■岩手民放TV4社中3社が支社を置いた八戸
北海道の放送局の青森県での足跡を追う回シリーズとして、これまで「HBCの青森県での足跡を追う回」と、「STVの青森県での足跡を追う回」、「HTBの青森県での足跡を追う回(追悼:田名部匡省)」を取り上げ、番外編的に青森市の姉妹都市・函館を舞台に「TVhの函館開局を追う回」を記事化してきた。
青森県内に支社・支局の類を置いたことが確認できる青森県外の民間テレビ放送事業者として、北海道放送(HBC)と札幌テレビ放送(STV)、フジテレビジョン(CX)が挙げられるが、置局された都市は県都・青森。第三都市・弘前に支社・支局を置いた県外民放はないが、第二都市・八戸には岩手朝日テレビ(IAT)を除く岩手民放TV3社が支社・支局を置いた歴史がある。
放送事業者に限らず、岩手という限られた県域を主な商圏とする他業種でも八戸という県境地帯の20万都市は重要な意味を持つようだ。
例えば盛岡に本店を置く地方銀行・岩手銀行の場合、八戸市には八戸営業部(八日町)を設置するほか湊、根城、田面木、八戸駅前、十三日町の5支店と八戸プラザ(八戸営業部内)、ローンプラザ(湊支店内)を置き、岩手県外の拠点としては仙台市に次ぐ規模である。北東北最大都市・秋田市や、八戸市より大きな青森市にも同行は支店を置くが、いずれも秋田支店と青森支店を1つずつ置くのみ。

【岩手銀行いわぎん八戸ローンプラザ(移転前)】
第二次世界大戦中、新聞の一県一紙と同様に銀行もまた一県一行とされ、1944(昭和19)年に岩手銀行八戸支店は一度閉鎖されている。敗戦後に一県一行が撤廃され同行八戸支店が復活したのは1951(昭和26)年2月19日だが、当時の同行の歓喜を表す象徴的な記録を紹介したい。
岩手銀行出身者の親睦団体・岩銀殖友会が1990(平成2)年に発行した「足跡」にあるのは「開店前から詰めかけた多くのお客様が次々と来店、ロビーは終日賑わいを見せた。又当日の一番乗りのお客様は、青森銀行八戸支店の帯紙がついた百万円札帯にて当座預金に預け入れした」というもの。わざわざ青森銀行を名指しして預金を奪えた喜びを記録しているのである。
盛岡に本社を置く岩手県域企業にとって八戸とは、青森の企業に競り勝って得た利潤を盛岡に持ち帰ることができる大きな拠点である。八戸が盛岡に匹敵する規模の人口と経済力を持つばかりでなく、とりわけ八戸市民が盛岡に好印象を持っていることも大きい。
八戸に支社を置いた岩手の民放テレビ局にもまた、青銀より岩銀が選ばれたように、青森民放より岩手民放を選んでもらいたい、そういった思惑があるのだろう。
■JNN青森拠点だったIBC八戸支社
まずは岩手民放第1号のアイビーシー岩手放送(IBC)が八戸に置いた拠点の歴史を振り返ると、テレビの福岡中継局(折爪岳、現二戸局)が開局するのにあわせ1961(昭和36)年9月1日に八戸市馬場町に八戸支社を開設したのが始まりである。
IBCは開局披露パレードとパーティを八戸で行ったこと(八戸に郵政省側の出席者はゼロ)は前回の記事で紹介したとおりだが、県境を越えた戦勝パレードさながらのIBCの福岡局開局記念式典も、先述の青銀から預金を奪った記録を慶事として記録した岩銀とよく似ている。
青森放送(RAB)側にしてみれば「折爪問題」として後に「青森放送二十五年史」で痛烈に批判することになる出来事だが、IBCのキー局である東京放送(TBS)や、同系列のJNN(Japan News Network)にしてみれば開局直前で日本テレビ放送網(NTV)系列入りした“裏切り者”のRABに代わる青森の報道拠点になったのもIBC八戸支社である。
1968(昭和43)年の十勝沖地震では、最大の被災地である青森のJNNの報道を担ったのはIBCだった。

