半年ほど前に公開した記事「北海道の電電公社民放マイクロ回線網図(1964年)」で、札幌テレビ放送(STV)の網走送信所への道内ネット回線は1964(昭和39)年6月15日の開局当初、釧路送信所のVHF7chを網走郡東藻琴村(現大空町)で直径二十メートルの回折リングアンテナを使用して受信し、FPUで中継したという「札幌テレビ放送二十年史」の記録を紹介した。
その際、当ブログは釧路波の受信点について「藻琴山西北西の藻琴山ミズナラ希少個体群保護林や山園開拓パイロット牧場南側などのように思う」と予想したのだが、さんざん山岳回折で遠距離受信をネタにしている当ブログが山岳回折のシミュレーションをしないのも怠慢だよなと考え、藻琴山(999.9m)の回折シミュレーションを実施することにした。
と書けば自発的に怠慢を反省しやり直したという風になるが、実のところは回折リングアンテナについての興味深い資料を発見したからである。
【回折リングアンテナ(古河電気工業(1965)「古河電工時報第39号」より転載)】
上図は古河電気工業が1965(昭和40)年に発行した「古河電工時報第39号」に掲載されている、「回折リングアンテナ」の記事より引用・転載したもの。執筆者は同社特品事業部横浜工場の湯川澄氏である。
「札幌テレビ放送二十年史」の451頁にも「直径二十メートルの回折リングアンテナを使用した」という記録がある通りだが、古河電工の回折リングアンテナも型式によって15.7m、23.3m、27.5mという直径だったという。
郵政省の2次チャンネルプラン修正で全国各地にテレビの中継局が置局される情勢となったのを受け、古河電工が「親局からの電波をよりよくキャッチするということがサテライト局の生命」として、「最も経済的な高利得アンテナの一種」として実用化したものが回折リングアンテナだという。そして実用化実験を1964(昭和39)年1月〜7月にかけ、全国8区間で実施されたと記録されている。
興味深いのは、古河電工が実用化試験を実施した8区間中7区間が山岳回折によるものであり、その中に釧路−網走も含まれていたことである。
【釧路−網走実験区間(古河電気工業(1965)「古河電工時報第39号」より転載)】
古河電工は山岳回折での中継を主眼に回折リングアンテナを開発したのだろう。1964(昭和39)年といえば、電電公社が南西諸島の島々の山岳回折を利用したOH方式の日琉マイクロ回線を那覇まで完成させた年であり、無線業界として山岳回折に熱視線を送っていたのかもしれない。
「古河電工時報第39号」の釧路−網走間の地形断面図をみると、古河電工は釧路と網走を山岳回折で直結する実験を行ったようだが、「札幌テレビ放送二十年史」にある通り、STVは東藻琴に受信点を設けて網走にFPU(放送事業用無線局)で中継したのであり、この地形断面図は釧路−東藻琴のものとは異なるものである。つまり、STVが実用化に向け工事着手していた時期と、古河電工の実用化実験は別個ながら同時期ということになる。
こうなるとSTVアナログ釧路局の山岳回折シミュレーション図を作りたくなるよね。
【釧路局 藻琴山山岳回折シミュレーション図】
STVアナログ釧路送信所からみて藻琴山は355.7°の方角にある。
別に確たる根拠はないが、当ブログは山岳回折のシミュレーション時にはERP=0.3Wで行ったとき比較的信頼できるデータができるかなという経験則があるので、今回もERPは0.3WとしてRadio mobileを用い、藻琴山を1000mの送信所とみなして355.7°方向に送信するシミュレーションを行った。
どうやら藻琴山の山岳回折波は網走市の鱒浦駅東側の辺りでオホーツク海に出るようだが、この伝搬路内にSTVの東藻琴中継点があったと仮定して、あとは昔の航空写真とにらめっこのスタートである。
直径20mもあった回折リングアンテナなら、航空写真でも見れるだろうと踏んだのである。
【東藻琴中継点推定地(地図・空中写真閲覧サービスより転載)】
国土地理院によって1965(昭和40)年8月17日に撮影された東藻琴村の航空写真(整理番号 MHO651X、コース番号 C6、写真番号 22)にそれらしきものが見つかった。
位置は、東藻琴中心部から国道334号を東進し、東藻琴新富地区に差し掛かる丘陵地帯の南向き斜面である。北側が急崖になっているので、南方向から飛来する釧路波を捉えるには条件がよさそうな地形である。
