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 ざっと夏の通り雨に降られた下北半島は下風呂。下呂は易国と蛇と共に村を構成する主要集落の一つであり、本州最北の温泉街である。海岸近くまで迫る斜面に、アーチ状に連なるのは国鉄大間線の未成線遺構だ。
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 下風呂の東の入口に立つ。むつ市方面から来た場合の玄関口であり、下風呂を訪れる人の多くはこちら側から来るだろう。分岐を斜め左に、旧国道279号を進んで行こう。
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 旧道に入るとさっそく古い橋が出てくる。新湯橋といい、新湯川を渡る川だ。新湯川は国土地理院の地形図で見ると1kmもなさそうな感じだが水の量は豊富であり、1937(昭和12)年には決壊して山津波を起こし多数の死者を出す惨事も起きている。
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 新湯橋の上から新湯川の上流方面を眺めると、下風呂温泉の歓迎ゲートとともに鉄道未成線の橋がお出迎え。パッと見では本当に線路がありそうな雰囲気だ。
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 未成線の橋を潜り抜けて振り返ると、ガードの向こうに津軽海峡の海が光っていた。右が大畑・下北・野辺地方で、左が大間・奥戸方。大間線は大間から佐井側に回り込んで一駅南下した奥戸まで計画されていたという。
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 未成線の橋の上に登って大畑方を望むと、橋の先は既に民有地なのか家と駐車場になっている。この裏にも遺構はあるらしいが、ヨッキれん氏の「山さ行がねが」に詳しい。
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 大畑方の家の敷地になるべく入らないよう配慮しながら、大間方を撮影。この先が下風呂駅の敷地になる予定だったという。交換可能な島式1面2線ホームになる予定だったとか。
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 このまま鉄道遺構を辿って行ってもよいのだが、せっかく下風呂に来たのだから温泉街の坂道を上がって行こう。観音山浄土寺という寺院があったので手を合わせる。現在は青森の一念寺が兼務する無住寺なので、寺の中に入って観音様を拝む場合には、向かいの佐々木旅館に相談とのことだ。
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 それにしても狭い土地の坂道にびっしりと旅館が並ぶ下風呂の景観は趣深い。正面に見えるのが下風呂公民館で、下風呂駅予定地だった場所に建っている。ここに駅と汽車があればなあ。
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 坂を上り切ったどん突きにあるのが「新湯」だ。下風呂には「新湯」「大湯」があり、NHKの新日本風土記によれば下風呂住民は泉質の好みで新湯派と大湯派に分かれるという。
 手前に停まっている軽自動車が妙に錆まくっているが、下風呂温泉の硫黄のせいなのか、津軽海峡の塩のせいなのか。
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 新湯を見たので次は大湯を目指そうと、坂の途中を折れて切り通しの所まで来て、おびただしい量のイヨシロオビアブにたかられる。払っても払っても血を吸おうと追いかけてくる上、今年(2019年)はアブの数が多すぎる。大湯行きを諦め撤退だ。
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 アブから逃れるように坂を走って下り、再度旧国道279号に。海側には近代的なホテルも複数建ち並んでいて、ここのお湯は「新湯」とも「大湯」ともまた違うお湯が湧いていると聞いた。個人的には海側のホテル街のお湯が適温で好きである。
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 旧道の山手側、下風呂カフェの旗看板が海風でめくれ上がると、かつての「県産おみやげ店」の文字が出て来た。お目当てはこの建物の左奥にある。
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 下風呂駅ホームへと繋がる通路として建設された、と伝わる階段地下道の入口だ。島式ホームだと聞いているので、もし大間線が開通していればこのあたりに駅舎や改札口があったのかもしれない。少なくとも、下風呂駅は開業していれば無人駅ではなかっただろうと私は予想する。


 階段地下道を登る様子を動画で撮影した。入口横に停まっているホテルのハイエースと比較すれば一目瞭然で、天井の低さがとても気になる。なんとなく空気もよどんでいて狭苦しい通路だが、上がり切ると見えてくる下風呂公民館の土地が、まさに島式ホームのある下風呂駅予定地だと想像しやすいように思う。
