8月31日の「下北半島の道路の高速化をみてみる」の記事の締めにて書いた「下北を目指した(一応)高規格道の未成部」というやつを今回の記事で。
といってもタイトルの通り、国道279号野辺地バイパスがそれなのだが、前回の記事では野辺地バイパスは野辺地木明I.C−野辺地ハーフI.C−野辺地I.Cのことであると書いた。
下北道は国道279号の新道という位置づけになるわけで、じゃあ野辺地木明I.C−野辺地ハーフI.C−野辺地I.Cのことを未成部として書くのかというとまた違う。
【国道4号野辺地バイパス】
単に野辺地バイパスといえば1967(昭和42)年に開通した国道4号野辺地バイパスもあり、こちらは野辺地町松ノ木平から馬門を結ぶ。
だいぶ沿線に商業施設や民家も建ち並び、幹線国道のバイパスとしてはかなりくたびれている感は否めないが、こちらは全線開通しており未成道のみの字もない。
今回の記事では国道4号野辺地バイパスでもなく、野辺地木明I.C−野辺地ハーフI.C−野辺地I.Cにあたる野辺地バイパスでもない、今や国道指定を解除された、旧国道279号野辺地バイパスを紹介していく。
まずは旧国道279号野辺地バイパスが位置する野辺地町の道路網について簡単に。
青森県と野辺地町によって策定された都市計画によって、前述の国道4号野辺地バイパスは野辺地町都市計画道3・3・1号一ノ渡中渡線、野辺地バイパスは野辺地町都市計画道1・3・1号有戸鳥井平一ノ渡線と位置付けられている。

【地図はクリックで拡大します】
これらと別に野辺地町都市計画道3・5・7号大月平一ノ渡線なる路線が今回のターゲット。
上の地図において、下北道の左側に並行するピンクの実線と点線が旧国道279号野辺地バイパスのルートに相当し、現在開通済みの区間は3・5・7号大月平一ノ渡線にあたる。
3・5・7号大月平一ノ渡線の供用済み区間は0.8kmしかないが、これがかつて下北を目指して建設された旧国道279号野辺地バイパスの一部に当たる。

【下北道 野辺地ハーフ−野辺地 右側がむつ方面。奥に橋脚が見える】
下北道 野辺地ハーフ−野辺地をよく利用する方なら、むつ方面へ北上する際、左側に写真の未成橋脚が見えることにお気づきの方も多いかと思われる。
パッと見では将来4車線化する際に備えた橋脚のようにも見えるが、実は4車線化用地は右側(写真では手前側)にある。
この橋脚は当初計画では旧国道279号野辺地バイパスが通過する予定だったものである。
現在は野辺地町の都市計画道3・5・7号大月平一ノ渡線の予定線上にあるが、野辺地町でも建設に向けた事業を進めているとは聞かない。
この未成道である旧国道279号野辺地バイパスの建設について歴史を振り返りたい。
上の年表の通りだが、旧国道279号野辺地バイパスも地域高規格道路構想以前の横浜バイパスや大畑バイパスと同じように一般道規格で建設された国道279号のバイパスだったのである。
「野辺地バイパスは最初から高速道路規格で造っておけば良かった」とは後世の人間の短絡的な意見である。
前回の記事で書いた通り、四全総(1987年)策定前の青森県と国の折衝において下北への高速道路の要望は却下されており、代わりに定時性の高い道路なるものを整備することとした経緯があり、一般道規格での野辺地バイパス建設はやむを得ない流れだったのである。

