かつてフェリーのあった港を見に行くシリーズ、野辺地港旧フェリー埠頭大畑港旧フェリー埠頭に続く第3弾は津軽半島の北端の旧三厩村の三厩港だ。

 三厩港を視察に行くにあたって、事前調査では「既に当時の施設はなくなっている」とか「埋め立て工事でなくなっている」と知った。
 これは撮れ高が低そうだと思ったが、いつまで残存しているかわからない貴重なものも収めたい一心もあり、撮れ高不足対策にタイムラプス動画を加えることで、視察は実行することとした。

青森⇒三厩 国道280号旧道行

 動画スタート地は青森市古川の旧線路通りで、国道7号古川跨線橋を越えて国道280号へ。

 青森市から龍飛に至る陸奥湾西岸と津軽海峡岸の一帯は「上磯」とか「外ヶ浜」と称されるが、海岸線の侵食後退が激しい地域であり、比較的後背平野に恵まれる青森市や蓬田村を除いては、海岸すぐの所まで山や崖が迫っている地形である。
 特に蓬田村の広瀬と旧蟹田町蟹田の間や、蟹田の石浜から旧平舘村の野田の間、平舘の石崎から今別町の山崎の間などは海岸地形の急峻さが顕著だ。

 今回は、バイパスが開通済みの青森−蟹田間はもちろん旧道を走行し、蟹田以北も可能な限りかつての旧道を走行した。

00:02 旧線路通りから市道を経て国道7号へ。
00:04 バイパスではない国道280号に入る。
01:12 蓬田村の広瀬を過ぎてようやく海が見えてくる。
01:19 旧蟹田町以北はバイパス未供用。中師でごく短い旧道に入る。
01:22 旧蟹田町の石浜集落の旧道に入る。
01:22 石浜の旧道から、次の塩越集落の旧道に入る。
01:33 石浜・塩越の旧道をかつて青森市営バスが走っていた。
01:33 旧平舘村の磯山集落に入る。国道指定歴はなさそうな区間。
01:39 舟岡の集落に入る。旧道はバイパスの歩道に転用も。
01:41 舟岡集落の旧道は北側なら走行可能。
01:41 今津集落の旧道に入る。
01:48 野田集落に入り、そのまま平舘地区の旧道を進む。
01:59 旧平舘村中心部を抜け、松前街道の面影が残る松林に。
02:03 かつて信号の有った交差点だが今は無い。しばらく現道に。
02:31 今別町の大村元集落に入る。ここも国道指定歴はなさそうな区間。
02:37 今別バイパスの旧道に入る。
02:54 いったん現道を経て、旧三厩村の旧道に入る。

 国道280号は青森−蟹田間は昭和の時代からなんとか2車線を確保できていたが、蟹田以北は平成に入ってなお1車線しかないような部分も数多く残り、今でも平舘−今別間には大型車がすれ違えない区間が複数個所ある。
 青森・蟹田間の旧道も「海が見える」とドライブルートとしておススメする雑誌やサイトを見かけるが、ご覧の通り青森から蓬田広瀬まで民家が建ち並び続けており、海が見える隙間は僅かしかない。
 旧道は40km/h制限で白バイもかなりうるさいので、無難にバイパスを走る方が快適だ。
 蟹田を境に整備状況ががらっと違う感があり、蟹田の先の塩越や舟岡の旧道や、現道沿いでも袰月などでは、太宰治が「津軽」の中で4時間ぐらいかかったと評した、バスが民家の軒先すれすれを走って行ったという青森−今別の往年の雰囲気が残る区間も数多くある。

では三厩港に就航していた東日本フェリーの歴史について、ざっとまとめよう。
三厩
 例によって国土交通省が公開している1975(昭和50)年の三厩港付近のものを持ってきたが、フェリーふ頭の位置がよくわからん。
 三厩港は埋め立てて拡張した歴史がある為か、2019年の地形と全く異なるので、旧国道280号国道339号の道筋から考えて現在の物と同定するが、難しい。こりゃわからん。