【協栄八戸番町ビル2階時代の旧IBC八戸支社(2019年撮影)】
青木貞伸(1981)「日本の民放ネットワーク JNNの軌跡」によれば、青森テレビ(ATV)が1969(昭和44)年に開局するまで、JNNとして青森を担当する局はIBCだった。
ただATV開局後にIBCが八戸で全く報道・取材活動をしなくなったということでもなく、東京大学新聞研究所 編(1983)「テレビ・ローカル放送の実態〔岩手県の場合〕」によれば、1982(昭和57)年当時でIBC八戸支社に配置されていた営業職3名のうち1名は記者兼務だった。
東京大学新聞研究所 編(1983)にはNHK盛岡放送局(JOQG)の報道体制についての記録もあり、「かつては久慈市にも通信部があったが廃止され、現在では同市が八戸経済圏内に位置していることもあって、事件や災害が発生した時は、青森放送局管内の八戸通信部が初動取材を行い、ニュース素材の交換を行っている。」という。
NHK盛岡と同じくIBCも久慈に支局はなく、久慈や二戸など岩手県北での事案発生時にはIBC八戸支社の営業兼務記者が対応し、重大な場合は盛岡の本社から応援を待つ体制だったのだろう。
放送・通信関係ではほかにも、1970(昭和45)年に日本電信電話公社が折爪無線中継所の管轄を盛岡から八戸に移しており、岩手県北は八戸の拠点が管轄する例が多かったようだ。

【最後のIBC八戸支社があったヴィアノヴァビル(2021年撮影)】
IBC八戸支社は初代の八戸市馬場町から何度か移転していて、少なくとも協栄八戸番町ビル2階(八戸市番町9-5)には2022(令和4)年春頃まで、そして最後の支社はヴィアノヴァビル3階(八戸市十三日町1)に2026(令和8)年3月頃まで置かれていたとみられる。同ビルは青森朝日放送(ABA)の旧本社(のち八戸支社)所在地であったが、ABAも2022(令和4)年頃に番町NDビル3階(八戸市番町22-1)に転出していて、ABAとIBCが呉越同舟にあったことはない。
青森県での営業活動の足跡を追うのは難しいが、東京大学新聞研究所 編(1983)によれば、1981年4〜1982年2月の営業収入構成比で八戸支社の比率は2.4%で、岩手県内の中部(花巻)、県南(一関)、東部(釜石)の各支社より大きかった。また、八戸市が1970(昭和45)年に発行した「市勢要覧1970」をみると、八戸市はIBCで広報番組「市勢の展望」を放送していたことがわかる。八戸市が官民問わずIBCに広告費を与えていた格好である。
しかし岩手県内の諸都市に置かれた支社より優れた営業成績を持ち、八戸市からの番組を受注するほどだったIBC八戸支社も、昔のように儲からなくなったということなのだろう。
日経会社情報デジタルの有価証券報告書をみるとIBCは2024(令和6)年度まで少なくとも5期連続で経常損失を計上していた。このような状況であれば不採算部門は撤退なり縮小を図り、稼ぎ頭のドル箱の部門を重視することが考えられるが、昔のように八戸支社が儲かっていれば支社を閉める必要はなかっただろう。
八戸支社の閉鎖と直接的な関連はがあるとは考えていないが、撤退後の2026(令和8)年5月20日付岩手日報朝刊記事「当期純利益 1億円超え IBC岩手放送決算」によれば、2025(令和7)年度のIBCは当期純利益1億1600万円と業績が好転した。
■約40年の歴史があったTVI八戸支社
テレビ岩手(TVI)は、積極的に八戸に進出し60年以上の歴史を持つIBCとは異なり、1969(昭和44)年2月の開局からしばらく八戸に支社・支局を置かなかった。
TVIも社史が見つからない社の一つだが、八戸商工会議所がかつて発行していた「八戸職員録」を遡ると、「1981(昭和56)年1月八戸支社開設 八戸市番町30のだビル4階」という記録が初めて出てくるのが1983(昭和58)年の「八戸職員録 昭和58年度版」。
TVIが八戸支社を設けたのは、開局11年1か月後の1981(昭和56)年1月ということだ。前出の東京大学新聞研究所 編(1983)の調査が間に合った。
東京大学新聞研究所 編(1983)によればTVI八戸支社の人数は営業職2名だったといい、IBCとは異なり記者兼務の配置はなかったようだ。同書をみても八戸の営業比率の詳細な情報がないが、「仙台・八戸を含めたローカル営業収入の中で」という書き方がされており、TVI八戸支社もまたIBCと同様に岩手県内支社より営業成績が大きかった可能性があるとみている。

