青森市街地から最も近いスキー場といえばモヤヒルズである。
 県庁や市役所のある青森都心部からでもクルマで30分もあれば到着するので、公務員や会社員が終業後に直行すれば夕方6時か7時にはナイターを堪能できるという環境にある。
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【かつての石雲谷斜面から眺めた第一リフトゲレンデ方面】

 モヤヒルズとして新生開業した1994(平成6)年までは「雲谷スキー場」()と呼ばれており、まだ平成ひと桁で世の中も昭和60年代の延長という雰囲気も濃い中においても「昭和」な雰囲気が色濃く残るスキー場だった。
 悪く言えば「古臭い」スキー場であり、ゴンドラや高速クワッドリフトを擁していた鰺ヶ沢スキー場や岩手の安比高原といったスキーリゾートに比べると、子供ながらにも圧倒的に見劣りする感が否めなかった。
 ()リンク先の青森市のホームページには1994年9月にモヤヒルズ完成とあるが、手元に1995年1月に山吹とか第二とかの旧雲谷スキー場で撮影された写真もある

 モヤヒルズに変わって25年ほど経ち、かつての雲谷スキー場の記憶も薄れてくる中、備忘録的にかつての雲谷スキー場の記録を当ブログに書き記しておきたい。
◆ たくさんあったロープトーたち
 
 かつて雲谷スキー場を彩った輸送手段として、リフトのほかにロープトーもあったが、リフトが乙種特殊索道として旧運輸省が所轄する鉄道の一種として統計対象だったのに対し、そうではないロープトーの記録をたどるのはリフトほど簡単ではなかった。

 ロープトーに関しては、青森市雲谷財産区が2005年に出版した「雲谷財産区創立五十周年史 おやすの里」(以下、「おやすの里」と略)に詳しく、そちらを参考にした。
 リフトに関しては、「おやすの里」と運輸省の「民鉄要覧」で掲載内容に違いがあり、こちらは「おやすの里」は補助的に使用し、「民鉄要覧」を参考にした。

旧雲谷スキー場 リフト・ロープトー関連年表
1959(昭和34)年11月青森市営ヒュッテ、イシタスポーツヒュッテ、和田寛ヒュッテ開業
1959(昭和34)年12月スキー場協力会ロープトー開業
1960(昭和35)年12月青森市営第一リフト開業
1962(昭和37)年11月北の台ロープトー、イシタスポーツロープトウ開業
1963(昭和38)年12月雲谷部落ロープトー開業
1964(昭和39)年12月青森市営第二リフト開業
1967(昭和42)年12月サイトースポーツロープトー開業
1969(昭和44)年2月雲谷スカイランドホテル開業
1969(昭和44)年10月スカイランドホテルリフト(=石雲谷リフト)開業
1971(昭和46)年12月青森市営第三リフト開業
1974(昭和49)年12月雲谷部落第二ロープトー開業
1975(昭和50)年12月雲谷部落第三ロープトー開業
1977(昭和52)年12月スカイランドホテルロープトー開業
1980(昭和55)年12月青森市営第一ロマンスリフト開業
1982(昭和57)年12月山吹ロマンスリフト開業
1984(昭和59)年12月青森市営第二ロマンスリフト開業
1991(平成3)年3月(?)青森市営第三リフト廃止

 30代後半のオッサンが聞いたことのないロープトーがたくさん出てきた。。。
 
 とりあえず、小学校時代のあいまいな記憶だが、モヤヒルズ移行直前の雲谷スキー場にあったロープトーといえば、スキー場入り口の川村駐車場に隣接した初心者向けのファミリーゲレンデロープトー、市営第一ロマンスリフトと途中まで並行していた通称キャリーエース、第一ロマンスリフトと石雲谷リフトの間のゲレンデを斜めに伸びていた通称石田スポーツロープトー(「おやすの里」にあるイシタスポーツロープトウのことだろう)、山吹の奥の第二の手前にあった北の台ロープトーの4本だったと記憶している。

 「おやすの里」には雲谷部落第一ロープトーとかスカイランドホテルロープトーとか、私の知らないロープトーもあって、職場の再雇用の六十歳代の先輩職員に聞いても「どれがどれのことだかわがんねえw」という状態だったので、詳しい情報をご存じの方はコメントを頂戴できれば幸いです。
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 ともあれ、石田スポーツロープトーは下にあったホットスナックの自販機のペシャンコで火傷するほど熱いハンバーガーが鮮烈な記憶としてある。青森市内だと他に青森高校の向かいの書店紀ノ屋の軒先にもあったが、今や全国的に絶滅危惧種の自販機だ。
 北の台もまた、ロープトーの親父さんが回数券に鋏を入れるのをよくオマケしてくれたり、ヒュッテで売っているスルメソーメンが美味かったものである。半ドンで午後からスキーに行き、当時開局したばかりのABAで夕方4時から放送していた「ワールドプロレスリング」を北の台ヒュッテで見ながらスルメを食って、その後は馳浩の真似で雪にジャイアントスイングで投げたり投げられたり……わざわざ奥にある北の台まで行くのが楽しかったものである。あの頃は古臭いと感じていながら、良い思い出もたくさん残っているものである。懐かしい。
◆ 雲谷スキー場内で運営者が違っていたリフトたち

―神格化されていた「第二」と、幻の「第三」伝説―
 僕が小学校にあがって雲谷デビューをしたころには既に「市営第三リフト」は廃止された後で、「第二より難しい」とか「死亡事故が起きて廃止」とか「歩いて登って深雪滑って来た」などと実しやかに囁かれたりしていたが、第三リフトでの死亡事故は東奥日報を検索したが発見できなかった。
 