【青森県道路管内図の一部を転載 クリックで拡大】
ちなみに旧国道279号野辺地バイパスが国道指定解除となった時期については当ブログの調査不足で不明。
新規の国道指定については県の告示等に残っているのだが、解除は残っていないことが多い。バイパス解除後に主要地方道や一般県道に降格した場合などは県にその旨の記録が残るのだが、市町村道に降格となるとほとんど残っていない(県に直接訪問して聞けば教えてくれるのだろうけれど)。
市販の道路地図で照会すると下北道 野辺地ハーフ−野辺地の開通翌年の2006年には国道指定解除になっているようだが、公的機関への確認が出来ていないので不確定な情報である。
上の地図は青森県の県土整備部(発行元は北海道地図株式会社)による、平成20(2008)年現在の青森県道路管内図の一部であるが、下北道の左に並行する旧国道279号野辺地バイパスは白色の一般道になっており、2008年時点では降格していると判断するのは間違いなさそうだ。国土交通省の平成22(2010)年度の道路交通センサスにも、同区間の記載はない。
ともあれ定時性の高い道路を目指したということで、旧野辺地バイパスにも前述の橋脚以外にもそれなりの構造物があったようだ。
続いてみて行こう。
本来なら国道279号の起点・函館側からの方が体裁的には美しいのだと思うが、逆に終点の野辺地側から北上する形で探索した。
野辺地町と隣接する東北町家ノ前の国道4号から、旧南部縦貫鉄道廃線跡と青い森鉄道線のガードをくぐり、野辺地町道を走ると現地に到着する。
【写真はクリックで拡大します】
上の写真の日は快晴の日(天間林ドライブインで真夏の肉鍋の戦いを終えた直後)であったが、別日に同区間を往復した動画を撮影したので載せておく。
景観として受ける印象は、昭和後期から平成初期に開通した青森県管理の一般国道バイパスという風情で、同じ279号の横浜とか大畑より、101号の鯵ヶ沢バイパスにどことなく似ている感じがある。
定時性の高い道路の建設期の道路ということで、青森県道246号水喰野辺地線とは取付道路を介して立体交差する予定でガードも完工していた。
土木事務所(現在の県土整備事務所)の管轄こそ十和田とむつで違うが、下北方面では国道338号大湊バイパスも青森県道4号むつ恐山公園大畑線と取付道路を介して立体交差になっており、同じような時期に青森県で整備されたバイパスに共通する建設思想のように感じる。
続いて、未成部をみていこう。
【画像はクリックで拡大します】 県道246号から「一里塚」への標識に従って一車線の砂利道を進むと、旧国道279号バイパスと立体交差する「鳴子坂橋」に到達する。
鳴子坂橋の標柱には、しっかりと「国道279号」という銘板が嵌め込まれていた。鳴子坂橋は平成2年12月に竣工したのだという。
【画像はクリックで拡大します】 旧国道279号野辺地バイパスを跨ぐ鳴子坂橋の長さは58mに及ぶ。野辺地町都市計画道3・3・3号木明一ノ渡線の計画幅員は27m(車線数4)だったので、今となってはオーバースペック気味な橋になったのだろう。
野辺地町も鳴子坂に関する歴史の看板まで立てていて、これが一里塚とセットの史跡整備の一環だったにしても、現在ならここまでしないだろうと思う。バブル景気の残り香のようである。
【画像はクリックで拡大します】 鳴子坂橋から旧国道279号野辺地バイパスを見下ろす。野辺地方の供用区間も路肩の木々が鬱蒼としている。
未成部となる函館方も立入禁止バリケードの向こうに路盤が見えているが、こちらも藪と化している。それでも獣道のような踏み跡が一筋、奥へと延びており、犬の散歩などで地元民が通行しているようだった。
【画像はクリックで拡大します】 続いて鳴子坂橋を渡って奥へ進み、下北道を跨ぐ新鳴子坂橋に到達する。こちらの橋長は55m。野辺地町都市計画道1・3・1号有戸鳥井平一ノ渡線の計画幅員は23.5m(車線数4)。当初の一般道規格のバイパスの27mより狭いが、自動車専用道路なので歩道の幅が必要ないのだろう。
銘板は鳴子坂橋と同じく国道279号で、下北道ではなかった。
【画像はクリックで拡大します】 新鳴子坂橋から下北道を見下ろす。
野辺地IC方は進行方向左、むつ方は進行方向右側──すなわち、供用済みの本線車道の東側に、将来の4車線化に備えた用地があるのが見える。むつ方に見えている橋梁は、県道246号と交差する跨道橋である。
前述の未成橋脚(旧野辺地バイパス用)は、本線の西側に位置するのである。残念ながら新鳴子坂橋からはそれが見通せない。
【画像はクリックで拡大します】 一里塚への道を引き返し、県道246号から反対側に位置する野辺地町第四浄水場方面へ未舗装の一車線道を進む。下北道の高架橋の下に浄水場はあり、件の未成橋脚もこの至近にあるはずなのだが……
【画像はクリックで拡大します】 浄水場から振り返ると未成橋脚があった。下北道 野辺地−野辺地ハーフの本線をむつ方面へ北上する際、左手(西側)に見える、旧国道279号野辺地バイパス用の未成橋脚だ。
旧国道279号野辺地バイパスはこの橋脚で標高を稼ぎ、寺ノ沢の高台の住宅地の東側を経て、タラノ木方面を目指すルートであった。私はこの道を国道101号鰺ヶ沢バイパスに似ていると書いたが、未成橋脚や寺ノ沢の辺りは、舞戸の阿部野から小夜に上がる辺りの雰囲気とよく似ている。
【画像はクリックで拡大します】 未成橋脚を拝んだので帰ろうとすると、こちらにも立入禁止バリケードがあることに気が付く。バリケードと言っても看板くらいしかなく、思いっきり地元民が通行している獣道のような踏み跡があるのだが……
【画像はクリックで拡大します】 わるにゃ〜ん
(Ⓒ「山さ行がねが」ヨッキれん様)
【画像はクリックで拡大します】 未成橋脚に近い所、浄水場のある沢の所までは路盤も完成していたらしい。二車線幅の砂利のストレートが野辺地方面へと延び、むつ方面は正面に未成橋脚が見えていた。
あまりわるにゃんは長居せず、見るものを見たら早々に引き返すことに。
次は寺ノ沢を見に行く。
【画像はクリックで拡大します】 野辺地町役場から東にまっすぐ進むと、高台の寺ノ沢の住宅地に到達する。この住宅地の南東端を旧野辺地バイパスは通過するルートになっており、未成橋脚や路盤が見えないかと期待していたのだが木々が生い茂り眺めは良くない。ガードレールやバリケードの類が県の土木事務所の設置によるものかどうかもわからなかった。
【画像はクリックで拡大します】 続いて寺ノ沢の高台の住宅地の北東側に延びる未舗装の一車線道を進んで、寺ノ沢橋に到達する。この先に野辺地町の水道関連施設があるが、かつては寺ノ沢の南東側のバリケードのあった辺りから砂利道で通じていたようで、下北道の着工後に架けられた橋ということになる。銘板には新鳴子坂橋と同じく国道279号とある。下北道は国道279号の新道という扱いである。
【画像はクリックで拡大します】 下北道を見下ろす。野辺地(南)に向かっては本線左側に将来の4車線用地が確保され、右側にも旧国道279号バイパス用地と思われる平場らしきスペースが見えた。
むつ(北)方面は野辺地ハーフI.Cを目指してストレートに入っていくところだが、進行方向右手の将来の4車線用地は明確に見えるが、左手側にあるはずの旧国道279号バイパス用地は明瞭に目視できない。
寺ノ沢付近から北は旧国道279号バイパス用地を下北道に転用したのかもしれない。
次はタラノ木を見に行く。