【TVI八戸支社があった青銀・明治安田生命ビル(2019年撮影)】
チャネル(1987)「企業と広告1987年7月号」によれば、1987(昭和62)年5月28日にTVI八戸支社は青銀・明生ビル8階に移転。2019年5月時点でも同ビル8階に存在を確認した。その後、2019年度内から2020年度頃に八戸市番町3-5八戸シティマンション206に移転したと思われるが、2020年度いっぱいで同社ホームページから八戸支社は掲載が消滅している。撤退時期は推定ではあるが、1981(昭和56)年1月〜2021(令和3)年3月頃までの約40年、TVI八戸支社は活動したとみられ、IBCより5年早く撤退した。
社史がないためTVI八戸支社の歴史や営業推移などをうかがい知ることは難しい。
一方でATV開局まで青森に無いTBSの番組で住み分けができたIBCと異なり、TVIは置局時点で青森には同系列のRABが存在した。一応、RABは日本教育テレビ(NET)→全国朝日放送(ANB・テレビ朝日)とのクロスネットを組んだ時期もあるので、八戸ではTVIでNTV系番組を視聴することもあったとはいえ、大半はRABと同じ番組なのだからTVIが優位になれるのは限定的である。
ABAと同じテレビ朝日(EX)系列のIATや、FM青森(AFB)と同じJFN・BラインネットのFM岩手(FMI)が八戸に一度も支社・支局を置いたことがないことを踏まえると、青森にも同系列の社がある岩手民放──IBCやTVIが八戸に支社を置いても儲けが出にくくなっているのだろう。
■徐々に八戸都心に移転するめんこいテレビ八戸支社
IBCやTVI、FMI、IATと異なり、青森県に同系列局がないのフジテレビジョン(CX)系列の岩手めんこいテレビ(MIT)。
MITの開局は1991(平成3)年4月で、同年10月に開局したABAと合わせ、八戸は盛岡より5年早く民放4系列視聴が可能になった。
一方でMITの八戸への支社開設は意外にも開局から5年経った1996(平成8)年4月1日。水沢市に置いていた本社を盛岡市に移転したのが1995(平成7)年であり、岩手4局目となるIAT開局が決まり、岩手での過酷な四局競争を控えた体制新構築の一環だったのだろうか。
東日本出版(1993)「財界とうほく1993年7月号」によれば、MITはIBCやTVIとともに1992(平成4)年12月18日に郵政省で開かれた電波監理審議会で「現在の岩手県の経済力では市場性が弱く、景気も悪い。しかも第三局(=MIT)が開局して間もない」として後にIATとなる岩手第四波の割当に反対を表明していた。

【MIT八戸支社の位置の推移(時期は推定)】
1996(平成8)年当初は八戸市根城8丁目12-18の一軒家のような建物に置かれていたMIT八戸支社は、遅くとも2001(平成13)年にはJR本八戸駅北口の時代所ビル2階(八戸市城下1丁目14-4)に移転。その後、遅くとも2009(平成21)年には八戸第一ビル4階(八戸市八日町36)の現支社に移転している。
一見、JR本八戸駅北口の方が一等地のように思えるかもしれないが、現支社がある八戸市八日町は、八戸市の路線価最高地点の八戸市三日町に隣接する八戸都心の一角といえる地点である。
2003(平成15)年当時のMITホームページの会社概要ページ(http://www.menkoi-tv.co.jp/company/index.html)で公表されていた組織図によると、MITは取締役会の下に営業局、報道局、総務局の3局体制で、営業局八戸支社と報道局八戸支局が置かれていた。
組織改編(時期不明)を経て現在も営業編成局八戸支社と報道制作局八戸支社が存在し、FNN(Fuji News Network)としては青森市に所在するCX青森支局と、八戸市のMIT八戸支社と青森県に報道拠点が2か所あることになる。
MIT八戸支社はかつてのIBC八戸支社のように、営業拠点だけではなく青森県の報道拠点としての機能も持っているわけだ。

【MIT八戸支社が入居する八戸第一ビル】
現在、MIT八戸支社が入居する八戸第一ビルは岩手銀行八戸営業部と同じビルである。そして八戸第一ビルの保有者は岩手地所。
岩手地所という名前からして岩手の不動産会社だというのは明らかだが、その主要株主に名を連ねるのは共益商事��のほか�蟯篌蠧�報社、�螢▲ぅ咫璽掘軸篌衒�送などである。これを深く掘り下げてみよう。
金融財政事情研究会(1961)「週刊金融財政事情1961年2月27日号」によると、岩手地所は�蟯篌蠖�産銀行が担保権の行使によって取得した不動産の管理、処分、損害保険の代理業務を行わせることを目的として設立された会社であり、岩手地所の株式5万株余を保有したのが岩手殖産銀行の関連会社である共益商事��だという。
岩手地所を設立した岩手殖産銀行とは岩手銀行の前身であり、岩銀の上位株主には岩手県企業局(4位、3.5%)と岩手県(6位、3.3%)が名を連ねる。(2026年3月時点)
MIT八戸支社が入居する八戸第一ビルは、岩手企業が青森企業と戦い、生んだ利潤を盛岡の本店に持ち帰るために岩手県が官民挙げて築いた橋頭保のような存在にも思える。