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 ほら、島式ホームの姿が目に浮かぶようではないか。完成していれば下風呂駅は大畑ー大間間で唯一の交換可能駅だったとも聞く。急行なり快速なり優等列車も下風呂には停車しただろう。どの宿も海の幸の料理が自慢の温泉街ゆえ、魅力的な駅弁も生まれていたかもしれない。
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 階段を上から覗いてみる。いくらなんでも温泉地の駅の通路でこの狭さはないだろうという感じもあるが、国防上の理由から日中戦争さなかの1938(昭和13)年に着工した路線なら仕方がないことかもしれない。
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 かつての鉄道予定地にドーンと鎮座する下風呂公民館を海手(右側)に避けるように通路があり、これを利用してアーチ橋を目指すことにする。大間線予定地は高い所を通っているので、ホテル街の向こうの津軽海峡もよく見えている。
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 公民館を抜けた先に出る。以前に田名部駅跡を訪れた際にも書いたが、もし青函トンネルが下北半島−亀田半島ルートで建設されていれば、戦中に工事が凍結されてしまった大間線も戦後に開業しただろう。さすがに北海道新幹線となればスペースが足りず下風呂駅併設には出来なかっただろうと思うが、在来線の大間線なら残っているはずだ。
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 地下通路から1分もかからず、「アーチ橋入口」と書かれた看板のある鉄道跡の橋に出てくる。いよいよアーチ橋に、と言いたいところだが、橋の上から山側を見ておく。
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 中央に佇むのが件の「大湯」だ。アブを避けるには温泉街からこの鉄橋下のルートで来ると良いだろう。
 そして大湯の奥には自由禅寺と掲げられた寺院も見える。前出の浄土寺が浄土宗なら、こちらの自由寺は曹洞宗。下風呂より大きな集落でも寺院は一つしかないという所はざらにある。やはり下風呂は歴史のある温泉集落ということか。
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 大湯に向かう通りを跨ぐ橋を越えた先、山側に建物がある。橋の形状から見ると線路が敷かれる予定があったか怪しいが、この平場も鉄道由来のものかと思う。土地が少なく建物が密集する下風呂ならではの土地の利用方法か。
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 再整備され水色に塗装された柵の袂まで来た。海側斜面の藪の中に廃道のような階段があるのを見つけてしまうが、降りたところで民家の裏に出そうだ。アブも酷そうだしスルーしておく。
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 アーチ橋区間に入ると、またしても左手に家が出てくる。鉄道が開業していたら、線路を歩かなければ接近できないこの位置には建築不能だろう。坂の街と称される長崎市のように、わずかでも平場を見つけると建物の用地にするのが下風呂か。
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 再整備には否定的な意見もよく見かけるが、50年100年もっと先を考えると、残存している可能性が高いのは当時の姿のまま放置されている所より、再整備された区間だろう。大畑の釣屋浜にもアーチは残っているが、コンクリートの劣化が素人目にもわかる程だし、あちらは北海道のテレビ放送を受信するためのUHFアンテナがアーチ橋に多数括りつけられていて景観的にもよろしくない。
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 足湯は駅をモチーフにしているようだが、実際の駅は先ほど見て来た公民館の位置である。保存方法について「再整備より当時の姿のままで」というのは正論だが、下風呂温泉街という観光地的要素の強いエリアに、武骨なコンクリートアーチをそのまま残すべきか、観光客が散策できる遊歩道に改築するかは意見の分かれるところになるだろう。もちろん、観光地的要素の少ない区間では現状のまま保存してほしいとは思うが。
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 1067mmなのか怪しい気がするレール。
 狭いような気がするのは気のせいなのか、それともやはり1067mmではないのか、メジャーを持って歩いていないのでわからなかった。
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 駅を模した足湯には線路側を向いて時計が掲げられているが、本物の鉄道ならホームにいる旅客に見える位置に時計を掲げることはあっても、線路に向けて時計を掲示することは無いだろうから、どこか不自然な演出である。