過去の地形図や空中写真、昭文社のMAPPLE法務局地図ビューアなどを参照すると、回折リングアンテナの推定地点は国道334号の線形改良で現在は道路敷になってしまっているらしいが、網走へ中継したFPU送信地点なのか無線局敷地跡っぽい凸状の形の区画が丘陵の上にある(三角点の区画かもしれないが……)。
縮尺について、現在のAコープ東藻琴店と東藻琴郵便局のある位置の区画は当時と今で変わっておらず、ここを基準に考えれば東藻琴中継点の推定地点の広さもだいたい横幅30〜40m程度と予想できそう。直径20mの回折リングアンテナを置くのにも充分なスペースだろう。
【東藻琴中継点推定地のRadio mobileシミュレーション図】
実際にRadio mobileで作成した藻琴山山岳回折のシミュレーション図でみると上図の位置で、見事に伝搬路ストライクゾーンど真ん中にある。40dBμV/m以上の受信電界強度はありそうである。
伝搬路に沿って北側(網走方)をみると、新富地区から大進地区に入るが、ほかに回折リングアンテナっぽいものは見えない。大進地区の北は程なくして旧東藻琴村から網走市に入るので、南(釧路方)に転じて新富地区や旭台地区を見ても回折リングアンテナっぽいものは見つけられなかった。
根拠は無いし、間違っている可能性もあるが、伝搬路上にSTVの回折リングアンテナがあったなら、東藻琴新富地区の国道334号沿いかなと思う。なんでや阪神関係ないやろ。
釧路−東藻琴、東藻琴−網走(天都山)の伝搬路地形断面図も確認しておこう。丘陵上のFPU推定地点から天都山にある網走局への見通しも問題ない。
こうしてみると、藻琴山はいかにも山岳回折に適している山という地形である。いかんせん道東は遠すぎるので現地調査に行けないが、大空町東藻琴大進地区や新富地区、旭台地区などでは釧路波が受信できるだろうと思う。といっても同じ道内なので、釧路波を受信しても通常見れない系列の民放チャンネルが増えることも無いし、NHK釧路で道東(帯広発の十勝・根釧)ローカルを楽しむくらいしか得られるものはない。
強いて言えば、道東で最初にテレビ北海道(TVh)が放送を開始したのが釧路局(2011年8月)なので、網走局開局までのわずか2ヵ月とはいえ、東藻琴大進地区や新富地区、旭台地区では釧路局のTVhを山岳回折の遠距離受信で先取りできた可能性はある。
【網走地区では2011年10月に放送開始したTVh】
東藻琴村史編集委員会が1972(昭和47)年に発行した「東藻琴村史」によれば、東藻琴村で最初にテレビを設置したのは東藻琴村南区の高橋市良氏という人物で、1957(昭和32)年7月だという。NHK北見のテレビ開局前であり、受信できたのは北海道放送(HBC)だけだったという。無論、1957(昭和32)年7月といえばHBCも網走局開局前で、札幌手稲山の親局が開局し3か月という時期である。
HBCが社史「北海道放送二十年」で記した象徴的なフレーズである「第1チャンネルの威力」というものであろう。とにもかくにも、東京以北で最初の民放テレビHBCの開局直後から東藻琴に視聴者がいたというのは驚くべきことである。
この高橋氏のエピソードを知ると、ひょっとしたら東藻琴にはTVhを釧路から最初に受信したという人物がいるかもしれないと思いたくもなる。
【HBC札幌親局−東藻琴小学校地形断面図】
ちなみに東藻琴村南区とは、今の東藻琴小学校の付近だったらしいので、手稲山から東藻琴小学校の地形断面図をとってみると上図のとおり。距離は265kmにも及ぶが、オプタテシケ山と石狩岳の辺りで2回の回折で伝搬していたらしい。地デジの遠距離受信ではワンセグでも到底無理だろう。電電公社のOH方式のマイクロ回線でも山岳回折が2回以上という区間は無い。白黒のアナログテレビで、HBC札幌局がVHF1chだからこそ視聴可能だったのだろう。
そして、やはり受け手側──東藻琴の受信者(高橋氏)の熱意にも触れないわけにはいくまい。