【八戸第一ビルに掲示されるMIT八戸支社の看板】
MITは岩手民放で唯一八戸に拠点を残し今も活動を続けている。同社の放送を視聴していれば、八戸所在の企業のCMが多数放送されており、拠点を維持するに十分な利潤を生んでいることは想像できる。
特に八戸商圏(主に三八上北と岩手県北)のみで事業を展開する企業の場合、商圏にCMを放映するのに最適な放送局はMITであろう。
青森民放(RAB、ATV、ABA)では岩手県側にも広がる八戸商圏の洋野町、軽米町や久慈市、二戸市などに電波が十分に届いているといえず、他の岩手民放(IBC、TVI、IAT)は折爪岳から広範囲に電波を出せるが同系列の青森民放との競合が避けられず、実際にIBCもTVIも八戸から撤退に追い込まれている。
八戸に拠点を置き、本社所在地の盛岡に利潤をもたらすという岩手側の視点に立つと、MIT八戸支社は数ある岩手企業の八戸支社・支店の中でもトップクラスの優等生なのではないか。

【MIT本社(盛岡市)】
MITの企業情報・中継局MAPによれば、区域外再放送を実施する青森県内のケーブルテレビ事業者は八戸テレビ放送(八戸市)、田子町ケーブルテレビジョン(三戸郡田子町)、三沢市ケーブルテレビジョン(三沢市)の3者とされているが、実際には五戸ケーブルテレビ(三戸郡五戸町)や六ヶ所コミュニケーションテレビ(上北郡六ヶ所村)、東北町テレビ(上北郡東北町)、青森県新郷村の有線テレビジョン放送施設(三戸郡新郷村)などでもMITの区域外再放送は実施されている。
これらのケーブルテレビ・有線放送施設のうち、八戸テレビ放送は他の岩手民放も区域外再放送をしているが、他はすべてMITのみという状態。
まさにMIT独り勝ちの状態であるが、青森県にフジテレビ系列局がないからこそできる芸当だろう。
もしも青森民放第2波が、鹿内信隆や青森産経テレビ発起人・白鳥大八の思惑通りフジテレビ系列の青森テレビ(ATV)になっていたとすれば、今一人勝ち状態になっていたのはMITではなくIBCだったことだろう。
それにしても、MITしか八戸に支社を置く岩手民放がなくなるとは、十年前に予想できた人はいるのだろうか。私はHBCとSTVが青森の拠点を閉めたときは寂しくも仕方なかろうとも思えたが、IBCとTVIが八戸支社を閉めたことには今も驚きを禁じ得ない。
←クリックでブログランキングに投票!
北海道の放送局の青森県での足跡を追う回シリーズとして、これまで「HBCの青森県での足跡を追う回」と、「STVの青森県での足跡を追う回」、「HTBの青森県での足跡を追う回(追悼:田名部匡省)」を取り上げ、番外編的に青森市の姉妹都市・函館を舞台に「TVhの函館開局を追う回」を記事化してきた。
青森県内に支社・支局の類を置いたことが確認できる青森県外の民間テレビ放送事業者として、北海道放送(HBC)と札幌テレビ放送(STV)、フジテレビジョン(CX)が挙げられるが、置局された都市は県都・青森。第三都市・弘前に支社・支局を置いた県外民放はないが、第二都市・八戸には岩手朝日テレビ(IAT)を除く岩手民放TV3社が支社・支局を置いた歴史がある。
放送事業者に限らず、岩手という限られた県域を主な商圏とする他業種でも八戸という県境地帯の20万都市は重要な意味を持つようだ。
例えば盛岡に本店を置く地方銀行・岩手銀行の場合、八戸市には八戸営業部(八日町)を設置するほか湊、根城、田面木、八戸駅前、十三日町の5支店と八戸プラザ(八戸営業部内)、ローンプラザ(湊支店内)を置き、岩手県外の拠点としては仙台市に次ぐ規模である。北東北最大都市・秋田市や、八戸市より大きな青森市にも同行は支店を置くが、いずれも秋田支店と青森支店を1つずつ置くのみ。

