当ブログでは地デジの遠距離受信の可能性を探るにあたって地理院地図を活用しているわけだが、今回は地理院地図を使って大昔の海岸線の様子を再現できないかというお話。

 わが青森県がほこる縄文遺跡・三内丸山遺跡は、縄文時代には遺跡のすぐそばまで海が広がっていたとされる。
 三内丸山遺跡は現在の海岸線からは約4kmの距離があり、徒歩で1時間はかかるだろう。
 車が無い縄文時代で海まで4kmは結構遠いものと思われる。

 実は同じようなシミュレーションを先行して行った研究があり、札幌医科大学の医療人育成センタ一紀要第7号に掲載の高田純(2016)「三内丸山縄文村に近接する6000年前の海岸線の形」(→リンク)ではGoogle earthを用いて縄文時代の三内丸山遺跡周辺の海岸線のシミュレーションを行っている。
 これを地理院地図の「自分で作る色別標高図」機能を用いてシミュレーションしようというのが今回の記事である。
◆色別標高図の使い方

 検索エンジンで「地理院地図」を検索してアクセスしたら、以下の手順で設定できる。

snnimrym01 (2)
【画像はクリックで拡大します】
 地理院地図にアクセスし、画面左上の地図のマークをクリック。
snnimrym02 (2)
【画像はクリックで拡大します】
 画面左に出てくる標高・土地の凸凹をクリック。
snnimrym03 (2)
【画像はクリックで拡大します】
 自分で作る色別標高図をクリック。
snnimrym04 (2)
【画像はクリックで拡大します】
 自動的に色別標高の設定画面が出てくるので、ゴミ箱マークをクリックする。
 ゴミ箱マークが無くなるまで、全てのゴミ箱マークをクリックして消す。
snnimrym05 (2)
【画像はクリックで拡大します】
 色別標高の一番下の、色のついたマスをクリックする。
snnimrym06 (2)
【画像はクリックで拡大します】
 色の設定画面が出てくるので、[透明]のボタンをクリックする。
 同じ操作を真ん中の色のついたマスでも行い、3つある色付きマスの下2つを[透明]状態にする。
snnimrym07 (2)
【画像はクリックで拡大します】
 一番上の色のついたマスをクリックし、色の設定を行う。
 Rに190、Gに210、Bに255と打ち込む。
snnimrym08 (2)
【画像はクリックで拡大します】
 [上記の内容で地図に反映]をクリックする。
snnimrym09 (2)
【画像はクリックで拡大します】
 一番上の水色のマスの標高の値を設定する。
 ここでは三内丸山遺跡の汀線を探る設定で[6]と入力する。

 上の表でも書いたが、もっとも低い高さの色を地理院地図で海や河川、湖沼と同じ水色にしてしまうのである。
 水色のカラーコードは#bed2ff(R=190、G=210、B=255)である。

 札幌医科大の高田純(2016)を参考に、海面は今より6m高かったと想定して、6m以下の土地を水色にして見てみよう。

◆さっそく三内丸山をみてみる
aomori-6m
【画像はクリック・タップで拡大します】

 三内丸山遺跡の北側の、現在は沖館川が流れている付近が入り江となって地図に現れた。
 湾奥にあって、いかにも波が穏やかそうなすげー良い入り江で、魚とかエビとか貝とかいっぱい採れそう。
 入り江には沖館川も流れ込むので、少しさかのぼれば真水を手に入れることもできただろう。
 三内丸山は確かに縄文人が過ごしやすそうな場所である。

 海面標高の低下だけでなく、自然による土地の隆起や堆積、人為的な盛り土などの土地改変もあるので、これが正確に縄文時代の青森市の海岸線を表現できているとは思わないが、おおむね三内丸山遺跡と海の関係性を想像しやすい地図にはなったのではないだろうか。

 余談ながら、新青森駅北方の盛岡新幹線車両センター青森派出、海面が6m上がっても敷地の形そのまま島のようになっており、水没しないのが見てわかる。
 青森市は最大津波が5〜6mだとされているので、海に近い新幹線車両センターの盛り土は効果があるだろう。
◆ついでに近隣の各地をみてみる

 せっかくなので青森県周辺の気になる場所で6m以下の土地を水色にして見てみる。
 海面を今より6m上げて各地を見てみよう。

oldjusan-6m
【画像はクリック・タップで拡大します】

 まずは津軽平野方面。十三湖がバカでかい。
 森田や木造方面まで十三湖に沈み、稲垣はすっぽりと水の中である。
 当ブログでかつて紹介した内潟もこの範囲に含まれる。
 一方で屏風山の方は陸地として存在し、亀ヶ岡遺跡は汀線付近にあるのがわかる。
 亀ヶ岡遺跡に住んでいた人々も、目の前の海で魚介類を採るのに便利だったのだろう。亀ヶ岡には田小屋野貝塚もあるくらいなので、貝はたくさん採れたのだろう。


hachinohe-6m
【画像はクリック・タップで拡大します】

 遺跡との関係が面白くて八戸も見てみる。
 是川遺跡のある是川も今では結構海から離れている感じがあるが、海面が6m高ければ是川の方まで入り江がある。合掌土偶が出た風張遺跡は新井田川右岸(対岸)側にあり、風張ならさらに海に出やすかったかもしれない。
 是川も風張も入り江というよりは新井田川の下流部だったかもしれないが、それにしても類家の辺りまで出れば間違いなく海という感じだ。
 いずれにせよ、是川も舟を使えばすぐに類家の海に出て、三内丸山と同じように遠方との交易もしやすい位置だったと思われる。