とりあえず、三厩周辺の航路・鉄道・道路の歴史を年表にするとこうなる。
年月出来事
1965年4月青森商船・三厩−福島航路就航
1967年4月青森商船が東日本フェリーに吸収合併
1983年8月(?)東日本フェリー・三厩−福島航路運休
1987年7月(?)東日本フェリー・三厩−福島航路夏季(7-8月)季節運航再開
1987年8月(?)東日本フェリー・三厩−福島航路夏季(7-8月)季節運航終了
1988年2月JR北海道・松前線廃止
1988年3月JR北海道・津軽海峡線(青函トンネル)開業
1989年7月(?)東日本フェリー・三厩−福島航路夏季(7-8月)季節運航再開
1992年8月(?)東日本フェリー・三厩−福島航路夏季(7-8月)季節運航終了
1998年7月(?)東日本フェリー・三厩−福島航路夏季(7-8月)季節運航再開
1998年8月東日本フェリー・三厩−福島航路夏季(7-8月)季節運航終了(事実上の廃止)
1999年7月東日本フェリー・三厩−福島航路夏季(7-8月)季節運航再開せず

 外洋カーフェリーとして日本初となる大間−函館航路が開設された1964(昭和39)年6月から10か月後の1965(昭和35)年4月、青森財界の設立した青森商船が三厩−福島間に三福航路を就航させたのが始まりだ。
 同じころ自動車航送を打ち出した国鉄に対し、青森商船など青函圏に林立していた海運業者が「民業圧迫」と結束し、三福航路は青森商船航路から東日本フェリーの航路となる。
 青函圏の海運業者が東日本フェリーに一本化されていく過程は函館市史が詳しい。

 細々と津軽半島と松前半島を結び続けてきた三福航路だが、津軽海峡線(青函トンネル)開業を翌年に控える1987(昭和62)年夏の運航を最後にいったん休止となる。
 青函トンネル工事の最中には、本州側の竜飛基地と北海道側の吉岡基地の連絡移動手段として活躍したはずだが、津軽海峡線開業後はお役御免だったのか。

 それでも、三厩地区住民にとって最寄駅が津軽今別駅、対岸の福島町や松前町にとっても最寄駅は知内駅となり遠くなったこと、また車載不可能となったことでフェリー復活論があったらしく、1989(平成元)年には夏季運航を復活させ、1992(平成4)年までは航路の灯を繋いだ。

 1998(平成10)年に、歴史上最後となる三福航路の夏季季節運航を実施し、それ以来は旧三厩村がフェリー業者を公募していたが、合併後の外ヶ浜町や現在の福島町の方針は不明である。