郵政省電波監理局が1962(昭和37)年に発行した「電波時報 1962年4月号」で、石田正・北海道電波監理局長は「北海道電波あれこれ」と題した寄稿で「北海道開発に従事される人々は、寒冷積雪の地で原始林に斧を振い、草原火山灰地に鍬を打ち込んでおられる。熊と闘うこともあろう。病苦の床に臥すこともあろう。こうい人々に娯楽を送り、文化を届けるのは電波に勝るものはない」と指摘し、中標津局開局式に参上した際に中標津町民が電波に対し非常に深い関心を抱き、テレビ開局を大いに喜ぶ模様に感激したと綴っている。東藻琴の人々も、中標津の人々と同じようにテレビ電波に非常に大きな関心を持っていたのであろう。
【STV東藻琴回折リングアンテナ推定地 拡大】
話が横道にそれたが、今回のテーマはSTVの回折リングアンテナの位置の推定である。STVも網走にリレーする釧路局の電波をどこで取るかという、受信位置の検討に熱意を懸けていたに違いない。
根底にあったのは「札幌テレビ放送二十年史」にも記載があるHBCに「追いつけ追いこせ」という初期のSTVの掲げた目標であり、そしていかに電電公社に頼らず自社で回線を実現できるかという研究課題だったのだろう。
電電公社に頼らないで回線を実現しようという試みは、山陽放送(RSK)の大阪波受信実験(出典：「民間放送十年史548〜549頁」)や、山口放送(KRY)の徳山−大平山−関門局の自社回線設置(出典：「山口放送三十年史80〜82頁」)などSTVに限らず全国の民放に共通していた検討課題らしい。
そして、古河電工が開発した回折リングアンテナは、「電電公社に頼らない」を実現したい民放に応え、需要がありそうな区間をターゲットにしたものだったのかもしれない。
【旭川−名寄実験区間(古河電気工業(1965)「古河電工時報第39号」より転載)】
実は古河電工が実験を行った8区間の中には、北海道からもう一つ、旭川−名寄間も含まれている。
北海道電気通信局(1964)「北海道の電信電話史」によれば、旭川から稚内に至る電電公社マイクロ回線の旭稚線は1962(昭和37)年6月1日に開通し、6月4日にNHK名寄テレビジョン、10月20日にNHK稚内テレビジョンが開局したとされているが、名寄や稚内へのマイクロ回線を道内民放は利用したことが無い。
1965年に東京放送(TBS)が発行した「東京放送のあゆみ」に記載がある、電電公社TRC統制課が作成した「全国テレビジョンネットワーク系統図」(1964年8月末日現在)にも稚内方面への民放回線は存在しないし、日本電信電話公社二十五年史編集委員会(1978)「日本電信電話公社二十五年史 別巻」のテレビ回線の資料にも民放の稚内方面の回線は存在しない。
【電電公社マイクロ回線旭稚線(1964年)】
北海道の民放は歴史上、旭川から稚内まで電電公社マイクロ回線旭稚線を利用した記録が無いのである。
電電公社マイクロ回線を使わずに道北へのエリア拡大をSTVが模索する中で、それを実現したのも回折リングアンテナであるらしい。「札幌テレビ放送二十年史」によれば、STV名寄局は1964(昭和39)年10月9日に開局したが、この際も名寄では「旭川からの受信電界が十分に得られないことから、これをカバーするため」に回折リングアンテナを使用したという。結果、NHK旭川には及ばなかったが、HBCより2ヵ月早くSTVは名寄進出を果たしたのである。
STVがめざした、HBCに「追いつけ追いこせ」と電電公社に頼らず回線開通を両立するための技術──それが、東藻琴と名寄に置かれた回折リングアンテナだったのだろう。古河電工の実用化実験の期間と、STVが網走や名寄にエリア拡大した時期を考えると、STVが古河電工の実験を受けて採用したのかどうかは微妙なところで、他メーカー製の採用だった可能性もある。
しかし古河電工としては、民放側に電電公社マイクロ回線を使わずにエリア拡大をしたいニーズが存在することを商機と捉え、釧路−網走や旭川−名寄など有力候補を8区間を選んで実用化実験の結果を公表したのだろう。
今から60年前、電波を運用する電電公社にも民放にも、アンテナメーカーや受信する視聴者側にも、今では信じられないほど山岳回折に熱視線が送られた時期があったのである。
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その際、当ブログは釧路波の受信点について「藻琴山西北西の藻琴山ミズナラ希少個体群保護林や山園開拓パイロット牧場南側などのように思う」と予想したのだが、さんざん山岳回折で遠距離受信をネタにしている当ブログが山岳回折のシミュレーションをしないのも怠慢だよなと考え、藻琴山(999.9m)の回折シミュレーションを実施することにした。
