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通称「国鉄五川目線」関連歴史年表
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 北西に転じた築堤は、太平洋の砂浜や国道338号と並行するように終わりを迎えるべく徐々に北寄りに進路を変え始める。再び振り返ると、弧の内側に並ぶ松の立ち枯れは子供の頃に北海道野付半島で見たトドワラのようでもある。ただ枯木の腐食が進む一方のトドワラに対し、ここは生き延びた松から供給された松ぼっくりから若木が生えており、いつか復活できるのかもしれない。
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 松の若木と同じようにたくましく青々とした葉を見せているのが、廃道や廃線では出会いたくない笹(ササ)。ササの寿命は50年とか100年とか言われるが、廃止から70年は経っている五川目線の築堤上にいつからあるものか。硬くしなるチシマザサではないので突破は難しくないが、衣服が汚れてしまった。そんな笹薮の中に現れたのが……
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 ホッキガイやホタテガイの不自然な投棄跡。
 なぜわざわざ廃線の笹薮の中にまとめて放置されているのか。自然動物の仕業ではないだろう。正規の販売ルートで買って来たか、あるいは砂浜で捕獲してきたか(場合によっては密漁かもしれない)、ホッキやホタテの入手方法は定かではないが、隠すように笹薮にまとめられている貝殻に「イグネエ事シタヤヅ」の気配はなんとなく感じる。
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 笹薮を抜けると、五川目線を横切る未舗装の1車線道路と交差した。左が旧五川目集落跡方面、右が太平洋の砂浜方面。この道路は五川目の集落と砂浜を結ぶムラの道として戦前からあるようだが、砂鉄の採掘との関連は不明だ。軌道があった頃は、ここに踏切があったのだろう。
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 踏切跡を振り返ると、いかにも軌道跡をいう感じで両脇に松が生え、路盤上に笹薮が出来ている。進行方向は築堤と周辺の土地との標高差がほとんどなくなってくる。松と植林地が無ければ軌道跡がわかりにくい。
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 弧を描いてきた築堤も、国道338号の東側―海手を並行する市道に合流する所が近づいてくる。先に書いてしまうと、合流後の痕跡も明瞭ではなくわからなかった。とりあえず、六川目方面から築堤に入る場合は漁船の場所が目印だ。
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 漁船の所で市道に合流した。松の木の位置から推察するに、漁船より10〜20mくらい六川目方まで軌道敷跡が残っているようだが、その先は市道のアスファルトに合流していると思われる。
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 振り返ってみるが、市道との合流部もまたわかりにくい感じに荒れている。六川目方から来てすぐに軌道跡の入口だと気づけたら凄い。
 しかしここからどの辺りまで線路はあったのだろうか。
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【gifアニメは画像クリックで再生されます】
 前々回の(6)で紹介した1947年米軍撮影の航空写真に加工したものをgifアニメ化した。
 (7)にて「実はここに1067mmのレールがあったのかも探索後の今となっては疑問が残る」と書いたのは、実は旧五川目集落南端付近にあった"駅のようなもの"─"仮に五川目駅跡"で、三沢方から来た線路と、海岸林内の築堤の線路が繋がっていないのではないかという疑念があるからだ。
 もし線路が五川目駅(仮)で繋がっていないとすれば、海岸林内の築堤の軌間幅は1067mmではなく、鉱山のトロッコなどで採用される762mmのナローゲージだった可能性もある。まったくの余談だが、東通村の尻屋崎近くにあった日鉄鉱業(石灰)の軌道も762mmである。
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 当時を知る古老が居れば聞き取りもできるのだが、ご覧の通り、五川目集落は三沢基地の騒音対策で集団移転が完了しており、三沢市内に移転した人もいれば市外の八戸や東京などに出た人もおり、つてが無いため古老を探し出すのも困難である。そもそも廃止から70年を経ているので、ハッキリと記憶にある人となればほぼ80歳から上の高齢者ばかりだろう。
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 何せ五川目線の開通は1944(昭和19)年頃で、戦時中の事情もあるせいか、なかなか資料が出てこない。前述した2006年7月7日のデーリー東北の記事にある記述同市史などによると、第二次世界大戦中にあった国鉄古間木(現・三沢)駅から同市五川目地区を結ぶ国鉄五川目線の一部。同市淋代地区で採掘された砂鉄の精鉱を輸送していたほか、旧日本海軍の飛行場建設資材や軍事物資搬入にも利用された」であるが、2006年当時で刊行済みの三沢市史(上)、(中)、(下)にも、三沢市史(通史)にも国鉄五川目線の文字を見つけることはできなかった。通史はともかく、(上)〜(下)はpdfでも公開されており、文字列検索でも引っかからないので、同市史に国鉄五川目線の記述は無いとみて間違いないと考えている。

(最終回に続く)

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