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ここは青森市を起点に津軽半島の東岸を北上してきた国道280号の本州側の終点であり、弘前市を起点に津軽半島西部を北上してきた国道339号の終点でもある。なんかちょっと面長で不細工なおにぎり
だが、こうしてオブジェクトを置いてくれる青森県の土木は良い組織だ。
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国道280号国道339号も国直轄国道ではない県管理路線なので、足元には「青森県」と書かれた柱が。北海道は特例で北海道開発局(国)が国道の全路線を直轄するので、国道280号も海の向こうでは国の直轄路線である。
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さて。
おにぎりのオブジェの後ろに、なんかやばいものが見えている。
存在は知っていたが、まだ残っていたのか……
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東日本フェリー
三厩⇔福島 38km 2時間だよ。おいおいおい。
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ロゴも古いタイプなので、大畑で見たそれとは違う。こりゃアイ・ジョージ「北国の海」をCMソングに使ってた頃の古い時代のロゴじゃねーか。
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せっかくなので裏側にも何か書いてあるかなと覗いてみるが、何もない。
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とりあえず、看板に導かれるように矢印の先を望むが、ほかに標識や看板の類は無いという事前情報通り、何も見つからなかった。国道280号の海側にわざわざ作られた立派な臨港道路、フェリー関連だろうという気はするのだが。
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こうなったら野辺地の時のように、往時を知っていそうな地元民に話を聞く、といきたいところだが。
三厩港、人の気配がない。
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函館の文字と共に「いか釣り漁業陸揚同意船」の標識が貼ってある漁船が。三厩や今別は青森市まで陸路1時間強なので、大間ほど函館に依存していない地域ではあるが、それでも函館との関係性は否定できない地域である。
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こうして漁船を眺めていると、何やら漁の支度をしに来た漁師がいたので聞いてみる。
「その、三角の屋根の荷上場見いるべ?その手前の出っ張っちゅうの昔は無がったのさ。船あるどごろ。船並んでるあのあだりの手前の方さ、フェリーはバックで入ってあったのせ」
おお、有力な情報!
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気さくに快く教えてくれた漁師は「フェリーいなぐなった後、埋め立てやったはんでさ、なんも残ってねえべなあ」とやはり事前情報通りの事を仰る。やはり無いかと結論付けようとすると、「2回目の方だばあるよ」という。2回目?何ですの?とりあえず、2回目の方に行く前に見に来た出っ張っちゅうふ頭を見に行く。これの右側の方にフェリーは着いていたのか。
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茶色く錆付いた東日本フェリー看板の背後にあった漁業施設の建物の裏手に来てみる。どうやら、この建物の裏か、その先の漁船がいるあたりにフェリーはバックで接岸していたのだろう。
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荷上場から別の漁師も出てきたので聞き込みを行うと、「オラがちゃっこい頃の話だよ。うーん、古しいフェリーの看板のすぐ右側のあだりでねべが。」との答え。
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最初のフェリーふ頭があった周辺を見ていると「新しい方なら向ごう」と言う。そうだ、「2回目」というのが気になっていたんだ。
彼は「2回目の時、フェリーがら『新しいの作れ』ってされで、作ったっきゃ1年しか居ねしてあったいな。2回目も、壊してしまったべ」という。
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せっかく作ったのに1年しかいなかったというふ頭方面へ移動。しかし、事前情報ではまるで跡は残っていないというのを得ているし、「壊した」という話から半信半疑で辺りを窺ってみる。
この広さはフェリーふ頭っぽいが……
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道路の広さや街路灯の設置、草生しているが歩道など、フェリーへの道っぽさは醸し出している。やはりここか。
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海側を見て確信。
Matsukenと書かれた青いボートの先に注目だ。
防舷材がまだ残ってる!
手前の舗装の色が違う場所も、これは明らかに架道橋の跡じゃないか!
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少し下がって引きの絵を。
フェリー係留用の赤いボラードも一対に残っている。
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ボラードを接写する。夏休みのため魚釣りに来ている家族がおり、先方が「変なおっさんが来た」と警戒している様子は伝わってきたし、こちらもなるべく関わらないように、港マニアを装いながら撮影を続行する。
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件のMatsukenのボートの近くまで来ると、隠れていた手前の防舷材も良く見えた。
間違いない、ここが三厩フェリーふ頭跡だ。大畑ほどではないが、結構立派なふ頭を作ったのではないか?
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一番手前の防舷材から。コンクリート擁壁の先にゴム製のクッションが付いている。船の接舷に耐える性能はもちろん、長期間に渡って海水や直射日光を浴び続けることへの耐性も要求されるのがこの防舷材だ。結構お高いらしい。
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係留中の漁船のうち、Matsukenがいちばん大きく、その先は防舷材が並ぶのが良く見えた。かつてのフェリー用の防舷材やボラードが、漁船の船溜まりの機能を果たしていた。
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二つ目の防舷材。これにとまっているウミネコが釣り人の魚を狙っているらしく、写真を撮っている間にも釣りあがった魚を空中から盗んでいたようだった。
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三つ目、一番奥の防舷材。漁具置き場になってしまっていた。
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三厩フェリーふ頭の突端が見えてきたので引き返す。三福航路に就航した英鶴丸は小型なので、大畑と違ってタラップは使用していなかったようだ。歩行者も架道橋から直接乗り込んでいたようで、大畑に比べるとふ頭の幅は狭い。
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突端からフェリーふ頭の陸側を望む。かつて渡島福島からフェリーで到着した乗船客が、デッキから見た三厩の景色はこんなであっただろうか。
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フェリーで三厩に着いた旅行者が、青森や東京を目指して進んだ臨港道路を国道280号まで歩いてみる。かつてのフェリーガイドでは三厩体育館の横を入っていく表記になっているが、この津軽半島最北のファミリーマートの海側向かいはまさにその三厩体育館である。返す返すもフェリーふ頭跡で間違いないだろう。


最後に、往年の東日本フェリーのCMソングとして知られるアイ・ジョージの「北国の海」を再生しながら、三厩に到着したフェリーを降りたドライバーの気分で、例の茶色く錆付いた東日本フェリー看板まで移動してみる。
釣り人家族からみたら、移動販売車のように謎の歌謡曲を流しながら車を出した私は完全に変人だと思われているだろう。
だが、三厩にはやはりアイ・ジョージが似合うと思うのである。

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