こちらの航空写真は、国土地理院によって1992年9月18日に撮影された野辺地町タラノ木の旧国道279号野辺地バイパスの工事現場を捉えたものである(1992-09-18航空写真、整理番号TO921X、コース番号 C10、写真番号8)。
1992年といえば下北道が地域高規格道路に指定される前の時期で、定時性の高い道路の整備が進められていた時期となる。旧国道279号野辺地バイパスと町道田挟沢タラノ木線との交差部は立体交差する形で工事が進められていたようだ。無論、現在は下北道に転用されているわけだが、これも現地を押さえておきたい。
【画像はクリックで拡大します】 タラノ木のガードに到着する。現在の空中写真をみても、ここは旧国道279号バイパス用地と下北道の4車線化用地(将来の下り線)と供用済みの本線を合わせて6車線分の幅員が確保されている。
野辺地町市街地側(西側)から接近すると、手前側に旧バイパス用地とフェンスがあるのが確認できた。
【画像はクリックで拡大します】 タラノ木のガードの反対側。下北道の4車線化用地(将来の下り線)は盛り土自体は完工済みのようだが、もともと野辺地町都市計画道3・3・3号木明一ノ渡線の幅員は27mで4車線でガードを造ったせいか、2車線分足りず4車線化用地分は明かりとなっている。もしも4車線化する日が来るなら、短いスパンの橋をかけることになるのだろう。
以上のような形で旧国道279号野辺地バイパスを観察してきたわけだが、現在の都市計画上の路線名である3・5・7号大月平一ノ渡線について最後に触れておきたい。
起点の地名が3・3・3号木明一ノ渡線時代の「木明」から野辺地市街地寄りの「大月平」に変わったことで、北側のルートは変更されているはず。