と書けば自発的に怠慢を反省しやり直したという風になるが、実のところは回折リングアンテナについての興味深い資料を発見したからである。
上図は古河電気工業が1965(昭和40)年に発行した「古河電工時報第39号」に掲載されている、「回折リングアンテナ」の記事より引用・転載したもの。執筆者は同社特品事業部横浜工場の湯川澄氏である。
「札幌テレビ放送二十年史」の451頁にも「直径二十メートルの回折リングアンテナを使用した」という記録がある通りだが、古河電工の回折リングアンテナも型式によって15.7m、23.3m、27.5mという直径だったという。
郵政省の2次チャンネルプラン修正で全国各地にテレビの中継局が置局される情勢となったのを受け、古河電工が「親局からの電波をよりよくキャッチするということがサテライト局の生命」として、「最も経済的な高利得アンテナの一種」として実用化したものが回折リングアンテナだという。そして実用化実験を1964(昭和39)年1月〜7月にかけ、全国8区間で実施されたと記録されている。
興味深いのは、古河電工が実用化試験を実施した8区間中7区間が山岳回折によるものであり、その中に釧路−網走も含まれていたことである。
古河電工は山岳回折での中継を主眼に回折リングアンテナを開発したのだろう。1964(昭和39)年といえば、電電公社が南西諸島の島々の山岳回折を利用したOH方式の日琉マイクロ回線を那覇まで完成させた年であり、無線業界として山岳回折に熱視線を送っていたのかもしれない。
「古河電工時報第39号」の釧路−網走間の地形断面図をみると、古河電工は釧路と網走を山岳回折で直結する実験を行ったようだが、「札幌テレビ放送二十年史」にある通り、STVは東藻琴に受信点を設けて網走にFPU(放送事業用無線局)で中継したのであり、この地形断面図は釧路−東藻琴のものとは異なるものである。つまり、STVが実用化に向け工事着手していた時期と、古河電工の実用化実験は別個ながら同時期ということになる。
こうなるとSTVアナログ釧路局の山岳回折シミュレーション図を作りたくなるよね。
STVアナログ釧路送信所からみて藻琴山は355.7°の方角にある。
別に確たる根拠はないが、当ブログは山岳回折のシミュレーション時にはERP=0.3Wで行ったとき比較的信頼できるデータができるかなという経験則があるので、今回もERPは0.3WとしてRadio mobileを用い、藻琴山を1000mの送信所とみなして355.7°方向に送信するシミュレーションを行った。
どうやら藻琴山の山岳回折波は網走市の鱒浦駅東側の辺りでオホーツク海に出るようだが、この伝搬路内にSTVの東藻琴中継点があったと仮定して、あとは昔の航空写真とにらめっこのスタートである。
直径20mもあった回折リングアンテナなら、航空写真でも見れるだろうと踏んだのである。
国土地理院によって1965(昭和40)年8月17日に撮影された東藻琴村の航空写真(整理番号 MHO651X、コース番号 C6、写真番号 22)にそれらしきものが見つかった。
位置は、東藻琴中心部から国道334号を東進し、東藻琴新富地区に差し掛かる丘陵地帯の南向き斜面である。北側が急崖になっているので、南方向から飛来する釧路波を捉えるには条件がよさそうな地形である。
過去の地形図や空中写真、昭文社のMAPPLE法務局地図ビューアなどを参照すると、回折リングアンテナの推定地点は国道334号の線形改良で現在は道路敷になってしまっているらしいが、網走へ中継したFPU送信地点なのか無線局敷地跡っぽい凸状の形の区画が丘陵の上にある(三角点の区画かもしれないが……)。
縮尺について、現在のAコープ東藻琴店と東藻琴郵便局のある位置の区画は当時と今で変わっておらず、ここを基準に考えれば東藻琴中継点の推定地点の広さもだいたい横幅30〜40m程度と予想できそう。直径20mの回折リングアンテナを置くのにも充分なスペースだろう。
実際にRadio mobileで作成した藻琴山山岳回折のシミュレーション図でみると上図の位置で、見事に伝搬路ストライクゾーンど真ん中にある。40dBμV/m以上の受信電界強度はありそうである。