第二次世界大戦中、新聞の一県一紙と同様に銀行もまた一県一行とされ、1944(昭和19)年に岩手銀行八戸支店は一度閉鎖されている。敗戦後に一県一行が撤廃され同行八戸支店が復活したのは1951(昭和26)年2月19日だが、当時の同行の歓喜を表す象徴的な記録を紹介したい。
岩手銀行出身者の親睦団体・岩銀殖友会が1990(平成2)年に発行した「足跡」にあるのは「開店前から詰めかけた多くのお客様が次々と来店、ロビーは終日賑わいを見せた。又当日の一番乗りのお客様は、青森銀行八戸支店の帯紙がついた百万円札帯にて当座預金に預け入れした」というもの。わざわざ青森銀行を名指しして預金を奪えた喜びを記録しているのである。
盛岡に本社を置く岩手県域企業にとって八戸とは、青森の企業に競り勝って得た利潤を盛岡に持ち帰ることができる大きな拠点である。八戸が盛岡に匹敵する規模の人口と経済力を持つばかりでなく、とりわけ八戸市民が盛岡に好印象を持っていることも大きい。
八戸に支社を置いた岩手の民放テレビ局にもまた、青銀より岩銀が選ばれたように、青森民放より岩手民放を選んでもらいたい、そういった思惑があるのだろう。
■JNN青森拠点だったIBC八戸支社
まずは岩手民放第1号のアイビーシー岩手放送(IBC)が八戸に置いた拠点の歴史を振り返ると、テレビの福岡中継局(折爪岳、現二戸局)が開局するのにあわせ1961(昭和36)年9月1日に八戸市馬場町に八戸支社を開設したのが始まりである。
IBCは開局披露パレードとパーティを八戸で行ったこと(八戸に郵政省側の出席者はゼロ)は前回の記事で紹介したとおりだが、県境を越えた戦勝パレードさながらのIBCの福岡局開局記念式典も、先述の青銀から預金を奪った記録を慶事として記録した岩銀とよく似ている。
青森放送(RAB)側にしてみれば「折爪問題」として後に「青森放送二十五年史」で痛烈に批判することになる出来事だが、IBCのキー局である東京放送(TBS)や、同系列のJNN(Japan News Network)にしてみれば開局直前で日本テレビ放送網(NTV)系列入りした“裏切り者”のRABに代わる青森の報道拠点になったのもIBC八戸支社である。
1968(昭和43)年の十勝沖地震では、最大の被災地である青森のJNNの報道を担ったのはIBCだった。

青木貞伸(1981)「日本の民放ネットワーク JNNの軌跡」によれば、青森テレビ(ATV)が1969(昭和44)年に開局するまで、JNNとして青森を担当する局はIBCだった。
ただATV開局後にIBCが八戸で全く報道・取材活動をしなくなったということでもなく、東京大学新聞研究所 編(1983)「テレビ・ローカル放送の実態〔岩手県の場合〕」によれば、1982(昭和57)年当時でIBC八戸支社に配置されていた営業職3名のうち1名は記者兼務だった。
東京大学新聞研究所 編(1983)にはNHK盛岡放送局(JOQG)の報道体制についての記録もあり、「かつては久慈市にも通信部があったが廃止され、現在では同市が八戸経済圏内に位置していることもあって、事件や災害が発生した時は、青森放送局管内の八戸通信部が初動取材を行い、ニュース素材の交換を行っている。」という。
NHK盛岡と同じくIBCも久慈に支局はなく、久慈や二戸など岩手県北での事案発生時にはIBC八戸支社の営業兼務記者が対応し、重大な場合は盛岡の本社から応援を待つ体制だったのだろう。
放送・通信関係ではほかにも、1970(昭和45)年に日本電信電話公社が折爪無線中継所の管轄を盛岡から八戸に移しており、岩手県北は八戸の拠点が管轄する例が多かったようだ。