【画像はクリックで拡大します】 青森県が作成した野辺地都市計画区域の整備、開発及び保全の方針(野辺地都市計画区域マスタープラン)に掲載されている上図(引用)から、おおよそのルートは想像できるのだが、詳細について野辺地町建設課に問い合わせをしてみたところ、3・5・7号大月平一ノ渡線の現在供用済み区間は旧国道279号野辺地バイパスの供用済み区間分だけだという。
十符ヶ浦海水浴場からむつ寄りの大月平から野辺地ハーフI.Cに向かう道路は3・5・7号大月平一ノ渡線の一部なのかなと想像したのだが、野辺地町役場は違うと言う。
3・5・7号大月平一ノ渡線は、昭和末期の定時性の高い道路整備を目指した時期に着工され、平成初期に地域高規格道路指定を受けて高速道路化する過程で生まれてしまった旧国道279号野辺地バイパスの供用済み区間のみ存在するということだ。
仮に野辺地がもっと規模の大きな都市で、下北道以外に一般道規格のバイパスも必要なほど交通がひっ迫していれば全通の可能性もあるのだろうが、今後延伸する可能性は極めて低いだろう。
ひょっとすると、近い将来、3・5・7号大月平一ノ渡線は計画自体が見直され、野辺地町の都市計画からも抹消される可能性もあるのかもしれない。
世が世なら、下北の幹線になっていたかもしれない未成道・旧国道279号野辺地バイパスの記事、おしまい。
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といってもタイトルの通り、国道279号野辺地バイパスがそれなのだが、前回の記事では野辺地バイパスは野辺地木明I.C−野辺地ハーフI.C−野辺地I.Cのことであると書いた。
下北道は国道279号の新道という位置づけになるわけで、じゃあ野辺地木明I.C−野辺地ハーフI.C−野辺地I.Cのことを未成部として書くのかというとまた違う。
単に野辺地バイパスといえば1967(昭和42)年に開通した国道4号野辺地バイパスもあり、こちらは野辺地町松ノ木平から馬門を結ぶ。
だいぶ沿線に商業施設や民家も建ち並び、幹線国道のバイパスとしてはかなりくたびれている感は否めないが、こちらは全線開通しており未成道のみの字もない。
今回の記事では国道4号野辺地バイパスでもなく、野辺地木明I.C−野辺地ハーフI.C−野辺地I.Cにあたる野辺地バイパスでもない、今や国道指定を解除された、旧国道279号野辺地バイパスを紹介していく。
【野辺地町の道路網から】
まずは旧国道279号野辺地バイパスが位置する野辺地町の道路網について簡単に。
青森県と野辺地町によって策定された都市計画によって、前述の国道4号野辺地バイパスは野辺地町都市計画道3・3・1号一ノ渡中渡線、野辺地バイパスは野辺地町都市計画道1・3・1号有戸鳥井平一ノ渡線と位置付けられている。

これらと別に野辺地町都市計画道3・5・7号大月平一ノ渡線なる路線が今回のターゲット。
上の地図において、下北道の左側に並行するピンクの実線と点線が旧国道279号野辺地バイパスのルートに相当し、現在開通済みの区間は3・5・7号大月平一ノ渡線にあたる。
3・5・7号大月平一ノ渡線の供用済み区間は0.8kmしかないが、これがかつて下北を目指して建設された旧国道279号野辺地バイパスの一部に当たる。