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 駅名標も下風呂の前後の駅が大畑と大間になっている。実際には隣駅は赤川と桑畑のはずだから、これも“演出”の一環か。しかし優等列車にしても前後の停車駅が大畑と大間なのかは議論の余地がある気がする。
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 足湯から津軽海峡を眺めながら、大間線の優等列車の停車パターンを妄想してみる。大畑、下風呂、大間いずれも優等列車停車駅になるのは間違いないだろうが、大間方では風間浦村役場が所在する村内最大集落の易国間にも停車する気がする。大畑方も、距離と集落の規模を考えると木野部にも一部停車しそうな気はする。
 現在の大湊線の野辺地駅から下北駅ないしは旧大畑線の田名部駅(いずれもむつ市)以南のみ急行・快速運転で、むつ以北は事実上の各駅運転のみというのも考えられるか。
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 そんな妄想をしながら一息つくには最高の足湯だ。強い硫黄成分で、あっという間に角質がなめらかになってしまう。下風呂に通えば水虫が治ると話す人もいるくらいだ。
 実際、武藤鉦製薬が2008年まで販売していた入浴剤の「六一〇ハップ」は硫黄を含んでおり、医薬品として効能には「水虫」のほか「疥癬」も謳われていた。販売停止に至った背景には、当時多発した硫化水素自殺問題や、排水管の腐食問題もあったようだ。
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 さすがに夏場に走ったり歩いた後の足場なので暑くなり、またアブがどこからともなく飛来してきたので撤収。足を拭いて靴下を履くのに手間取り、その間にもまとわりつくアブを振り払おうと身体を捩り、ますます汗が出る。
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 足湯を過ぎて大間方へ進むと間もなくアーチ橋の終点が見えてくる。アブから逃げようと走るとあっという間だ。
 さて……いったん入口に戻るぞ。


 入口まで引き返し、アーチ橋を大畑方から大間方へと再度歩き通し動画で撮影する。
 大間方のアーチ橋出口の階段を降りる直前までを動画で撮影した。
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 大間方の階段を降りる前にアーチ橋の突き当りの藪をもう一度見ておこう。この奥には下風呂第一隧道が眠っているのだが、とても見える状態ではない。藪に入ろうものなら、また押し寄せてくるイヨシロオビアブの餌食になるだろう。
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 遊歩道から覗けるだけ覗いてみる。なんとなく中央の盛り上がる藪の先の山が、隧道が地中に潜り込もうとする地点のように見える。藪を歩かなきゃ見えんな。こりゃ。
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 下風呂第一隧道を拝むのは諦め、大間方へと階段を降りて行こう。階段であって坂道ではないはずだが、こちら側は汐見坂と名付けられている。
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 汐見坂は下る途中からコンクリート暗渠の蓋を利用した階段となる。国土地理院の地形図には載っていないが、こちらも新湯川同様に水量はあるようで、段差の隙間からゴウゴウと沢水の音が響いてくる。
 もし下風呂温泉街の中でも大間方の宿に泊まってアーチ橋を見に行くならば、この汐見坂が最初の景色になろう。
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 最後に国道279号の大間側の新旧分岐点。
 1978(昭和53)年5月まで海側の新道はなく、山側の旧道が利用されていたわけだが、東日本フェリーの大函航路最盛期(主に昭和40年代)には北海道と首都圏、それ以遠の中京圏や京阪神そしてさらに西方面とを行き来したトラックも皆、下風呂の旧道を行き来していた。
 下風呂に限らず、同じ風間浦村の易国間や隣の大畑の赤川や木野部集落も同様に、狭い海岸沿いの集落道を昼夜問わず行き交う長距離トラックの輻輳に悩まされた記録があり、こうした交通事情も「大間線用地を国道279号に転用」する形での道路整備が推し進める要因となった。
 1953(昭和28)年には既に「青森県三厩附近より渡島国福島に至る鉄道」──すなわち津軽半島−松前半島での津軽海峡横断ルートが鉄道敷設法に記載されている。
 下北半島−亀田半島ルートでの青函トンネル建設が工事再開されるかどうかの鍵を握っていた大間線は、大函航路が華やかなりし頃にはもう半ば諦められ、代わりに鉄道用地を転用する形での国道279号の整備に向かっていったのだろう。
 
 大間線のDNAは、国道279号に受け継がれているのだと私は思う。
 そんなことを考えた下風呂散歩だった。

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