ogawara-6m
【画像はクリック・タップで拡大します】

 八戸から北上して、青森県最大の汽水湖・小川原湖周辺。
 海面が6m高ければ、かなり内陸部まで海が入り込んでいたのだろう。上北町も海の中にあったらしい。
 三沢の仏沼も往時は海に沈んでいたであろう位置にあるが、その南側の砂丘地帯は陸地として健在である。
 当ブログでかつて紹介した金糞平もこの範囲に含まれるが、小川原湖東側の砂丘地帯は砂鉄を豊富に含み、後に国策で砂鉄から製鉄することを目的に日本砂鉄鋼業など製鉄業が進出した土地である。


hakodate-6m
【画像はクリック・タップで拡大します】

 続いてお隣の北海道・函館をみておく。
 北海道新幹線開業前、津軽海峡沿岸を行く津軽海峡線(江差線)で木古内を過ぎて少し経つ頃、車窓に函館山が見えてくるのだが、今でも離れた場所から見ると島のような存在である。
 陸繋島として分類される函館山だが、海面を6mも上げれば島であった頃の函館山の姿がみえてくる。
 東麓の谷地頭が海の中にあるというのも興味深い。函館の谷地頭が宅地・温泉地として開発されるのは明治10年代以降だというが、まさに低湿地を表す「ヤチ(=萢、谷地)」というべき場所だったのだろう。

〽火柱のはためく峰も 年古りて緑の臥牛
宇賀の浦 風の砂山 波よせてくずれ流るる
見よや物なべてうつろふ窮みなし流転の相

 上記は函館中部高校の校歌の一番の歌詞であるが、元は火山で谷地頭に温泉も湧く函館山(=臥牛山)が、砂州を成して繋がって行った函館の歴史を見事に表しているように思える。
 道立進学校は良い校歌のところが多いと感じるが、函館中部は旭川東や釧路湖陵、北見北斗とともに私が好きな四大校歌の一つである。


kushiro-6m
【画像はクリック・タップで拡大します】

 函館に続いて北海道・釧路を。
 実際のところ、縄文海進のころの海水面の上昇は3mとかなので、三内丸山の辺りも完全に海というよりは遠浅の海ないしは湿原みたいな感じだったらしいのだが、縄文時代の小舟なら浅瀬や湿原程度でもプカプカと進むことはできただろう。
 湿原といえば釧路である。
 地理院地図では湿原はエメラルドグリーンになってしまうので標高6m以下を水色に塗りつぶすと見づらいが、海面を6m上げると釧路湿原のかなりの範囲は水に沈むようだ。


miyajimamisaki-6m
【画像はクリック・タップで拡大します】

 せっかくなので釧路湿原の縮尺を拡大して宮島岬を。
 拡大すると地理院地図の湿原のエメラルドグリーン塗色が取れ、ご覧の通り湿原一面が水色と化す。近隣のキラコタン岬だと湿原の標高も10mくらいあるせいか、海面を6m上げた程度ではこのような配色にはならないが、宮島岬はハッキリと岬になる。
 海面が6m高ければ、宮島岬は完全に岬という地形ではないか。


hachirogata-6m
【画像はクリック・タップで拡大します】

 北の方に続いて南のお隣、秋田県もみておく。
 秋田県で面白そうなのはやはり男鹿半島。
 寒風山など男鹿半島の西部はもともと日本海に浮かぶ島であったが、雄物川と米代川という秋田が誇る大河が運んだ土砂堆積で南北から砂州が伸びていき、やがて本州と繋がったものである。
 南北から伸びてきた砂州と砂州に挟まれた海が八郎潟になり、その後昭和の干拓を経て現在に至る。

 もしも海面が6m上昇した場合、雄物川の作用で発達した南側の砂州は水没する。大潟村は水没し、原始の八郎潟の姿に戻ることになる。
 一方で、北側の砂州は水没せず能代方面の本州と繋がったままとなるようだ。
 青森の岩崎沢辺に秋田テレビの受信をもたらす山岳回折の回折点も北側の砂州にあり、標高40m程度あるので水没は免れる。ただ、現在でも回折点(能代と三種の境界付近)から岩崎沢辺の約52kmの海上伝搬の見通しはギリギリなのだ。海面が6m上昇したら回折点から岩崎沢辺までの海上伝搬は日本海の水平線に阻まれ見通し外=受信不可能となる。
 我々のような遠距離受信愛好家は地球温暖化による海面上昇に気を配らねばならないのである。
◆象潟をみて締める

 今まで扱ってきた縄文海進の海面変動と関係ないが、八郎潟を見ていたらやっぱり象潟が気になってしまった。
 1804(文化元)年の地震で隆起して陸地化してしまったが、「奥の細道」の松尾芭蕉に多島海の松島(宮城県)と対比されたように、元の象潟も潟に小さな島が多数浮かぶ景勝の地であった。
 象潟の隆起は約2mだというので、地理院地図で水色の領域を2m以下として色別標高図をつくってみる。

kisakata-2m
【画像はクリック・タップで拡大します】

 象潟に島が浮かんだわ。

 羽越本線で象潟付近を通過するとき車窓から眺めても「これが島だったんだろうなあ」くらいには思っていたのだが、色別標高図で水色に塗ってみると往年の象潟の姿も想像しやすくなった気がする。

 今回は青森県周辺の面白そうなところを取り上げてみたが、ほかにもサロベツ原野とか関東平野とか新潟とか島根半島とか面白そうな低地はたくさんある。
 お試しを。

blog_rankingクリックでブログランキングに投票!