下北道 野辺地ハーフ−野辺地をよく利用する方なら、むつ方面へ北上する際、左側に写真の未成橋脚が見えることにお気づきの方も多いかと思われる。
パッと見では将来4車線化する際に備えた橋脚のようにも見えるが、実は4車線化用地は右側(写真では手前側)にある。
この橋脚は当初計画では旧国道279号野辺地バイパスが通過する予定だったものである。
現在は野辺地町の都市計画道3・5・7号大月平一ノ渡線の予定線上にあるが、野辺地町でも建設に向けた事業を進めているとは聞かない。
この未成道である旧国道279号野辺地バイパスの建設について歴史を振り返りたい。
| 旧国道279号野辺地バイパス関連歴史年表 | |
| 1983(昭和58)年12月 | 馬場春雄野辺地町長が青森県総務企画委員会に「国道二七九号線野辺地バイパス」に関する議案付託。県議会昭和58年第156回定例会にて同議案付託受理。 「ルートについては更に検討することとするが、バイパス建設については了として採択と決定。」 |
| 1984(昭和59)年3月 | 青森県土木公営企業委員会にて野辺地バイパスの効率的ルートについて審査。 |
| 1985(昭和60)年4月 | 野辺地バイパス着工。延長六・三キロメートル、車道幅員六・五メートル。 |
| 1986(昭和61)年12月 | 青森県告示878号にて、野辺地バイパスに相当する区間が野辺地町都市計画道3・3・3号木明一ノ渡線として策定。延長6,500m、幅員27m。 |
| 1991(平成3)12月 | 野辺地バイパスが一部開通(上北郡野辺地町字野辺地九五の一から上北郡野辺地町字新田一〇の三まで)。延長0.8km。 |
| 1992(平成4)6月 | 北村正哉青森県知事が県議会にて、国の第十一次道路整備五カ年計画の中で下北道路を勝負しようとの構想を発表。 |
| 1995(平成7)年4月 | 下北道の一部となる有戸バイパスと野辺地バイパスが地域高規格道路整備区間に指定。 |
| 1997(平成9)年4月 | 一般道規格の野辺地バイパスにあたる区間が野辺地町都市計画道3・5・7号大月平一ノ渡線に変更。 |
| 2004(平成16)年11月 | 下北道 野辺地木明−野辺地ハーフが開通。 |
| 2005(平成17)年11月 | 下北道 野辺地ハーフ−野辺地が開通、地域高規格道路・野辺地バイパス全通。 |
| 2006(平成18)年3月 | この頃までに一般道規格の旧野辺地バイパスが国道279号の指定を外れる。 |
上の年表の通りだが、旧国道279号野辺地バイパスも地域高規格道路構想以前の横浜バイパスや大畑バイパスと同じように一般道規格で建設された国道279号のバイパスだったのである。
「野辺地バイパスは最初から高速道路規格で造っておけば良かった」とは後世の人間の短絡的な意見である。
前回の記事で書いた通り、四全総(1987年)策定前の青森県と国の折衝において下北への高速道路の要望は却下されており、代わりに定時性の高い道路なるものを整備することとした経緯があり、一般道規格での野辺地バイパス建設はやむを得ない流れだったのである。

ちなみに旧国道279号野辺地バイパスが国道指定解除となった時期については当ブログの調査不足で不明。
新規の国道指定については県の告示等に残っているのだが、解除は残っていないことが多い。バイパス解除後に主要地方道や一般県道に降格した場合などは県にその旨の記録が残るのだが、市町村道に降格となるとほとんど残っていない(県に直接訪問して聞けば教えてくれるのだろうけれど)。
市販の道路地図で照会すると下北道 野辺地ハーフ−野辺地の開通翌年の2006年には国道指定解除になっているようだが、公的機関への確認が出来ていないので不確定な情報である。
上の地図は青森県の県土整備部(発行元は北海道地図株式会社)による、平成20(2008)年現在の青森県道路管内図の一部であるが、下北道の左に並行する旧国道279号野辺地バイパスは白色の一般道になっており、2008年時点では降格していると判断するのは間違いなさそうだ。国土交通省の平成22(2010)年度の道路交通センサスにも、同区間の記載はない。
ともあれ定時性の高い道路を目指したということで、旧野辺地バイパスにも前述の橋脚以外にもそれなりの構造物があったようだ。
続いてみて行こう。
【旧野辺地バイパスの探索】
本来なら国道279号の起点・函館側からの方が体裁的には美しいのだと思うが、逆に終点の野辺地側から北上する形で探索した。
野辺地町と隣接する東北町家ノ前の国道4号から、旧南部縦貫鉄道廃線跡と青い森鉄道線のガードをくぐり、野辺地町道を走ると現地に到着する。
上の写真の日は快晴の日(天間林ドライブインで真夏の肉鍋の戦いを終えた直後)であったが、別日に同区間を往復した動画を撮影したので載せておく。
景観として受ける印象は、昭和後期から平成初期に開通した青森県管理の一般国道バイパスという風情で、同じ279号の横浜とか大畑より、101号の鯵ヶ沢バイパスにどことなく似ている感じがある。
定時性の高い道路の建設期の道路ということで、青森県道246号水喰野辺地線とは取付道路を介して立体交差する予定でガードも完工していた。
土木事務所(現在の県土整備事務所)の管轄こそ十和田とむつで違うが、下北方面では国道338号大湊バイパスも青森県道4号むつ恐山公園大畑線と取付道路を介して立体交差になっており、同じような時期に青森県で整備されたバイパスに共通する建設思想のように感じる。
続いて、未成部をみていこう。
【旧野辺地バイパス未成部の探索】
鳴子坂橋の標柱には、しっかりと「国道279号」という銘板が嵌め込まれていた。鳴子坂橋は平成2年12月に竣工したのだという。
野辺地町も鳴子坂に関する歴史の看板まで立てていて、これが一里塚とセットの史跡整備の一環だったにしても、現在ならここまでしないだろうと思う。バブル景気の残り香のようである。
未成部となる函館方も立入禁止バリケードの向こうに路盤が見えているが、こちらも藪と化している。それでも獣道のような踏み跡が一筋、奥へと延びており、犬の散歩などで地元民が通行しているようだった。
銘板は鳴子坂橋と同じく国道279号で、下北道ではなかった。
野辺地IC方は進行方向左、むつ方は進行方向右側──すなわち、供用済みの本線車道の東側に、将来の4車線化に備えた用地があるのが見える。むつ方に見えている橋梁は、県道246号と交差する跨道橋である。
前述の未成橋脚(旧野辺地バイパス用)は、本線の西側に位置するのである。残念ながら新鳴子坂橋からはそれが見通せない。
旧国道279号野辺地バイパスはこの橋脚で標高を稼ぎ、寺ノ沢の高台の住宅地の東側を経て、タラノ木方面を目指すルートであった。私はこの道を国道101号鰺ヶ沢バイパスに似ていると書いたが、未成橋脚や寺ノ沢の辺りは、舞戸の阿部野から小夜に上がる辺りの雰囲気とよく似ている。
(Ⓒ「山さ行がねが」ヨッキれん様)
あまりわるにゃんは長居せず、見るものを見たら早々に引き返すことに。
次は寺ノ沢を見に行く。
むつ(北)方面は野辺地ハーフI.Cを目指してストレートに入っていくところだが、進行方向右手の将来の4車線用地は明確に見えるが、左手側にあるはずの旧国道279号バイパス用地は明瞭に目視できない。
寺ノ沢付近から北は旧国道279号バイパス用地を下北道に転用したのかもしれない。
次はタラノ木を見に行く。

