽ちつつある[IHI]のプレート。IHIときいて即座に「石川島播磨重工業」と言えるのもある一定の年齢層より上か。現在の正式社名は「IHI」である。大畑に航路があった1990年代は日本テレビ系のゴールデンタイムでよく提供CMが流れており、子供ながらに社名を覚えてしまった。
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グレーチングの架道橋斜面。グレーチングはもともとクルマに踏まれる耐重性能を要求されるばかりか、雨水や塩分に漬かることも想定されているからか、頑丈なようだ。腐食はしていないようにみえる。
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これを渡って道央、もしくはそれ以遠に行ってみたかったと思う。青森市でも札幌や道東・道北方面を目指す場合、フェリーで函館から内浦湾沿いに北上するより八甲田を越えて八戸からフェリーで苫小牧に、という旅行者は増えていると聞く。
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ざっと青森−八戸を2時間弱と考えると、下北縦貫道の整備促進もあって青森−大畑はほぼ2時間。青森市から八苫航路で苫小牧港までが約9、10時間なら、今の時代に室畑フェリーがあれば青森室蘭間は約6、7時間であり、十分に対抗可能な利便性になる。
もっとも、それよりも青森市民にとっては青蘭航路復活の方が便利なのではあるけれど。
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都市部の論理であれば、大洗ー苫小牧や新潟−小樽のような長距離航路や、主要都市同士を結ぶ中距離の青函航路や八苫航路に集約されてしまうが、かつてフェリー航路があった大畑や戸井、(渡島)福島、三厩などに航路復活をもたらす武器となり得るものがあるなら、やはり短距離航路の「速達性」だろう。
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なかなか全ての半島で上手くは行っていないが、下北のように高速道路が伸びてきている半島なら、海峡が最も狭くなる地点で単距離フェリーにリレーすることで、最速移動ルート構築の可能性も出てくる。トラックドライバーの休憩時間確保が非常に重要視される現在において、中・長距離航路が重宝される中で単距離航路が復活できるとしたら「速達性」しかなかろう。
下北ー室蘭 フェリー所要時間
実はこの室畑フェリーも所要時間の「速達性」にはこだわっていた様子が当時のダイヤから伝わってくる。
大間−室蘭航路の所要時間は廃止時の1991年の時点で5時間30分であったが、大畑に発着港を変更した結果、所要4時間20分となり、下北半島と室蘭を結ぶ航路の所要時間は1時間10分も短縮された。
難所・木野部峠を含む国道279号の大間・大畑間の移動も考えると、首都圏方面との所要時間は1時間半から2時間は短縮されただろう。
そして1994年度のダイヤからはさらに20分短縮して、大畑−室蘭は4時間となったのである。
当時の東日本フェリーの時刻表では同航路の距離は122kmとされており、青函航路の113kmと9kmしか違わなかったのだ!
122kmを高速船のナッチャンReraやナッチャンWorldなら、青函航路とほぼ変わらない1時間45分+α―まあ2時間かからず大畑と室蘭を結べただろう。
これに下北縦貫道上北自動車道が全通しリレーできれば、青森や八戸から室蘭まで、フェリー乗船手続き抜きで3時間半前後というのも可能だったかもしれない。室蘭港からも室蘭新道白鳥大橋経由で、道央自動車道は札幌や旭川に繋がっているのだ。
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青森からみて北海道は隣だが、函館はともかく旭川、釧路、帯広などへの遠さは否めない。なんとか短絡する航路が欲しい所である。
そんな青森から遠い稚内の防波堤ドームのように、徒歩客を波浪から守った片洞門形状の通路が大畑に残っていた。
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フェリーが岸壁に衝突するのを防ぐコンクリート擁壁とクッション部も残っていた。港湾用語では「防舷材」という施設だそうだ。野辺地に比べるとかなり高規格な埠頭のように思う。
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そして驚いたのはフェリータラップが残っていたことだ。現役当時、室畑フェリーはタラップを使っていたのだろう。今も航路が残る青函航路に歩行者が乗ろうと思えば、車両と同じく可動橋から乗る場合もあるので、高級感を覚えずにいられない。
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タラップのステップを覗いてみるが、木製の床が腐って抜けている所もあるので、登るのは自制する。大畑には下北交通大畑線もあったし、東日本フェリーも時刻表で大畑線やバスのアクセスを載せていた。青春18きっぷで大湊線下北駅まで来て、大畑線に課金してフェリーで室蘭本線室蘭駅という移動も可能だったのだ。
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なお、タラップに接近するには海への転落のリスクもあるので。ご覧の通り危険である。
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タイヤの空気が抜けきったタラップだが、これもあくまで1998年から2007年に北海道運輸局に廃止が受理されるまでは「休止中」扱いだったので、大畑も再開に備えていたのだろうし、廃止が決まった後も室蘭以外の航路就航を目指していたかもしれない。
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突端方面まで行って、振り返って大畑港フェリーふ頭を望む。離岸直後―あるいは着岸直前の乗船客がデッキからみた風景もこんな感じだっただろうか。左手前方に、下北半島最高峰の釜臥山が見えていた。今も航路があれば、札幌大都市圏から恐山への参拝・観光客にとっても便利だっただろう・・・。
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フェリーふ頭を後にし、北海道から上陸した乗船客が最初に見たであろう道筋の風景を追ってみる。
いかにも1990年代っぽい、バブルをほのかに感じる「OHATA」の看板と、いかの街をアピールする大畑町旅館組合の看板が郷愁を誘う。大畑発着は深夜となるダイヤもあったので、徒歩客にとっては宿泊とまでいかなくともラブホテルのような「休憩」需要はある程度あったかもしれない。しかし、ビジネスホテル軒数では青森県内でも第4位というむつ市が近く、隣の風間浦村には下風呂温泉郷というライバルもある厳しい土地である。
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[大畑市街 ]の標識も、フェリーがあったことを後世に伝える遺構になりつつある。この裏手は砂利の駐車場でトイレがあり、海水浴客が使うには便利艘だった。
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そして、フェリー埠頭入口の交差点には←青森 むつの案内看板。本当はこのまま旧大畑線をくぐるガードへと直進し、国道279号大畑バイパスに抜ける方が便利だと思うが、フェリー就航当時は道路がなかったか、あっても大型車が直進できる広い道路ではなかったのかもしれない。


ということで、←青森 むつの看板に従って旧国道279号へと左折し、下北縦貫道みちのく有料道路経由で青森自動車道青森中央ICまで走行した。
農道も使い、少し速い車列に入って遅い車は積極的に追い越した結果、1時間50分で大畑港から青森の問屋町へ。
やはり下北縦貫道みちのく有料道路のリレーは速いようだ。

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