伝搬路に沿って北側(網走方)をみると、新富地区から大進地区に入るが、ほかに回折リングアンテナっぽいものは見えない。大進地区の北は程なくして旧東藻琴村から網走市に入るので、南(釧路方)に転じて新富地区や旭台地区を見ても回折リングアンテナっぽいものは見つけられなかった。
根拠は無いし、間違っている可能性もあるが、伝搬路上にSTVの回折リングアンテナがあったなら、東藻琴新富地区の国道334号沿いかなと思う。
| 釧路−東藻琴−網走 推定地形断面図 | |
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| 釧路−東藻琴 | 東藻琴−網走 |
釧路−東藻琴、東藻琴−網走(天都山)の伝搬路地形断面図も確認しておこう。丘陵上のFPU推定地点から天都山にある網走局への見通しも問題ない。
こうしてみると、藻琴山はいかにも山岳回折に適している山という地形である。いかんせん道東は遠すぎるので現地調査に行けないが、大空町東藻琴大進地区や新富地区、旭台地区などでは釧路波が受信できるだろうと思う。といっても同じ道内なので、釧路波を受信しても通常見れない系列の民放チャンネルが増えることも無いし、NHK釧路で道東(帯広発の十勝・根釧)ローカルを楽しむくらいしか得られるものはない。
強いて言えば、道東で最初にテレビ北海道(TVh)が放送を開始したのが釧路局(2011年8月)なので、網走局開局までのわずか2ヵ月とはいえ、東藻琴大進地区や新富地区、旭台地区では釧路局のTVhを山岳回折の遠距離受信で先取りできた可能性はある。
東藻琴村史編集委員会が1972(昭和47)年に発行した「東藻琴村史」によれば、東藻琴村で最初にテレビを設置したのは東藻琴村南区の高橋市良氏という人物で、1957(昭和32)年7月だという。NHK北見のテレビ開局前であり、受信できたのは北海道放送(HBC)だけだったという。無論、1957(昭和32)年7月といえばHBCも網走局開局前で、札幌手稲山の親局が開局し3か月という時期である。
HBCが社史「北海道放送二十年」で記した象徴的なフレーズである「第1チャンネルの威力」というものであろう。とにもかくにも、東京以北で最初の民放テレビHBCの開局直後から東藻琴に視聴者がいたというのは驚くべきことである。
この高橋氏のエピソードを知ると、ひょっとしたら東藻琴にはTVhを釧路から最初に受信したという人物がいるかもしれないと思いたくもなる。
ちなみに東藻琴村南区とは、今の東藻琴小学校の付近だったらしいので、手稲山から東藻琴小学校の地形断面図をとってみると上図のとおり。距離は265kmにも及ぶが、オプタテシケ山と石狩岳の辺りで2回の回折で伝搬していたらしい。地デジの遠距離受信ではワンセグでも到底無理だろう。電電公社のOH方式のマイクロ回線でも山岳回折が2回以上という区間は無い。白黒のアナログテレビで、HBC札幌局がVHF1chだからこそ視聴可能だったのだろう。
そして、やはり受け手側──東藻琴の受信者(高橋氏)の熱意にも触れないわけにはいくまい。
郵政省電波監理局が1962(昭和37)年に発行した「電波時報 1962年4月号」で、石田正・北海道電波監理局長は「北海道電波あれこれ」と題した寄稿で「北海道開発に従事される人々は、寒冷積雪の地で原始林に斧を振い、草原火山灰地に鍬を打ち込んでおられる。熊と闘うこともあろう。病苦の床に臥すこともあろう。こうい人々に娯楽を送り、文化を届けるのは電波に勝るものはない」と指摘し、中標津局開局式に参上した際に中標津町民が電波に対し非常に深い関心を抱き、テレビ開局を大いに喜ぶ模様に感激したと綴っている。東藻琴の人々も、中標津の人々と同じようにテレビ電波に非常に大きな関心を持っていたのであろう。
話が横道にそれたが、今回のテーマはSTVの回折リングアンテナの位置の推定である。STVも網走にリレーする釧路局の電波をどこで取るかという、受信位置の検討に熱意を懸けていたに違いない。
根底にあったのは「札幌テレビ放送二十年史」にも記載があるHBCに「追いつけ追いこせ」という初期のSTVの掲げた目標であり、そしていかに電電公社に頼らず自社で回線を実現できるかという研究課題だったのだろう。
電電公社に頼らないで回線を実現しようという試みは、山陽放送(RSK)の大阪波受信実験(出典：「民間放送十年史548〜549頁」)や、山口放送(KRY)の徳山−大平山−関門局の自社回線設置(出典：「山口放送三十年史80〜82頁」)などSTVに限らず全国の民放に共通していた検討課題らしい。