こちらの航空写真は、国土地理院によって1992年9月18日に撮影された野辺地町タラノ木の旧国道279号野辺地バイパスの工事現場を捉えたものである(1992-09-18航空写真、整理番号TO921X、コース番号 C10、写真番号8)。
1992年といえば下北道が地域高規格道路に指定される前の時期で、定時性の高い道路の整備が進められていた時期となる。旧国道279号野辺地バイパスと町道田挟沢タラノ木線との交差部は立体交差する形で工事が進められていたようだ。無論、現在は下北道に転用されているわけだが、これも現地を押さえておきたい。
野辺地町市街地側(西側)から接近すると、手前側に旧バイパス用地とフェンスがあるのが確認できた。
【野辺地町都市計画道3・5・7号大月平一ノ渡線の残区間は?】
以上のような形で旧国道279号野辺地バイパスを観察してきたわけだが、現在の都市計画上の路線名である3・5・7号大月平一ノ渡線について最後に触れておきたい。
起点の地名が3・3・3号木明一ノ渡線時代の「木明」から野辺地市街地寄りの「大月平」に変わったことで、北側のルートは変更されているはず。

十符ヶ浦海水浴場からむつ寄りの大月平から野辺地ハーフI.Cに向かう道路は3・5・7号大月平一ノ渡線の一部なのかなと想像したのだが、野辺地町役場は違うと言う。
3・5・7号大月平一ノ渡線は、昭和末期の定時性の高い道路整備を目指した時期に着工され、平成初期に地域高規格道路指定を受けて高速道路化する過程で生まれてしまった旧国道279号野辺地バイパスの供用済み区間のみ存在するということだ。
仮に野辺地がもっと規模の大きな都市で、下北道以外に一般道規格のバイパスも必要なほど交通がひっ迫していれば全通の可能性もあるのだろうが、今後延伸する可能性は極めて低いだろう。
ひょっとすると、近い将来、3・5・7号大月平一ノ渡線は計画自体が見直され、野辺地町の都市計画からも抹消される可能性もあるのかもしれない。
世が世なら、下北の幹線になっていたかもしれない未成道・旧国道279号野辺地バイパスの記事、おしまい。














































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