IBC八戸支社は初代の八戸市馬場町から何度か移転していて、少なくとも協栄八戸番町ビル2階(八戸市番町9-5)には2022(令和4)年春頃まで、そして最後の支社はヴィアノヴァビル3階(八戸市十三日町1)に2026(令和8)年3月頃まで置かれていたとみられる。同ビルは青森朝日放送(ABA)の旧本社(のち八戸支社)所在地であったが、ABAも2022(令和4)年頃に番町NDビル3階(八戸市番町22-1)に転出していて、ABAとIBCが呉越同舟にあったことはない。
青森県での営業活動の足跡を追うのは難しいが、東京大学新聞研究所 編(1983)によれば、1981年4〜1982年2月の営業収入構成比で八戸支社の比率は2.4%で、岩手県内の中部(花巻)、県南(一関)、東部(釜石)の各支社より大きかった。また、八戸市が1970(昭和45)年に発行した「市勢要覧1970」をみると、八戸市はIBCで広報番組「市勢の展望」を放送していたことがわかる。八戸市が官民問わずIBCに広告費を与えていた格好である。
しかし岩手県内の諸都市に置かれた支社より優れた営業成績を持ち、八戸市からの番組を受注するほどだったIBC八戸支社も、昔のように儲からなくなったということなのだろう。
日経会社情報デジタルの有価証券報告書をみるとIBCは2024(令和6)年度まで少なくとも5期連続で経常損失を計上していた。このような状況であれば不採算部門は撤退なり縮小を図り、稼ぎ頭のドル箱の部門を重視することが考えられるが、昔のように八戸支社が儲かっていれば支社を閉める必要はなかっただろう。
八戸支社の閉鎖と直接的な関連はがあるとは考えていないが、撤退後の2026(令和8)年5月20日付岩手日報朝刊記事「当期純利益 1億円超え IBC岩手放送決算」によれば、2025(令和7)年度のIBCは当期純利益1億1600万円と業績が好転した。
■約40年の歴史があったTVI八戸支社
テレビ岩手(TVI)は、積極的に八戸に進出し60年以上の歴史を持つIBCとは異なり、1969(昭和44)年2月の開局からしばらく八戸に支社・支局を置かなかった。
TVIも社史が見つからない社の一つだが、八戸商工会議所がかつて発行していた「八戸職員録」を遡ると、「1981(昭和56)年1月八戸支社開設 八戸市番町30のだビル4階」という記録が初めて出てくるのが1983(昭和58)年の「八戸職員録 昭和58年度版」。
TVIが八戸支社を設けたのは、開局11年1か月後の1981(昭和56)年1月ということだ。前出の東京大学新聞研究所 編(1983)の調査が間に合った。
東京大学新聞研究所 編(1983)によればTVI八戸支社の人数は営業職2名だったといい、IBCとは異なり記者兼務の配置はなかったようだ。同書をみても八戸の営業比率の詳細な情報がないが、「仙台・八戸を含めたローカル営業収入の中で」という書き方がされており、TVI八戸支社もまたIBCと同様に岩手県内支社より営業成績が大きかった可能性があるとみている。

チャネル(1987)「企業と広告1987年7月号」によれば、1987(昭和62)年5月28日にTVI八戸支社は青銀・明生ビル8階に移転。2019年5月時点でも同ビル8階に存在を確認した。その後、2019年度内から2020年度頃に八戸市番町3-5八戸シティマンション206に移転したと思われるが、2020年度いっぱいで同社ホームページから八戸支社は掲載が消滅している。撤退時期は推定ではあるが、1981(昭和56)年1月〜2021(令和3)年3月頃までの約40年、TVI八戸支社は活動したとみられ、IBCより5年早く撤退した。
社史がないためTVI八戸支社の歴史や営業推移などをうかがい知ることは難しい。
一方でATV開局まで青森に無いTBSの番組で住み分けができたIBCと異なり、TVIは置局時点で青森には同系列のRABが存在した。一応、RABは日本教育テレビ(NET)→全国朝日放送(ANB・テレビ朝日)とのクロスネットを組んだ時期もあるので、八戸ではTVIでNTV系番組を視聴することもあったとはいえ、大半はRABと同じ番組なのだからTVIが優位になれるのは限定的である。
ABAと同じテレビ朝日(EX)系列のIATや、FM青森(AFB)と同じJFN・BラインネットのFM岩手(FMI)が八戸に一度も支社・支局を置いたことがないことを踏まえると、青森にも同系列の社がある岩手民放──IBCやTVIが八戸に支社を置いても儲けが出にくくなっているのだろう。
■徐々に八戸都心に移転するめんこいテレビ八戸支社
IBCやTVI、FMI、IATと異なり、青森県に同系列局がないのフジテレビジョン(CX)系列の岩手めんこいテレビ(MIT)。
MITの開局は1991(平成3)年4月で、同年10月に開局したABAと合わせ、八戸は盛岡より5年早く民放4系列視聴が可能になった。
一方でMITの八戸への支社開設は意外にも開局から5年経った1996(平成8)年4月1日。水沢市に置いていた本社を盛岡市に移転したのが1995(平成7)年であり、岩手4局目となるIAT開局が決まり、岩手での過酷な四局競争を控えた体制新構築の一環だったのだろうか。
東日本出版(1993)「財界とうほく1993年7月号」によれば、MITはIBCやTVIとともに1992(平成4)年12月18日に郵政省で開かれた電波監理審議会で「現在の岩手県の経済力では市場性が弱く、景気も悪い。しかも第三局(=MIT)が開局して間もない」として後にIATとなる岩手第四波の割当に反対を表明していた。