そして、古河電工が開発した回折リングアンテナは、「電電公社に頼らない」を実現したい民放に応え、需要がありそうな区間をターゲットにしたものだったのかもしれない。
実は古河電工が実験を行った8区間の中には、北海道からもう一つ、旭川−名寄間も含まれている。
北海道電気通信局(1964)「北海道の電信電話史」によれば、旭川から稚内に至る電電公社マイクロ回線の旭稚線は1962(昭和37)年6月1日に開通し、6月4日にNHK名寄テレビジョン、10月20日にNHK稚内テレビジョンが開局したとされているが、名寄や稚内へのマイクロ回線を道内民放は利用したことが無い。
1965年に東京放送(TBS)が発行した「東京放送のあゆみ」に記載がある、電電公社TRC統制課が作成した「全国テレビジョンネットワーク系統図」(1964年8月末日現在)にも稚内方面への民放回線は存在しないし、日本電信電話公社二十五年史編集委員会(1978)「日本電信電話公社二十五年史 別巻」のテレビ回線の資料にも民放の稚内方面の回線は存在しない。
北海道の民放は歴史上、旭川から稚内まで電電公社マイクロ回線旭稚線を利用した記録が無いのである。
電電公社マイクロ回線を使わずに道北へのエリア拡大をSTVが模索する中で、それを実現したのも回折リングアンテナであるらしい。「札幌テレビ放送二十年史」によれば、STV名寄局は1964(昭和39)年10月9日に開局したが、この際も名寄では「旭川からの受信電界が十分に得られないことから、これをカバーするため」に回折リングアンテナを使用したという。結果、NHK旭川には及ばなかったが、HBCより2ヵ月早くSTVは名寄進出を果たしたのである。
STVがめざした、HBCに「追いつけ追いこせ」と電電公社に頼らず回線開通を両立するための技術──それが、東藻琴と名寄に置かれた回折リングアンテナだったのだろう。古河電工の実用化実験の期間と、STVが網走や名寄にエリア拡大した時期を考えると、STVが古河電工の実験を受けて採用したのかどうかは微妙なところで、他メーカー製の採用だった可能性もある。
しかし古河電工としては、民放側に電電公社マイクロ回線を使わずにエリア拡大をしたいニーズが存在することを商機と捉え、釧路−網走や旭川−名寄など有力候補を8区間を選んで実用化実験の結果を公表したのだろう。
今から60年前、電波を運用する電電公社にも民放にも、アンテナメーカーや受信する視聴者側にも、今では信じられないほど山岳回折に熱視線が送られた時期があったのである。
◆引用文献・参考文献・ウェブサイト
・札幌テレビ放送社史編纂委員会編(1978)「札幌テレビ放送二十年史」
・東京放送社史編集室(1965)「東京放送のあゆみ」
・日本電信電話公社二十五年史編集委員会(1978)「日本電信電話公社二十五年史 別巻」
・日本電信電話公社北海道電気通信局(1964)「北海道の電信電話史」
・日本民間放送連盟(1961)「民間放送十年史」
・日本民間放送連盟(1966)「日本放送年鑑 1966(昭41)年版」
・東藻琴村史編集委員会(1972)「東藻琴村史」
・古河電気工業(1965)「古河電工時報第39号」「回折リングアンテナ」湯川澄
・北海道放送社史編纂室・編(1972)「北海道放送二十年」
・郵政省電波監理局(1962)「電波時報 1962年4月号」「北海道電波あれこれ」石田正
・札幌テレビ放送社史編纂委員会編(1978)「札幌テレビ放送二十年史」
・東京放送社史編集室(1965)「東京放送のあゆみ」
・日本電信電話公社二十五年史編集委員会(1978)「日本電信電話公社二十五年史 別巻」
・日本電信電話公社北海道電気通信局(1964)「北海道の電信電話史」
・日本民間放送連盟(1961)「民間放送十年史」
・日本民間放送連盟(1966)「日本放送年鑑 1966(昭41)年版」
・東藻琴村史編集委員会(1972)「東藻琴村史」
・古河電気工業(1965)「古河電工時報第39号」「回折リングアンテナ」湯川澄
・北海道放送社史編纂室・編(1972)「北海道放送二十年」
・郵政省電波監理局(1962)「電波時報 1962年4月号」「北海道電波あれこれ」石田正
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