 「第二」といえば正式名称は「青森市営第二ロマンスリフト」だが、最大斜度が37度もあって、県内では死亡事故が実際にあった大鰐スキー場のジャイアントスクリーンの35度を凌ぐ急斜面で、東北6県でも山形県の米沢市営スキー場の41度という恐ろしい斜度に次ぐ急斜面で、第二をウェーデルンで華麗に滑り降りる小学生は一躍クラスの人気者―いや、ネ申といってもあながち嘘ではなかった。僕は小便をチビリそうになりながらボーゲンでやっとこさ降りてくるのが精いっぱいだった。
 
 「第二」のさらに奥にあった、と当時の小学生たちで伝説のように語り継がれていた「第三」の正式名称は「青森市営第三リフト」で、「第一」や「第二」がシングルリフトからロマンスリフトに改築される中、「第三」は一人乗りのいわゆるシングルリフトのまま廃止に至ったという。


―「第一ロマンス」の次が「第三」の時代があった?―
 シングルリフトからロマンスリフトに改築の話をしたが、運輸省の民鉄要覧を見ていて1983(昭和58)-84(昭和59)年のシーズンは「第二」が存在しないことに気が付いた。
 どうやら、一人乗りの旧「青森市営第二リフト」が廃止され、新しい「青森市営第二ロマンスリフト」に移行する前の1シーズンだけ、「第二がない」時代があったことになっている。
 実際にそうだったのかを職場の年配のスキーヤーに聞いてみるも「記憶にない」と言うので、書類上は無いことになっているだけなのか、実際にはあったのか無かったのか、不明だ。
 (昭和59年の春に廃止され、民鉄要覧には存在しないこととされ、昭和59年の冬には新設、という可能性もある)

 もっとも、「第二」が存在しなくても、前年の1982(昭和57)年に山吹ロマンスリフトが新設され、第一から山吹(あるいは北の台)を経由して一番奥の「第三」まで行ける状態であったのは事実のようだ。
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【かつての石雲谷側から山吹ロマンスリフト頂上部を望む】

―民営だった「石雲谷」と「山吹」―
 山吹ロマンスリフトという単語を出したが、かつてヴィラシティ雲谷側に上っていった石雲谷リフトともに、この2基は民営だったという。
 
 石雲谷リフトは雲谷観光開発株式会社、山吹ロマンスリフトは雲谷スキー場観光開発株式会社という、それぞれ別会社の運行だったことが民鉄要覧に記載されている。
 (まったくの余談だが、石雲谷にも「石雲谷第一」という記載があって、石雲谷にも「第二」もあったりしないよなと少し疑っている)

 ともあれ、「第三」廃止後の最末期の雲谷スキー場内では、青森市営の「第一ロマンス」と「第二ロマンス」のほか、民営の「石雲谷」と「山吹ロマンス」が混在していたことになる。
 利用券自体は共通で乗れたので知らなかったが、運営者が違っていたとは。
◆ 旧雲谷スキー場を現在のモヤヒルズに重ねてみると

 昔、青森ビブレを「カネ長」と呼んでいた大人を小ばかにしていたものだが、いまだに「コスモス」とか「アケビ」といったモヤヒルズのリフト名をきちんと覚えられず、自分も馬鹿にされる側の大人になってしまった。
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【モヤヒルズ唯一の高速クワッド・コスモスクワッドリフト】

 モヤヒルズの入り口にあるコスモスクワッドリフトは、なんとなく旧第一のイメージがある。
 しかし、かつての航空写真を参考にしつつ、雲谷スキー場当時の国土地理院の2.5万分の1地形図を現在の地形図に重ねてリフトのラインを引いてみると、意外と自分のイメージとずれていることも分かった。
 コスモスクワッドリフトの頂点は、第一よりもむしろ旧山吹の頂上に近いようだ。
 各リフトの位置関係を下図に記載する。
雲谷スキー場 モヤヒルズ 重ね合わせ
【図はクリックで拡大します】

 カタクリペアリフトとアケビペアリフトが開設されたころ、「第三の復活」だと言う人も私の周りに少なからずいたが、第三リフトはもっと奥、東寄りを走っていたようだ。
 モヤヒルズが開業してからというもの、頂上の景色を眺めた後でチビリそうな急斜面に下りずとも林間のアケビのコースを迂回し下りてこられるようになったのは良かったと思う。

 あくまでも地形図をもとに作成したものなので、ロープトーの詳細な位置はずれていると思うが、ご容赦を。

 最後に、各リフトの諸元を表にまとめて締めとしたい。

旧雲谷スキー場 リフト諸元(1989年当時)
リフト名事業者名延長運行開始
青森市営第一ロマンスリフト青森市313m1980年12月26日
青森市営第二ロマンスリフト青森市691m1984年12月23日
青森市営第三リフト青森市663m1972年1月7日
石雲谷リフト雲谷観光開発267m1969年12月21日
山吹ロマンスリフト雲谷スキー場観光開発289m1982年12月26日



◆引用文献・参考文献

青森市雲谷財産区(2005)「雲谷財産区創立五十周年史 おやすの里」
運輸省鉄道監督局(1977)「民鉄要覧 昭和52年度」
運輸省鉄道監督局(1984)「民鉄要覧 昭和59年度」
運輸省鉄道監督局(1989)「民鉄要覧 平成元年度」
川村慶次郎(1985)「雲谷に生きる 川村慶次郎翁 回想記」




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