1996(平成8)年当初は八戸市根城8丁目12-18の一軒家のような建物に置かれていたMIT八戸支社は、遅くとも2001(平成13)年にはJR本八戸駅北口の時代所ビル2階(八戸市城下1丁目14-4)に移転。その後、遅くとも2009(平成21)年には八戸第一ビル4階(八戸市八日町36)の現支社に移転している。
一見、JR本八戸駅北口の方が一等地のように思えるかもしれないが、現支社がある八戸市八日町は、八戸市の路線価最高地点の八戸市三日町に隣接する八戸都心の一角といえる地点である。
2003(平成15)年当時のMITホームページの会社概要ページ(http://www.menkoi-tv.co.jp/company/index.html)で公表されていた組織図によると、MITは取締役会の下に営業局、報道局、総務局の3局体制で、営業局八戸支社と報道局八戸支局が置かれていた。
組織改編(時期不明)を経て現在も営業編成局八戸支社と報道制作局八戸支社が存在し、FNN(Fuji News Network)としては青森市に所在するCX青森支局と、八戸市のMIT八戸支社と青森県に報道拠点が2か所あることになる。
MIT八戸支社はかつてのIBC八戸支社のように、営業拠点だけではなく青森県の報道拠点としての機能も持っているわけだ。

現在、MIT八戸支社が入居する八戸第一ビルは岩手銀行八戸営業部と同じビルである。そして八戸第一ビルの保有者は岩手地所。
岩手地所という名前からして岩手の不動産会社だというのは明らかだが、その主要株主に名を連ねるのは共益商事��のほか�蟯篌蠧�報社、�螢▲ぅ咫璽掘軸篌衒�送などである。これを深く掘り下げてみよう。
金融財政事情研究会(1961)「週刊金融財政事情1961年2月27日号」によると、岩手地所は�蟯篌蠖�産銀行が担保権の行使によって取得した不動産の管理、処分、損害保険の代理業務を行わせることを目的として設立された会社であり、岩手地所の株式5万株余を保有したのが岩手殖産銀行の関連会社である共益商事��だという。
岩手地所を設立した岩手殖産銀行とは岩手銀行の前身であり、岩銀の上位株主には岩手県企業局(4位、3.5%)と岩手県(6位、3.3%)が名を連ねる。(2026年3月時点)
MIT八戸支社が入居する八戸第一ビルは、岩手企業が青森企業と戦い、生んだ利潤を盛岡の本店に持ち帰るために岩手県が官民挙げて築いた橋頭保のような存在にも思える。

MITは岩手民放で唯一八戸に拠点を残し今も活動を続けている。同社の放送を視聴していれば、八戸所在の企業のCMが多数放送されており、拠点を維持するに十分な利潤を生んでいることは想像できる。
特に八戸商圏(主に三八上北と岩手県北)のみで事業を展開する企業の場合、商圏にCMを放映するのに最適な放送局はMITであろう。
青森民放(RAB、ATV、ABA)では岩手県側にも広がる八戸商圏の洋野町、軽米町や久慈市、二戸市などに電波が十分に届いているといえず、他の岩手民放(IBC、TVI、IAT)は折爪岳から広範囲に電波を出せるが同系列の青森民放との競合が避けられず、実際にIBCもTVIも八戸から撤退に追い込まれている。
八戸に拠点を置き、本社所在地の盛岡に利潤をもたらすという岩手側の視点に立つと、MIT八戸支社は数ある岩手企業の八戸支社・支店の中でもトップクラスの優等生なのではないか。

MITの企業情報・中継局MAPによれば、区域外再放送を実施する青森県内のケーブルテレビ事業者は八戸テレビ放送(八戸市)、田子町ケーブルテレビジョン(三戸郡田子町)、三沢市ケーブルテレビジョン(三沢市)の3者とされているが、実際には五戸ケーブルテレビ(三戸郡五戸町)や六ヶ所コミュニケーションテレビ(上北郡六ヶ所村)、東北町テレビ(上北郡東北町)、青森県新郷村の有線テレビジョン放送施設(三戸郡新郷村)などでもMITの区域外再放送は実施されている。
これらのケーブルテレビ・有線放送施設のうち、八戸テレビ放送は他の岩手民放も区域外再放送をしているが、他はすべてMITのみという状態。
まさにMIT独り勝ちの状態であるが、青森県にフジテレビ系列局がないからこそできる芸当だろう。
もしも青森民放第2波が、鹿内信隆や青森産経テレビ発起人・白鳥大八の思惑通りフジテレビ系列の青森テレビ(ATV)になっていたとすれば、今一人勝ち状態になっていたのはMITではなくIBCだったことだろう。
それにしても、MITしか八戸に支社を置く岩手民放がなくなるとは、十年前に予想できた人はいるのだろうか。私はHBCとSTVが青森の拠点を閉めたときは寂しくも仕方なかろうとも思えたが、IBCとTVIが八戸支社を閉めたことには今も驚きを禁じ得ない。
◆引用文献・参考文献・ウェブサイト
・IR BANK 岩手銀行(8345)の大株主一覧
・アイビーシー岩手放送(2003)「IBC岩手放送小史(開局五十周年記念誌)」
・青木貞伸(1981)「日本の民放ネットワーク JNNの軌跡」
・青森県新郷村の有線テレビジョン放送施設
・青森放送(1980)「青森放送二十五年史」
・岩銀殖友会(1990)「足跡」
・岩手日報社(2026)「2026(令和8)年5月20日付朝刊 当期純利益 1億円超え IBC岩手放送決算」
・岩手めんこいテレビ企業情報・中継局MAP
・金融財政事情研究会(1961)「週刊金融財政事情1961年2月27日号」
・五戸ケーブルテレビ
・チャネル(1987)「企業と広告1987年7月号」
・東京大学新聞研究所 編(1983)「テレビ・ローカル放送の実態〔岩手県の場合〕」
・東北町テレビ
・日経会社デジタル アイビーシー岩手放送:有価証券報告書−第85期
・日本電信電話公社東北電気通信局編(1982)「東北の電信電話 公社30周年」
・八戸市(1970)「市勢要覧1970」
・八戸商工会議所(1983)「八戸職員録 昭和58年度版」
・東日本出版(1993)「財界とうほく1993年7月号」
・六ヶ所コミュニケーションテレビ
・IR BANK 岩手銀行(8345)の大株主一覧
・アイビーシー岩手放送(2003)「IBC岩手放送小史(開局五十周年記念誌)」
・青木貞伸(1981)「日本の民放ネットワーク JNNの軌跡」
・青森県新郷村の有線テレビジョン放送施設
・青森放送(1980)「青森放送二十五年史」
・岩銀殖友会(1990)「足跡」
・岩手日報社(2026)「2026(令和8)年5月20日付朝刊 当期純利益 1億円超え IBC岩手放送決算」
・岩手めんこいテレビ企業情報・中継局MAP
・金融財政事情研究会(1961)「週刊金融財政事情1961年2月27日号」
・五戸ケーブルテレビ
・チャネル(1987)「企業と広告1987年7月号」
・東京大学新聞研究所 編(1983)「テレビ・ローカル放送の実態〔岩手県の場合〕」
・東北町テレビ
・日経会社デジタル アイビーシー岩手放送:有価証券報告書−第85期
・日本電信電話公社東北電気通信局編(1982)「東北の電信電話 公社30周年」
・八戸市(1970)「市勢要覧1970」
・八戸商工会議所(1983)「八戸職員録 昭和58年度版」
・東日本出版(1993)「財界とうほく1993年7月号」
・六ヶ所コミュニケーションテレビ
コメント
コメント一覧
小学生の頃、TBS系のATVが開局しても我が家にはUHFを受信できるテレビがなく、TBS系の番組は折爪岳からのIBCを見ていました。
当時の自宅から見て、RABやNHKの八戸中継局とIBCの二戸中継局がほぼ同一方向にあったため1本のアンテナで受信していました。
スピルオーバーに感謝です。
コメントありがとうございます。
八戸の人だなあという思いでお読みいたしました。